「スミスさん。あなたは、僕たちの娘が どこにいるのかを ご存じですか。あなたの ご家族と一緒にいることは あり得ると思いますか?」 瞬に そう問われて――自分は よその家の娘を犠牲にしてもいいと思っているのに、瞬は そうではないことに、スミス氏は気付いたようだった。 初めて苦しげに、彼の眉根が歪む。 「令嬢の居場所は知らされていません。ゲイツバーグは、人を信じないんです。極力 仲間を作らない。私の妻子は、アラスカの――アリューシャン列島の小島にある彼の別荘にいるようです。私の妻子は、ゲイツバーグに言いくるめられて、自分たちが軟禁されていることに 気付いてさえいないでしょう。ゲイツバーグは、不老不死になるまでは 善良な市民を装っていなければならない。私の妻子は、おそらく あなた方の ご令嬢と同じように、イヴという名のAIを搭載したアンドロイドに見張られていると思います」 「わかりました」 そこまで疑り深い男なら、この場での やりとりもゲイツバーグはすべて(米国で)見聞きしていると思っていいだろう。 そして、そこまで疑り深い男なら、ゲイツバーグはアテナの聖闘士の存在や その能力には気付いていない――たとえ気付いていても、そんなものの存在を信じてはいないに違いなかった。 ゲイツバーグのような人間には、国家権力に強いられたわけでもないのに 地上世界の平和を守るために 自分の命をかける人間の存在が信じられないだろうから。 ゲイツバーグに、聖闘士や聖闘士に準ずる者は与していない―― ゲイツバーグの側に、(一般人から見れば)特殊な力を有する人間は ついていない。 となれば、それなりの対応を考えればいい――瞬は、それなりの対応を考えなければならなかった。 そうして、瞬は、まず 交渉の場にゲイツバーグ当人を引き出す策を講ずることにしたのである。 瞬たちは、不老不死ではないのだから、ゲイツバーグを不死人にしてやることはできない。 ゲイツバーグの望むものを彼に与えることはできない。 だが、それでは、スミス氏は 彼の任務を全うすることができず、ゲイツバーグは納得も満足もせず、ナターシャを取り戻すこともできないのだ。 瞬は、顔を強張らせているスミス氏に、一つの提案をした。 「あなたの雇い主に、僕の身体を提供すると伝えてください。僕の身体を切り刻んで、細胞でも何でも調べていいと伝えて。その代わり、僕たちの娘は返してください。あの子は不老不死なんかではないんです。むしろ、その逆。成長するかどうかさえ定かではない 頼りなく儚い命を、あの子は必死に生きている。あの子は、愛だけで命を繋いでいるような子なんです。あの子を あの子の父の許に帰してください」 「瞬」 瞬の提案に 物言いをつけてきたのは、スミス氏ではなく氷河だった。 氷河が 何が気に入らないのかを、彼に言われる前に察し、 「僕と氷河のどちらか、ゲイツバーグ氏の望む方の身体を提供します」 と言い直す。 氷河は それでもまだ少し不満そうだったが、それ以上 言葉を続けることはしなかった。 瞬の提案は、あくまで ナターシャを取り戻すためのものだということは、氷河も承知していたから。 「私には判断できない」 というのが、ゲイツバーグ氏の代理人の返答だった。 そして、彼は、瞬の提案を英訳して、 「どう答えますか。回答は、一時保留としますか」 と、何もない虚空に向かって尋ねた。 どこからか、瞬の提案を英訳した女性の声が聞こえてくる。 スミス氏の英訳は、この場でのやりとりを どこかで盗み聞いているゲイツバーグのためのもの。 女声の翻訳は、スミス氏の英訳が(故意に)捻じ曲げられていないことを確認するために、ゲイツバーグが別の人間に英訳させたもの――のようだった。 ゲイツバーグは、やはり、この場での やりとりを見聞きしている。 瞬は 英語で、スミス氏と同じように、虚空に向かって訴えた。 「ゲイツバーグさん。人は不老不死になっても、つらいだけだと思いませんか。人は皆、死ぬ。あなただけ死なないのは、好んで永遠の苦しみを 我が身に引き受けることです。永遠の命なんて、きっと それは、愛する人がいないと耐えられない孤独です」 「ならば、愛する人も不老不死にすればいい」 不老不死を望む人間のものにしては若すぎる声で、答えが返ってくる。 ジェフ・ゲイツバーグが まだ30代の青年だということを、瞬は 今になって思い出した。 『あなたのような人にも愛する人がいるんですか』と反問しかけて、その直前で、瞬は その残酷な質問を口にするのを思いとどまった。 