「理事長室に乗り込むぞ」 一輝が そう言ったのは、部費の予算案調整などで代理戦争をするのは、彼の性に合わないからだった。 喧嘩は、直接、対面で。 それが、戦いの複雑化長期化を避ける最善の戦い方である。 一輝は そう考えていた。 「俺たちが乗り込んでいくと また、辰巳が竹刀を振り回して、俺たちを追い返そうとするぞ。辰巳は、それで壊した備品の代金をキッグクシング部に請求してくるんだから、理不尽だ」 「それがさ、辰巳の奴、城戸の爺さんのお供で、今、欧州に行ってるんだと。国際剣道連盟の道場巡りだとか言ってた」 「ということは、お嬢様は今、ノーガードか?」 「誰かガードについていたとしても、雑魚の事務職だろうな」 「お嬢様は、むしろ、辰巳がついていない時の方が手強いのでは……」 「ははははは」 誰からともなく、乾いた笑いが洩れる。 確かに、沙織のボディガードである辰巳の一輝への攻撃は、超大国同士が直接 対決する事態を回避するための緩衝材的障害物のようなものだった。 その障害物が、今日はいない。 となれば、超大国同士の直接対決は免れ得ない。 ついに今日、その二つの勢力は直接対決することになる。――のだろうか? 「部員数は学内最多。部員たちは皆、自分がキックボクシング部の部員であることに満足している。部内に限らず、校内での いじめの存在を許さないことで、キックボクシング部は 城戸学園高校全校生徒の平和な学園生活維持に寄与している。キックボクシング部が廃部にされる理由は、何一つ ないんだ!」 自分自身と世界に言い聞かせるように そう言い、一輝は、拳で殴りつけるようにして、理事長室のドアを開けた。 「理事長! 城戸沙織! 民主主義の敵! 話がある。出てこい!」 『出てこい』と わざわざ言うまでもなく――城戸学園高校1年Zクラスに在籍する生徒にして、学校法人城戸学園高等学校の理事長でもある城戸沙織は、理事長室のドアの正面に置かれている黒檀製の大きな机のプレジデントチェアーに座り、パソコンの画面を眺めていた。 この場合の『出てこい』は、いわゆる様式美である。 ノックもなしに(アポイントメントも、もちろん取っていない)、理事長室に飛び込んできた生徒の無礼を咎めるでもなく、その迫力に怯えるでもなく――つまり、動じた様子を見せずに、沙織が、 「まあ、騒がしい。いったい何事?」 と、尋ねてくる。 その場で浮足立ち興奮しているのは、襲撃された側の沙織ではなく、襲撃側の一輝の方だった。 「何事も寝言もあるか! キックボクシング部のことだ! 学園で最大部員数を誇る部を一方的に廃部にしようとは、どういう了見だ!」 「そーだ、そーだ、横暴だぞ!」 一輝の怒声に 星矢の シュプレヒコールが続くのは、これもまた様式美である。 無言で一輝の脇に控えているのは、あまりに芸がない。 氷河と紫龍は、平気で その芸のないことをしていたが。 一輝の口撃に、沙織は、穏やか――というより、ビジネスライクな声で答えを返してきた。 「大会で入賞しないだけなら まだしも、参加すらしない運動部。高校の、同好会なら ともかく、相当額の部費が配賦されている正式な部活動で、それは 許されないわよ。しかも、120人もいる部員の中にキックボクシングの練習をしている生徒は一人もおらず、あなたたち4人が筋トレしているだけ。そんなキックボクシングを廃部にするのは、帰宅部を廃部にするようなものよ。トレーニング用の器具を購入するでもなく、遠征に出掛けるわけでもなく、合宿をするわけでもないのに、多額の部費を使って――部費の不正使用を疑われても当然の立場にあるのよ、あなたたちは」 「それは悪意ある言いがかりです。今年度のキックボクシング部の部費の50万は、辰巳が壊した理事長室の壺の弁償代で消えました。それは、沙織さんも ご存じのはずだ」 「それは払う方が馬鹿ね」 紫龍の弁明を、沙織が一蹴する。 それは確かに、沙織の言う通りである。 だが、キックボクシング部が相当額の部費を獲得するのは、使うためではなく、キックボクシング部が有力な部であることを示すためなのだ。 壺代を弁償しなかったら、使い道のない部費で、紫龍は部室の環境衛生維持のために最新型の掃除ロボットでも購入していただろう。 「キックボクシング部に、使途不明金など1円もないわ! いっそ来年の部費を全額、キックボクシング部存続の是非を問う全校生徒投票の実施費用に使ってもいいくらいだ!」 「キックボクシング部存続の是非を問う全校生徒投票だなんて、それがキックボクシング部の部活動だとでもいうの!」 「キックボクシング部存続の是非を問う全校生徒投票で、キックボクシング部が全校生徒の圧倒的支持を受けていることが公になるのは、お嬢様にとっては都合が悪いか」 「投票結果が あなたの思う通りのものになるとは限らなくてよ、一輝」 いつもなら、辰巳の『なんだ、貴様等!』という歓迎の言葉から始まる やり取りが、即座に本題に入れることの快適さ(?)。 快適すぎて、星矢などは 違和感を覚えていたのだが、そんな星矢のためなのか、沙織と一輝のやり取りに割って入る声があった。 「沙織さん、何かありましたか」 続き部屋になっている隣室から、ふいに、音声であること以外、辰巳の だみ声とは すべてが違う声が響いてくる。 優しく澄んで温かい、春の微風のような声。 声の主は、声だけでなく、声以外のすべても辰巳とは違っていた。 |