使いようがなくて――僕がアンドロメダ島から持ち帰った財宝は換金され、結局 そのまま、特段の運用もせずに、世界各地の銀行に預けたままになっている。
日本は低金利時代が長いけど、他国では 金利がついて、かなり増えているだろう。
使う必要がなかったんだ。
聖闘士の体力と能力があれば、大学の医学部で学ぶための学費でさえ、自力でどうにかできた。

僕が、すっかり忘れていた資産のことを思い出したのは、ナターシャちゃんが 氷河のところに来たから。
彼女の親として、彼女の将来について話し合っていた時、あの氷河が ナターシャちゃんの学資の心配を口にしたから、おかしくなって。
5兆円あったら 僕のためにハンカチを1枚買うなんて、経済観念の“け”の字もないようなことを言っていた氷河が、娘の学資の心配をするなんて、これは、氷河が大人になった証なんだろうか。

5兆円あったら、僕のためのハンカチを1枚だけ買うと言ってくれた氷河。
暗に、2枚は必要ないと言ってくれた氷河。
あれから いろいろあって、僕は今、彼の娘のマーマをしている。
実際には存在しないハンカチ1枚で、僕の心を掴んでしまったんだから、氷河は とんでもない人たらしだ。
氷河は 決して認めないだろうけど。
氷河は、自分を不愛想で不器用で 人付き合いが苦手な人間だと思い込んでる。
それは、ある意味、事実だけど、それは 大いなる誤認でもある。
氷河ほど他人の心を自分の望み通りに操る人間を、僕は他に知らない。

そんな氷河に溺愛され、そんな氷河を意のままに操るナターシャちゃん。
ナターシャちゃんは、5兆円を どんなふうに使うだろう。
ナターシャちゃんなら、僕には思いつかない大胆な使い方を思いついてくれるかもしれない。
そう考えた僕は、軽い気持ちで、でも 半分 本気で、かなり期待して、訊いてみたんだ。
「ナターシャちゃんは、お金が 5兆円あったら、どうする? 何か欲しいものや したいことがある?」
って。

「ゴチョー円て、五千円より多いの?」
と問い返された時点で、僕は もう笑い出していた。
「そうだね。お店で売っているものは何でも買えるかな。大抵のことは 何でもできる。お店にあるお洋服を全部 買うこともできるし、ケーキ屋さんのケーキを全部 食べることもできるし、ナターシャちゃんのための 大きな お城を建てることもできるよ」
ゴチョー円の説明として、それは適切だったのか 不適切だったのか。

「お店には、可愛くないお洋服もあるし、“ケーキは1日1個まで”だし、大きな お城だと、パパが迷子になって、ナターシャのところまで来れなくなっちゃうかもしれないし――」
ナターシャちゃんは、僕が例示した5兆円の使い道の例えを、衣食住 すべて却下した。
でも、それで、考えるのを途中で やめてしまわないところが、ナターシャちゃんの長所だ。

「何をしてもいいノ?」
「うん。“もし、あったら”のお話だから、ナターシャちゃんの したいことを教えて」
「うぅぅーーーんんん」
低い呻き声を洩らして、眉間に皺を2本も刻んで、ナターシャちゃんが真剣に考え始める。
到底 軽いゲームの乗りとは思えない真剣な表情。
僕は、『ナターシャは、学校に行くために、進学学資金として積み立てるヨ!』くらいの真面目な(?)答えを覚悟したんだ。
幸か不幸か、ナターシャちゃんが 思いついた“ゴチョー円の使い道”は、氷河の経済力を疑うようなものじゃなかったけど。

ナターシャちゃんが思いついた“ゴチョー円の使い道”。
それは、
「ナターシャは、光が丘公園の芝生の雑草取りをやめさせるヨ!」
だった。

「えっ」
完全に想定外。
お洋服でも ケーキでも お城でもなく、雑草。
ナターシャちゃんの答えが 思いがけなくて、僕は 暫時 ぽかんと呆けてしまった。
ナターシャちゃんは、もちろん大真面目。
一生懸命、真剣に、真面目に考えた上での雑草だったみたい。
「あのネ。光が丘公園の芝生に生えてくるクローバーやナズナやカタバミを、公園のお世話をするおじちゃんや おばちゃんたちが取っちゃうんダヨ。芝生を綺麗にしておくためなんだって。雑草の方が芝生より強いから、取っちゃわないと芝生広場が雑草広場になっちゃうんだって。デモ、クローバーやナズナやカタバミは何も悪いことしてないのに、取られちゃうのはかわいそうだから、ナターシャは、光が丘公園に ゴチョーエン雑草広場を作るヨ!」

スケールが大きいような小さいような、不思議な願い。
ナターシャちゃんのゴチョーエン広場は、お金をかけなくても、公園の芝生の世話をやめれば 自然に叶う願いだ。
でも、それは なかなかいい 5兆円の使い道かもしれない。
世界のあちこちに、それなりの規模の土地を買って、自然を守る――というのは。
「ナターシャちゃんのゴチョーエン広場かぁ。素敵だね。自然保護の観点から見ると、それは とってもいいアイデアだよ。さすがは ナターシャちゃん」
「ウフフ」

僕に褒められると、ナターシャちゃんは嬉しそうに笑み崩れて、僕に褒められたことを氷河に褒めてもらうために、氷河の膝の上に 弾むように移動していった。
こういうことも、大きな お城の広い部屋に余裕をもって置かれている ごてごてしたロココ風の椅子じゃなく、ほどよく狭いマンションの一室に並べて置かれているローソファに掛けているからできることなのかもしれない。
パパとの間の距離が広がるだけなら、確かに ナターシャちゃんは大きな お城になんか住みたくはないだろう。

ナターシャちゃんから、5兆円の使い道に関して、有益なアイデアをもらった僕は、次に星矢たちが 僕たちの家に遊びに来てくれた時、彼等に訊いてみたんだ。
もう20年も前に、みんなに投げかけた、そのIF文。
みんなは忘れてるだろうけど、だからこそ今のみんなの―― 大人になった みんなの意見が聞けるかもしれないと思ったから。






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