中肉中背。 瞬より老けて見えるが、瞬より年下。 スーツは、無難なものではなく――スタンダードなものでもなく、トラディショナルなものでもなく――今風。 身なりに 気を遣う方なのだろう。 医師に なくてはならない清潔感もある。 外見と知能に問題はない――むしろ 標準以上と言ってよさそうだった。 だが、だから全人格に問題がないかというと、そんなことはないのが人の世の常。 堂草医師には、かなり問題がありそうだった。 「せっかく 瞬先生と ご一緒できると思って わくわくしていたのに、所用で親睦会に出席されないというから、誰かと会う約束でもしているのかと気になって、こっそり あとをつけてきたんです」 などという台詞を、“こっそりと”ではなく 堂々と言ってのけるところを見ると。 「ご一緒できるも何も、ほぼ毎日、病院で会っているじゃないですか」 瞬は、同僚医師が何を言っているのかわからない――という顔をした。 今 この場での堂草医師は、挙動のみならず発言内容も かなりおかしい不審人物だが、平生の彼の勤務態度は 至ってまともなのだろう。 瞬は、同僚医師の変貌に 戸惑っているようだった。 「僕は外科で、瞬先生は総合診療科。会えない日も多いじゃないですか。せっかく 苦労して、瞬先輩が勤務している病院に潜り込んだのに、これじゃあ、『労多くして、益少なし』もいいところだ」 「つけてきたのは、今日だけではないのか。紛う方なきストーカーだな」 氷河の下した診断結果を、堂草医師は完全に無視した。 もしかしたら無視したことを隠すために、ふいに 思い立ったように、店内の あちこちに視線を飛ばし、店の診察(?)に取りかかる。 彼の診察は、1分とかからずに終わった。 「何か かっこいい お店ですね。開店前なのに入れるということは、こちらのイケメンバーテンダーさんは瞬先生の、友人、ご親族――同窓ではないですよね?」 その診断内容は、医師免許がなくても下せるような詰まらないものだったが、少々 皮肉が入っている。 こういう反撃の仕方をされるとは思っていなかったが、その攻撃内容は 目を瞠るほど面白いものでもない。 氷河は、いつも通り無表情で、その皮肉に応じた。 「残念ながら、俺の頭と瞬の頭は、数が一つだということ以外、全く似たところがない。幼馴染みだ。20数年来の」 「幼馴染み。なるほど」 何が『なるほど』なのか。 氷河が 声には出さずに発した疑問文は、もちろん今度も堂草医師の耳には聞こえなかった(ようだった)。 「僕は、瞬先生と同窓で、光が丘病院に勤務の同僚であると同時に、同志なんです」 そう宣言する堂草医師は、どこか誇らしげ。 「同志?」 声にしないと聞こえない堂草医師のために、最低限の音声を作ってやる。 俺は いつから こんなに親切な男になったのだろうと、氷河は胸中で 自分に感心していた。 堂草医師は、どう見ても聖闘士ではない。 瞬より体格はいいが、身体能力、運動能力、意思力、精神力は、どれも瞬の100分の1にも及ばないだろう。 そんな二人が、どんな敵や障害を相手に 共に戦う同志たり得るというのか。 声の効果は絶大で、堂草医師は、氷河の極めて不完全で わかりにくい質問に、今度は ちゃんと答えを返してきた。 「ええ。院長や各部門長たちの“結婚しろしろ”攻撃に、共に抵抗しているんです」 瞬と堂草医師の共通の敵は、邪神ではなく魑魅魍魎の類らしい。 つい、『なるほど』と声に出して言いそうになって、氷河は こっそり舌を噛んだ。 「医師は、家庭を守ってくれる配偶者を持つことで、心置きなく働くことができるようになるのだとか何とか、訳のわからない屁理屈を掲げて、医師になれなかった娘を持つ お歴々が、ことあるごとに我々に迫ってくるんですよ」 まさか 瞬が、務め先で そんな敵と日夜 戦っていたとは。 氷河が ちらりと瞬を見やった先で、瞬は軽く肩をすくめた。 そして、声には出さず 目で、『黙っていて』と氷河に合図してくる。 瞬の声なき声を聞き取る耳を持っている氷河は、瞬の指示に従った。 