『君は幸せになります』 氷河に そんな手紙を書いたからには、氷河の幸せの海を 自分が乱すわけにはいかない。 小さな さざなみ一つ 起こすわけにはいかない。 腹をくくって、ナターシャへの手紙――氷河の娘への手紙を書こうと、瞬が意を決した時だった。 瞬のスマホに、氷河から電話がかかってきたのは。 「瞬! ナターシャの熱が高いんだ。咳はしていないが、顔が真っ赤で――こういう時、俺は どうすればいいんだ !? 瞬! 助けてくれっ」 『クールな聖闘士には なれていなくても、クールなバーテンダーは できているんだ』と言っていた氷河が、『俺の辞書に“クール”の文字はない』と言い出す時は、間近である。 瞬が疑いなく そう確信できるほど、氷河の声は掠れ、上擦り、取り乱していた。 「慌てないで。熱が高いって、何度くらい? 子供の体温って、もともと高いものだから――」 「そんなもん、わかるかっ。体温計なんてものが、俺の家にあると思うのかっ」 そんな自慢にもならないことを、大声で がなり立てないでほしい。 子供用の衣装棚が いっぱいになるほどの服を買う間に、体温計を買うことも思いつかなかったの? 小さな子供の父親なのに? ――と、瞬は氷河を責めるわけにはいかなかった。 それは、氷河の友人が氷河に進言しておかなければならないことだったのだ。 非は、子供は熱を出しやすい生き物なのだということを、氷河に教えておかなかった自分の方にある――。 「すぐ行く。氷河、焦って、自分の小宇宙でナターシャちゃんの熱を下げようとしたりなんかしちゃ駄目だよ。子供の発熱は、免疫力強化のために必要なことでもあるんだから、そんなに慌てる必要はない。氷河の凍気で、ナターシャちゃんの身体を冷やしたりしたらどうなるか、冷静に考えて――」 「瞬! ナターシャが死んでしまう……っ!」 「……」 氷河のマンションは、瞬のマンションから 一駅と離れていないところにあるのだが、氷河の この取り乱しようでは、普通の移動手段で移動している余裕はなさそうだった。 氷河が馬鹿なことをしでかす前に――瞬は、一瞬で氷河とナターシャの許に光速移動したのである。 本来 こんなことのために使ってはいけない力。 だが、ナターシャの身体は一般の子供とは違うので、瞬も、万一のことを案じないわけにはいかなかったのだ。 幸い、ナターシャの発熱は、子供にはありがちな(だが、もちろん放っておいていいものではない)発熱で、半日ほどで37度5分まで下がった。 そこから平熱に戻るまで3日ほど。 ナターシャはベッドを出たがったが、氷河はそんな我儘(?)をナターシャに許さなかった。 ナターシャの発熱初日、氷河は仕事を休んだ。 翌日以降は、氷河と瞬と紫龍、そして春麗が交代でナターシャに付き添い。 その間、瞬は、どちらかといえば、ナターシャより氷河を落ち着かせるのに手間取って、ナターシャへの手紙を書くどころではなかった。 ナターシャの容態が小康を得たあとは、ナターシャの部屋で、子供の発熱や病気に関する一般的な知識と対応方法を、氷河にレクチャー。 ナターシャは、パパのお勉強の内容を、パパより熱心に聞いていたかもしれない。 看病や教育のために 毎日 氷河のマンションに通い 直接会っていたので、瞬は あえて手紙で ナターシャとコミュニケーションを図る必要はなかった。 そうして、ナターシャの発熱を発端とした一連の騒動が治まった時には既に、ポスト購入の日から10日以上の日が過ぎていた。 ナターシャへの手紙の件は、いっそ このまま うやむやにしてしまおうかと、瞬は考えたのである。 ナターシャがポストのことを忘れてくれているのなら、それで何の支障もないだろう――と。 見方によっては 後ろ向きに――もとい、どんな見方をしても、それは後ろ向きだった――そんなことを考えながら、瞬は 再び、久し振りに 赤いポストを手に取り――そして、気付いたのである。 いつのまにか、赤いポストに 一通の手紙が届いていたことに。 現代で、ナターシャの発熱のために 氷河がパニックを起こしていた頃、過去では、過去の氷河が 瞬の手紙のせいで――瞬の手紙への怒りのせいで――冷静さを失っていたようだった。 |