『船賃はたっぷりもらってある。いちばんいい船室を提供するぞ』って、ヒュペルボレイオスの旗を掲げた帆船の船長は そう言ってくれたけど、俺は 結局 その船には乗らなかったんだ。
一緒に遭難した大人たちとは、そこで別れた。
ヒュペルボレイオスに帰っても、マーマはいない。
暮らしが きつくなって、ヒュペルボレイオスの都に仕事を探しに出た時の遭難事故だったから、元の村に帰っても、もう 俺の家はない。
家があったって、そこにマーマがいないんじゃ、そこで暮らすことに意味はない。
俺は、今 自分がしたいことは何なのかを考えたんだ。

深く長く考えるまでもなく、『瞬にもう一度 会いたい』っていう望みが、俺の頭と胸をいっぱいにした。
でも、俺は、瞬から見たら、ただの異国のみなしごだ。
そして、瞬は、この世界で1、2を争う大国の王子様。
でも会いたい。
地べたを這うように生きている貧しい みなしごが、大きなお城の奥深くにいる高貴な人に会う方法は、ただ一つしかなかった。
瞬の侍従のおっさんが言ってた、アテナの聖闘士。
『アテナの聖闘士にでも ならない限り』は、つまり『不可能だから、諦めろ』ってことだけど、アテナの聖闘士になるしかないなら、俺は それになるぞ。



俺は、ヒュペルボレイオスには帰らず、アテナの聖闘士になる修行をするために ギリシャに向かった。
ギリシャのアテナイにある、女神アテナの地上での御座所、聖域に。

アテナの聖闘士ってのは、俗世界の身分制度を超越した特別な闘士のことだ。
地上世界を守護する女神アテナに従って、地上世界の平和を守るため、地上世界への侵略を企む 邪神配下の戦士たちと戦う存在――らしい。
でも、そんなことはどうでもよくて、重要なのは、アテナの聖闘士は、俗世界の身分制度を超越し、地上世界の各国の法に縛られない特権者だってこと。

超人的な力を持つアテナの聖闘士は、国ではなく世界を守る者。
どんなに大きな国の王家の者でも、アテナの聖闘士に謁見を求められたら応じなければならないことになっていた。
それぞれの国の法も罰則も、多くの場合、アテナの聖闘士の意思(つまり、女神アテナの命令)の前には効力を失う。

それはそうだろう。
世界がなくなってしまったら、国は存在し得ない。
国が滅びたら、その国の民は よその国の民になればいいが、世界が滅びたら、国は よその世界の国に――なれない。
もちろん、この地上世界では どこの国でも、アテナ(の聖闘士)の意思最優先。
崇高な志を持つ王や王子が、アテナの聖闘士になりたいと望むことも多い。
とはいえ、生まれが高貴だからといって、なれるとは限らないのがアテナの聖闘士。
だから、アテナの聖闘士は、超特権階級。超法規的存在なんだ。


瞬に会って謝るために、俺は聖闘士になることにした。
聖闘士になれば、どんな王国の王宮にでも入れるし、どの国の王にも王子にも会うことができる。
もちろん、瞬にも会える。
瞬に もう一度 会えるのなら、世界のためにでも宇宙のためにでも、喜んで戦うさ。
マーマを失った俺には もう、生きている大切なものは、瞬しかいない。
人は、自分の大切なもののために生きて、そうすることに幸せを感じる生き物だ。
俺は、自分の命を意味あるものにするため、自分の生を幸せなものにするため、俺が生きるため、俺自身のために、アテナの聖闘士になる決意をしたんだ。
そのために、ギリシャに向かった。






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