「蘭子さんのせいじゃありません。蘭子さんに防ぐことのできなかった事態なら、誰にも防ぐことはできなかったでしょう。誰かのせいだというのなら、それはナターシャちゃんを さらった者のせいです」 自分を責めて『ごめんなさい』を繰り返し、腰を折る蘭子に、瞬は慌てて 謝罪をやめてもらった。 瞬の言葉は わざわざ賛同の意を示す必要もないほどの正論。これが蘭子のせいであるはずがない。 ――と言わんばかりに、蘭子の謝罪を無視して、氷河は彼が責めるべき相手の模索に取りかかった。 「顔の無い者か」 誘拐犯が聖闘士でないなら、記憶のないナターシャを裏切者として狙う暗殺者集団が最も怪しい。 「違うと思うわ」 ナターシャ誘拐犯が顔の無い者でないことは、不幸中の幸いなのか、一層 悪い事態なのか。 その判断ができていない表情で、蘭子は首を振った。 「顔の無い者にしては、やり方がスマートすぎるもの。ナターシャちゃんを さらったのが 顔の無い者なら、もっと これみよがしに、なりふり構わずに やらかすと思うのよ。依頼された暗殺なら、依頼者の意向に沿って密やかに殺すこともあるでしょうけど、見せしめなら派手にやるはず。実際、日光では そうだったんでしょ?」 蘭子は、これは 誘拐のプロの仕事――と考えているようだった。 それは それで対応が難しいのだが。 「営利誘拐ということも考えられるのかな。ナターシャちゃんは、一応、医師の娘ということになっているし、僕たちが沙織さんと親交があることは、特に隠しているわけでもないから、誰にでも知り得ることだ。ナターシャちゃんが 多額の身代金を用意できる家の子だと思われることは、ありえないことではないと思う」 「もしそうなら、なによりもまず、警察に届けるなと 釘を刺してくるだろう。さらわれたのが大人なら、朝まで待ってみようという流れもあるだろうが、子供なら 誘拐か事故しか考えられないから、普通の家庭なら そろそろ警察に駆け込む時刻だ」 にもかかわらず――まもなく9時になるというのに、ナターシャを さらった者からは どんな接触もないのだ。 警察に捜索願いを出されても不都合のない誘拐犯というものはいるだろうか。 「ん……」 瞬たちには、一般人による誘拐は、(考えようによっては)最悪に類する事態だった。 ナターシャ誘拐犯が 聖闘士や顔の無い者なら、彼等はナターシャの身体の傷のことなど気にもとめないだろうが、一般人の目にはナターシャの傷だらけの身体は異様なものに映るだろう。 無事にナターシャを取り戻すことができても、ナターシャの身体のことが公になると、ナターシャは これまでのように 普通の女の子でいることができなくなるかもしれない。 人々の好奇の目にさらされ、ナターシャは深く傷付くことになるかもしれない。 それだけは避けたい―― 瞬たちには、それは ナターシャの死の次に避けたい事態だったのだ。 その事態を避けられるなら、瞬と氷河は、少々 荒っぽい解決方法を用いることを ためらうつもりはなかった。 営利目的の幼女誘拐犯など、五体満足でなくしてやった方がいいとさえ、氷河は(氷河のみならず、瞬までが)考えていた。 その日、結局、氷河と瞬の許に誘拐犯(?)からの連絡はなかったのである。 ナターシャをさらった者が誰であっても――たとえ それが営利誘拐犯であっても――警察に介入されると ややこしいことになるのは わかっていたので、氷河と瞬は 沙織に一報しただけで、警察に捜索願いを出すことはしなかった。 ナターシャが生きていることは、氷河にも瞬にも感じとれていたので、ナターシャをさらったのが顔の無い者である可能性はない――と、二人は踏んでいた。 顔の無い者なら、ナターシャの命をすぐに絶たずにいるわけがないのだ。 だが、では、ナターシャをさらったのは誰なのか――。 ナターシャをさらった者から連絡があったのは、ナターシャが消えてから2日後。 彼(彼女?)は、あろうことか、郵送で、氷河と瞬に ご大層な招待状を送りつけてきた。 場所は、最近 米国のIT企業に買収されたとニュースになっていた、米国資本のラグジュアリーホテルの小ホール。 『ご令嬢の健やかな成長を祝して、ささやかな宴を』と書かれた招待状には、場所と時刻の他に、『普段着で お越しください』という、ふざけた添え書きがあった。 |