「この手紙は、俺への手紙だ。瞬への手紙じゃない。この手紙は絶対に出さない」 「え?」 冒頭に『拝啓』がないのは意外なことではないが、1行目から自分の名が登場することに、瞬は驚いた。 では、この手紙は、ミニチュアのポストを作った人物や それを売っていた雑貨店の関係者絡みの不思議ではなく、“瞬”に関する不思議なのか。 ポストの中に紙片を見付けた時から、少々 速まっていた瞬の鼓動は、その事実(事実だろう)を認めて、一層 速く大きくなった。 どうして俺は こんなに瞬が好きなんだろう。 時々、不思議に思う。 瞬は優しい。涙もろいけど、かなり強いし、頭もいいし、綺麗で可愛い。 幾度も俺のピンチを助けてくれた。 俺が迷ったり 悩んでたりしている時には、俺が相談する前に気付いて、どうすればいいのかを助言してくれる。そして、優しく力付けてくれる。 瞬を好きになる理由はいくらでもある。 俺が瞬を好きなことは不思議なことじゃない。 だけど、どうして、友だちや仲間じゃ駄目なんだろう。 俺には そういう趣味はない。 女を好きになったことはないが、それは、女を好きになる前に瞬に会ってしまったからで、俺は 男が好きなわけじゃない。 瞬は女より綺麗だから好きだが、俺の本来の理想の人はマーマだ。 マーマが理想だ。 マーマより綺麗で、マーマより俺を愛してくれる人はいないだろうから、理想なんて 思い描くだけ無駄だとは思っていたが、マーマみたいに綺麗な女の子に恋をして、その子も俺を好きになってくれたら、それが俺の理想の実現なんだろうと、ぼんやり思うくらいのことはしていた。 それが、瞬に出会って、全部 消滅。 瞬は俺を信じてくれていて、俺も瞬を信じている。 瞬は決して俺を裏切らないし、俺も絶対に瞬を裏切らない。 瞬は命をかけて俺を守ってくれる。俺も命をかけて瞬を守る。 それは俺たちにとって特別なことじゃなく、ごく普通のことで、ごく 当たり前のことだ。 一応、それは 星矢や紫龍や一輝も同じだとわかっている。 憎まれ口を叩きながら、結局 俺は あいつ等を信じているんだ。 奴等だって、俺が死にかけていたら、助けようとするだろう。 俺も そうする。 おんなじなんだ。 みんな、おんなじ。 言葉にすると、みんな同じ。 だが、俺は、瞬だけは特別だと感じる。 星矢たちは 信頼できる仲間で友で、瞬も そうだが、瞬はそうじゃない。 瞬のせいで、俺の人生設計は滅茶苦茶になった。 一生の心の予定が狂った。 いつ死ぬかわからないアテナの聖闘士は、普通の人生なんて、早めに諦めた方がいいんだろうから――だから、瞬に出会ってよかったんだろうな、俺は。 俺は、地上世界の平和を守るために戦う。 その戦いは、いつだって命がけだ。 明日にも終わるかもしれない未来のことなんて、真面目に考えたり、深刻に思い悩んだりしても、それこそ時間の無駄なんだ。 未来なんて、いつまで続くかわからないのに。 きっと瞬も、死ぬまで ずっと俺の仲間でいてくれる。 瞬みたいに綺麗なのは、女に敬遠されるに決まってるから、誰かに取られる心配はしなくていい。 瞬は、世界の平和を何より望んでて、聖闘士としての使命感に燃えてるから、それが実現しない限り、他のことは考えないだろう。 世界の平和なんてものは、まず永遠に実現しないから、俺はずっと瞬と一緒にいられる。 ここで5行ほどの改行。 その5行で、この文書を作った人間は 自身の気持ちを整理することができたのかもしれない。 そのための5行だったのだろう。 しかし、瞬は――瞬には、たった5行ばかりの改行で、混乱する思考を整理することは不可能だった。 よし。すっきりした。 そう絶望的な状況でもない。 瞬はきっと、ずっと俺の仲間だ。 俺は、悲観しなくていい。 瞬は 俺の恋人になってくれないだけだ。 ただそれだけ。 大丈夫だ。 アテナの聖闘士は、いつ死ぬか わからない。 未来のことなんて考える必要はないんだ。 俺と瞬が死ぬまで一緒にいられることは確実だから、心配はいらない。 『拝啓』のない“自分”宛ての手紙の文末には、『敬具』も『敬白』もなく、唐突に終わっていた。 この手紙を書いたのは、氷河だろう。 彼以外に考えられない。 アテナの聖闘士で、“瞬”という名の仲間がいて、理想の人が“マーマ”。 その条件に当てはまる人間は、捜索範囲を地球誕生の時まで溯り広げても、氷河一人きりだろう。 この手紙が書かれたのは、ハーデスとの戦いが終わった頃だろうか。 もう少しあと、過去からの帰還を果たしてからか。 古い紙。 今では骨董品扱いになっているプリンターの印字。 氷河がパソコンや携帯電話の類を敬遠しなくなったのは、いつ頃だったか。 自分が医学部に入学し、講義や実習に忙しくなった頃にはもう、携帯電話で連絡を取り合っていた記憶がある。 プリンターの年代を考慮すると、自分が15~7歳、氷河が16~8歳。そのあたり。 二人はまだ、信頼し合う、ただの仲間同士だった。 これはクロノスのいたずらなのだろうか。 瞬が最初に思いついた合理的な説明が、それだった。時の神クロノスのいたずら。 それは大いにあり得ることだったが、だとすると矛盾が生じる。 時を超える(超えさせる)ことのできるクロノスが、十数年前の手紙を瞬時に現在に運んだのだとしたら、手紙は古ぼけていないはずなのだ。 では、この不思議は クロノス以外の何らかの力によって生じたもの。 この不思議の不思議な点は、“時間”ではなく“空間”なのだ。 手紙は 普通に十数年前に作られ、順当に十数年の時間を経て、現在に至った。 そこに、どんな不思議もない。 その手紙が、このポストの中に出現したことこそが この不思議の本質なのだ。 光速移動が時間の進行を遅くするのは、アインシュタイン先生の説明を待つまでもないことだが、これは そういう現象ではない。 そんなことを言っていたら、黄金聖闘士たちが光速移動できることの方が、(一般人には)よほど不思議なことだろう。 十代の氷河は、手紙の中で、『この手紙を出すつもりはない』、『これは自分への手紙だ』と断じている。 瞬は、だが、今、この氷河に手紙を出したかった。 この氷河の考え方を改めてやりたかった。 『君には未来があるよ』と教えてやりたかった。 自分には未来がないと決めつけて 刹那的な生き方をしていると、“氷河”は きっと後悔する――そして、幸せになれない。 人は、嘘でも、自分には未来がある、確かな希望があると信じて生きている方が、日々を幸福に生きていられるのだ。 ほとんど 突き動かされるように、瞬はペンを手に取っていた。 パソコンで返事を書くことも考えたが、あえて手書きにしたのは、そうした方が、この手紙が大人の手に成るものだと信じてもらえるだろうと考えたから。 便箋は、桜色。 返事を書いたとしても、届ける術はないのに、瞬は書かずにいられなかったのである。 氷河に幸せになってほしいから。 少しでも、氷河に幸せに近付いていってほしいから――幸せから遠ざかってほしくないから。 その気持ちが強すぎて、瞬は書かずにいられなかった。 |