瞬が真顔で語る自らの夢が あまりにも思いがけなくて、吉乃は、二度三度と瞬きを繰り返した。 言ったのがナターシャなら、『可愛い夢だね』と笑顔で済ませるところだが、これは微笑んでしまっていいようなことなのか。 とても そのような雰囲気ではない。 とりあえず、 「すごい、ロマンチックというか、少女趣味というか」 という言葉で、曖昧に ごまかしてみる。 瞬は 相変わらず、その顔に いつもの微笑を貼りつけたままだった。 「そんなんじゃないですよ。……僕と兄さんが城戸邸に引き取られる前にいた養護施設は、プロテスタントの教会の施設内にあったんですけど、その隣りに ちょっとしたに空き地があったんです。施設の子供たちは そこを遊び場にしていた。その空き地の隅っこには、野草が生えていて、小さな花を咲かせていた。ハコベやカタバミやシロツメクサ。たまに やってくる大人たちに刈り取られても、走りまわる子供たちに踏みにじられても、数日後には何事もなかったように 小さな花を咲かせている。刈り取られ、踏みにじられて、また蘇って、刈り取られ、踏みにじられて、また蘇って、その繰り返し。僕は、自分も そんなふうに生きていられたらいいと思ったんです。施設の隣りの空き地なら、花になっても、兄さんを見ていられるし――」 「瞬先生、そんな夢は……」 それは、人間でいることをやめたいという願望なのか。 ならば、それは夢とは言わない。 小さな頃の夢――過去の夢――とわかっていても、瞬の夢は吉乃の気持ちを よくない方向に緊張させた。 「ちょうど、草花は空気を作って、人間や他の動物たちの役に立っていると 教えてもらったばかりだったんですよね。花になった僕は役立たずではなくなって、兄さんにひどいことをする人間の仲間でいなくてよくなって、誰かをひどい人だと思うこともせずに済んで、誰にも迷惑をかけずに、見る人の心を癒すような存在になれる。野の花になれば――」 それはロマンチックな夢ではない。 少女趣味な夢でもない。 いったい この先、その夢は どんな方向に進んでいくのか。 その夢の先に今の瞬がいるのだから、それは どこかで 明るい方向へと向きを変えるはず。 そう思いはするのだが、緊張が解けない。 背筋と胸中の大騒ぎを表面に出すまいと 渾身の力を振り絞っていた吉乃に知らされた、瞬の夢の方向転換先は、もはや笑うしかないのではないかと思うほど、陰鬱な場所だった。 「でも、ある日、その場所にマンションが建つことになって、その空き地がなくなってしまったんです。空き地は綺麗に整備されて、舗装用のタイルが敷き詰めれて、そこに咲いていたハコベやカタバミの花も それきり。空き地に咲いている花になりたいなんていう、ささやかな夢を見ることすら、僕には許されないんだと思えて、悲しかったな」 『悲しかった』という言葉通りに悲しそうに、力なく小さな声で 呟く瞬。 そんな瞬を見て、吉乃は、“悲しい”や“切ない”を通り過ぎ、あっけにとられてしまったのである。 ぽかんと呆けた顔をさらすこと、30秒。 何とか気を取り直すのに、吉乃は 更に15秒の時間を要した。 「瞬先生は、世界にたった12人しかいない黄金聖闘士でしょう? まず間違いなく、世界の強い男の十傑に入っている。その上、お医者様。日本社会じゃ、文句のつけようもないエリートですよ。強くて、頭がよくて、美貌で、健康で、経済力もあって、社会的地位も高くて、優しくて、性格もよくて、信頼できる仲間や友人もいる。少しイレギュラーだけど、誰もが羨む綺麗な家族がいて、幸せな家庭を営んでる。表向きも裏向きでも、やり甲斐のある仕事に就いてて、生き甲斐のある充実した人生を送っている。これ以上の成功なんて あるのかってくらいの成功と幸福を、ご両親のない身で ご自分の努力で 手に入れて、だから誰もが、瞬先生を認め、称賛し、尊敬していて、羨む人はいるでしょうけど、妬んだり やっかんだりする人はいない。……あ、言ってるうちに目眩いがしてきた。完璧すぎて」 なぜ こんな恵まれている人を、手びねりで器ひとつ まともに作れない自分が 必死に力づけてやっているのか。 実際に、神経の異常から起こる目眩いに襲われたわけではないが、吉乃の思考力は大きく ぐらぐらと揺れていた。 大きいのか小さいのか、容易なのか困難なのか わからない過去の瞬の夢と、現在 瞬が在る状況との乖離のせいで。 「完璧だなんて、そんなわけない。世界の平和は実現していない。子供の頃の話ですよ。星矢や紫龍や氷河たちに会う前――仲間たちに出会う前の。あの頃、花になるのが、僕の夢だったんです」 『仲間たちに出会う前』 それがキーワードだったらしい。 瞬の小さな頃の夢のせいで 吉乃が感じていた切なさや 目眩いは、そのフレーズの登場によって、一瞬で消し飛んだ。 沈んでいた瞬の声の調子も変わる。 幼かった瞬の夢の転換期は、野の花が咲く空き地がなくなった時ではなく、彼が 仲間たちと出会った時だったのだ。 |