おまえは誰だ。 これはクロノスのいたずらなのか。 だとしたら――だとしても、おまえは なぜ そんな嘘をつくんだ。 嘘だ。 嘘に決まってる! おまえが書いてよこしたことは、みんな嘘っぱちだ。 俺は瞬が好きだ。 小さな女の子のパパになんか ならない。 パパ? 何がパパだ、馬鹿馬鹿しい。 瞬への俺の気持ちが変わるはずがない。 俺は瞬を好きなまま、他の女と子供を作ったりもしない。 おまえの書いてきたことなんか信じない。 俺に未来なんかない。 嘘つきめ。 いったい 何が目的なんだ。 俺に自分への不信感を抱かせて 戦えなくすることか? そうなのなら、その目論見は、残念ながら成功しないぞ。 俺は瞬を好きだ。 瞬だけを、ずっと好きでいる。 それ以外の未来なんかないし、それ以外の未来は信じない。 俺が瞬を好きでなくなっている未来なんて、そんな未来は ありえない。 俺は騙されないぞ。 そんな未来なんてない。 俺が未来に瞬を好きでなくなっているはずなんかないんだ! 一通目の手紙に比べると短い。 書いてある内容も、ただ、『嘘だ』『信じない』だけ。 いかにも 若く まっすぐな年頃の少年が書いた手紙である。 大人になり切れず、かといって 子供でもない、十代の微妙な時期。 多感で一途な少年は、自分の心が変わることを恐れ、嫌悪するのだ。 この手紙を書いた少年の氷河は、怒りのせいで、あまり冷静ではない。 “あまり”冷静ではない――つまり、全く冷静でないわけではない。 冷静な判断力を完全に失っていたら、この手紙を書いた氷河は、その怒りを直接 自分の手で紙にぶつけていたはずだった。 手紙が 手書きではなく印字されているということは、怒りに任せて書きなぐった自分の文字を 判読してもらえない可能性を考慮するくらいの冷静さが、彼にはあった――ということだろう。 二通目の手紙も、前回と同じ、荒い印字。 紙も、一通目と同じサイズのOA用紙。 それは、一通目の手紙同様、時を経て 薄茶色に変色していた。 つまり、この手紙は十数年前に書かれたもので、十数年後の未来に生きている自分が 読んで慌てることに全く意味はない。 それは わかっていたのだが、それでも瞬は慌てた。 もしかしたら、この手紙は、10日も前に このポストに届いていたのかもしれないと思うと、瞬は慌てないわけにはいかなかったのだ。 十代の氷河が、これほど頑なに“瞬を好きでいる自分”を信じていることに、瞬は驚いた。 あの頃の氷河は、そんなことを おくびにも出していなかったのに。 ――そう思ってから、自分の嘘に気付く。 氷河が自分を見ていることに、瞬は 気付いていなかったわけではなかった。 昔から、氷河は 自分の感情を隠すことが 下手だった。 わかりやすい表情を作らない分、氷河の瞳は 恐ろしく雄弁なのだ。 瞬はただ、気付いていない振りをしていただけで、気付いてはいた。 なぜ 気付いていない振りをする必要があったのかは わからない。 人間として、アテナの聖闘士として、そんな恋はよくないものだと思っていたのだったか、あるいは、気のせいだと思おうとしていたのだったか。 とにかく 瞬は、ずっと何かに縛られ、規制されていた。 『好きだ』という感情の前では、“愛”というものの前では、どんなルールも無効で、どんな力も無力になる――なっていいのだと、氷河に口説かれ、説得され、『おまえは、俺を不幸にしたいのか』と脅されて、その振りをやめることにした時、氷河の腕の中で、瞬は これ以上ないほどの自由を感じたものだった。 ともあれ、急ぐ必要はないのに、瞬は急いで、多感で一途な氷河への返事を書いたのである。 今の自分たちの関係や、“瞬”に対する氷河の思いには言及しにくかったので、その件には触れずに。 未来の氷河の娘は、氷河とは血の繫がらない少女で、戦いの犠牲者だということ。 未来の氷河は、血の繫がらない少女を、血の繫がった父親も及ばないほど、深く強く愛し慈しんでいること。 そして、少女に母親はいないこと。 “瞬”には言及せず、だが、氷河が“瞬”への思いを裏切ったわけではないのだとわかるように、瞬は、過去の氷河への二通目の手紙を書いた。 そうして、赤いポストに投函。 投函した翌日、ポストから手紙が消えたことを確認。 瞬の二通目の手紙への返事が来たのは、それから更に3日後のことだった。 氷河からの三通目の手紙。 冒頭に『拝啓』や時候の挨拶はなく、今日も氷河の手紙は1行目から用件に入っていた。 |