瞬が 氷河に口を挟まぬよう言ったのは、堂草医師に心置きなく持論を披露させるためだったらしい。 堂草医師は、開店前のバーで、彼の考えを滔々と語り始めた。 「脳科学的に、人間の恋愛感情は3年間しか続かないことが証明されている。人間の身体は、恋愛の高揚感をもたらす快楽物質ドーパミンの放出が、一人のパートナーに対して 3年で終了するようにプログラミングされているんです。つまり、二人が出会って儲けた子供が一人で支障なく歩けるようになる2歳くらいまで。二人の子供が一人で歩けるようになる頃、恋を持続させるドーパミンの放出は止まり、二人の恋は冷める。互いに飽きた二人は、別の遺伝子を残すため、別のパートナーを探し始める。それが動物学的には自然なんです。永遠の愛なんてものは 存在しない。自分の一生を縛る結婚なんて契約事は、無意味かつ無益。自分で自分の首を絞める行為なんだ」 酒は(まだ)一滴も飲んでいないはずなのに、まるで何かに酔っているような口調で、堂草医師は派手に一席ぶってくれた。 一息ついてから、「友情は永続するのかもしれませんが」と、氷河と瞬への気遣いらしい一言を追加してくる。 ともあれ、恋愛感情3年限界説の信奉者である彼は、その3年が過ぎる前に――1、2年で恋人を変えるようにしているとのこと。 東大医学部出の医師というだけで、相手に不自由することはないらしい。 『その優秀な頭脳の遺伝子を、人類のために 後世に残す義務があるのではないか』と、お偉い方々は、彼に言うのだそうだった。 『ウチの娘(もしくは孫娘、もしくは姪)は、なかなかの美人ですよ』と。 「院長も副院長も事務局長も、さすがに 瞬先生には それは言わないでしょうけどね。お歴々の娘も孫娘も姪っ子も、瞬先生より美人のはずないんだから。僕が察するに、瞬先生には『気立てのいい子ですよ』とか何とか言ってるんじゃないかな」 瞬が困ったように笑うところを見ると、堂草医師の推察は的を射ているらしい。 嘘とわかっている賛辞は逆効果。 仲人口にも、最低限の良識はあるということか。 「自分を遺伝子の乗り物扱いされた時には、僕は、アインシュタインとマリリン・モンローの逸話を出して、お断りしていますよ」 その昔、マリリン・モンローがアインシュタインに、 『私の顔とあなたの頭脳を持った子供が生まれたら、素晴らしいと思わない?』 と言って、プロポーズした。 20世紀最大の天才は、アメリカのセックスシンボルに、 『私の顔と、あなたの頭脳を持った子が生まれたら、最悪だ』 と答えた(と言われている)。 堂草医師は、つまり、彼に縁談を持ってくる お歴々に、『あなたが推薦する女性は、僕の優秀な遺伝子を損ねるだけの存在だ』と放言しているらしい。 なかなかの度胸である。 そんな男の遺伝子に、氷河は全く興味なかったが。 「その逸話の登場人物は、イサドラ・ダンカンとバーナード・ショーじゃなかったか」 氷河がカウンターの中から、モダンダンスの祖とノーベル賞作家の名を出すと、 「サラ・ベルナールとバーナード・ショーのやりとりだったという説もあるね」 瞬は、カウンターの向こう側で 第三の説を持ち出してきた。 「どちらも創作――アインシュタインとモンローのやりとりは、確実に創作だろうね。その時代のアメリカ人にわかりやすい登場人物を配置して作られたジョークだと思うよ」 「瞬先生は、人類のために、美貌も頭脳も残さなければなりませんよ。瞬先生は、質の劣った配偶者の遺伝子を混ぜるより、体細胞核移植用の体細胞を多く残して クローンを作った方が人類の発展に寄与できそうだ」 冗談で言っているのか、本気なのか。 全く真顔の堂草医師の真意を、氷河は測りかねた。 「僕は、後世に 自分の何かを残したいなんて思っていませんよ。残したいのは……せいぜい 心くらいかな」 「頑張って、抵抗しましょうね、瞬先生」 笑顔で瞬に首肯する堂草医師は、瞬の心を正しく理解しているのだろうか。 堂草医師の理解度と真意はわからなかったが、氷河には、瞬の気持ちがわかっていた。 アテナの聖闘士が未来に伝えたいものは、平和を願う心と希望。 ただそれだけなのだ。 |