人を信じることのできないゲイツバーグに そんな人がいるとは思えなかったが、『愛している』と思い込んでいる相手はいるかもしれない。 口にしかけた反問を、瞬は、 「その人が、未来永劫、あなたを愛し続けてくれると思いますか」 という一般論に変更した。 そんな一般論でも、ゲイツバーグには結構なダメージを与えることになったらしい。 彼は、虚空の向こうで黙り込んだ。 そして、ゲイツバーグが そんなふうに黙り込んでしまったことが、熾火のように 火種だけを胸中に ため込んでいた氷河の怒りに大量の燃料を注ぎ込んでしまったようだった。 「たまたま とんでもない幸運に恵まれ、一代で財を築き上げた、世界で五指に入る大富豪。成功を より大きな成功にすることに夢中になり、恋もせずに生きてきて、気付けば30半ば。資産額に自信はあっても、人間的魅力は皆無だから、今更 恋もできない。近付いてくる女が財産目当てではないという自信も持てない。かといって、財産を放棄することもできない。それこそ、無一文の自分は 誰からも相手にされない存在になるだろうと思うから。へたに遊んで 子供ができて財産分与を求められても困るから、AI搭載のアンドロイドだけが お友だち。善良な市民の振りをするために、汚れ仕事は すべて他人にさせて、自分は何もしない。何もできない。ナターシャの頭を小突くことさえ、小心者の貴様にはできない。そんな人生、俺なら 不老不死どころか、平均寿命まで生きるのも 御免だ!」 「氷河……!」 それは もちろんゲイツバーグを挑発し、彼の心を乱して、彼に何らかの行動を起こさせるための言葉なのだと、瞬は思おうとしたのである。 ナターシャを誘拐するという重大事件を起こしておきながら、その主犯の あまりの小物振りに 腹が立ったにしても、その怒りを 感情に任せて暴言にして吐き出してしまうほど、氷河は子供ではない。 ――はずだと、瞬は思おうとした。 そう思おうと、努力はしたのだ。 “クール”の意味を誤解していたにしても、子供の頃の氷河は もっと自分を抑えることができていた事実を思い出して、瞬は早々に その努力をやめてしまったが。 「氷河! 氷河ってば、不老不死どころか、成長すらせず、退化してない !? 」 心にダメージを負う暴言を聞かないために、おそらくゲイツバーグは もう聞き耳を立てていない。 ゲイツバーグは、交渉の席を立ってしまった。 立たせてしまった氷河を、瞬は責めたのだが、氷河は けろりとしたものだった。 「ゲイツバーグに致命傷を与えたのは、おまえだぞ。俺は 死に体になった奴の腹を、鬱憤晴らしに蹴りつけただけだ」 「それは そうだけど……」 「おまえの攻撃では、ゲイツバーグは一層 内にこもって陰湿になるだけだ。俺は むしろ、死にかけていたゲイツバーグにカンフル剤を投与してやったんだ。奴は すぐに、自分で動くぞ。プライドの高い、単純馬鹿。ゲイツバーグは、運がよすぎただけのタダのガキだ」 「氷河にガキ呼ばわりされるようじゃ、世界屈指の大富豪も 人類以前、爬虫類レベルだよ。今、沙織さんにジェフ・ゲイツバーグの監視を依頼した。アリューシャン列島のゲイツバーグの別荘の方には、場所を特定でき次第、紫龍が飛ぶ」 「あの……瞬さん、氷河さん……」 携帯機器等を操作した形跡もないのに、多方面への手筈が整っていく(らしい)様子に、スミス氏は困惑しているようだった。 瞬が彼を安心させるための微笑を作る。 「僕たちは不老不死ではありませんが、特殊訓練を受けた人間ではあるんです。僕たちの脳波のパターンが某所に登録してあって、その脳波の受容器が 僕たちの思考を読み取り、伝えるべき人間に伝えてくれる仕組みがあるんですよ。テレパシーのようなものです。スミスさんの ご家族は、1時間以内に 僕たちの仲間が保護します。ゲイツバーグ氏が何か企んだとしても、スミスさんとスミスさんのご家族は グラード財団が守ってくれます。安心してらしてください」 「は……」 瞬の説明に、スミス氏は、かなり長い間、呆然としていたが、やがてゲイツバーグよりは瞬たち(とグラード財団)の方が はるかに信用できると判断したらしい。 その信頼の証として、彼は彼の本名を 瞬たちに明かしてくれたのである。 ジョン・スミス氏の本名は、マイケル・ジャクソン。 偽名より偽名らしい本名に、瞬たちは どういう反応を示したものか、大いに悩んでしまったのだが。 |