結局、“綺麗”と“可愛い”の件は それで落ちがついたのだが、それでは ナターシャの気が治まらない。
ナターシャが求めているのは、難しい問題の答えではなく、その答えに辿り着けないペナルティとして与えられる(?)『ぼやーっと生きてんじゃねーよ!』という叱責なのだ。
『ぼやーっと生きてんじゃねーよ!』を手に入れるために、ナターシャは、難しい問題の出題者に、今度は瞬を指名した。
「じゃあ、難しい問題はマーマが考えて。ピコちゃん役は、魔鈴お姉ちゃん」

せっかく城戸邸まで遠出してきたのである。
ナターシャは、どうあっても、せめて あと1回、できれば、更に2、3回、魔鈴に『ぼやーっと生きてんじゃねーよ!』を言ってほしいのだろう。
となれば、この場合 重要なことは、問題の難易より、ナターシャが正答を知っているかどうかという点である。
ナターシャが正答を答えられない問題であることが重要なのだ。
素朴で難しい質問より、ナターシャが正答を知らなさそうな質問が。
その点を考慮して、瞬が発した質問は、
「じゃあね。ジングルベルのジングルって なあんだ」
だった。

「なあんだも何も、あれは、ジングルさんが思いついて作ったベルなんだろ」
ベル(質問というエサ)を与えられたパブロフの犬のように、ナターシャが答える前に、星矢が彼の答えを答える――もとい、反射行動を起こす。
星矢の答えに、瞬が ショックを受けて、暫時 ぽかんとしてしまったのは、これも(意識した行動ではないという意味で)反射行動といっていいものだったかもしれない。
何とか気を取り直して――絶望の中に希望の光を求めるかのように、瞬は星矢に確認を入れることになった。

「星矢……。それギャグだよね? 本気で言ってるんじゃないよね?」
「へっ。ジングルベルって、ジングルさんが作ったベルなんじゃねーの?」
星矢に真顔で問い返されてしまった瞬に、絶句すること以外、いったい何ができただろう。
そして、瞬と星矢の やりとりを聞いていた魔鈴にも、
「ぼやーっと生きてんじゃねーよ!」
と星矢を怒鳴りつけることの他に、できることは何もなかったに違いない。
ナターシャが、最後に食べようと思って 大切に取っておいたモンブランケーキの 飾りのマロングラッセを盗られたような顔になる。
「星矢ちゃんは答えちゃダメっ」
ナターシャに怒鳴られて、星矢は初めて、自分のミスに気付いたようだった。

「ジングルベルは、ベルの名前じゃありません! ジングルは、チリンチリンと鳴るっていう意味の動詞だよ。ジングルベルは、『ベルよ、鳴り響け』っていう命令文!」
瞬の解説は、星矢のためではなく、ナターシャのためのものだった。
魔鈴の『ぼやーっと生きてんじゃねーよ!』を 星矢に横取りされてしまったナターシャは、顔をくしゃくしゃにして、今にも泣き出しそうな様子である。
瞬は、ナターシャのために、慌てて次の問題を出題した。

「じゃあ、ナターシャちゃんは、どうして クリスマスツリーにベルを飾るのか、その訳を知ってるかな?」
今度 パブロフの犬の反射行動に出たのは魔鈴だった。
「それはアタシも知らないね。あのベルに、賑やかし以外の意味があったのかい」
答える役ではない魔鈴のぼやきに、ナターシャが亜光速で反応する。
「魔鈴お姉ちゃんは答えちゃダメッ!」
「あ、わりい。アタシ自身がぼやーっと生きちまったみたいだ」
「ああ~……」

せっかく答えを知らない問題だったのに、魔鈴に先を越されてしまった。
目の前で ナターシャに落胆の声を洩らされてしまった魔鈴は、御免と言って、ナターシャに頭を下げた。
「ナターシャちゃん」
ナターシャの落胆はわかるが、こちらは魔鈴に無理をお願いしている立場にある身。
瞬は、魔鈴とナターシャの間を執り成すように――むしろ、お茶を濁すために――問題の答えの解説を始めることになった。
「クリスマスツリーの飾りには、すべて意味があるんですよ。ベルは、イエスの誕生を広く地上に知らしめるためのベル、星は誕生したイエスの場所を示すベツレヘムの星。丸いオーナメントはアダムとイブが食べた禁断の果実、ヒイラギの飾りは イエスがかぶったイバラの冠、杖の形のキャンディは迷える人間を導く羊飼いの杖」
「へえー、そうなんだ。アタシはクリスチャンじゃないから知らなかったよ」
「俺はクリスチャンらしいが、知らなかったぞ」

氷河までが 呑気なコメントを付して、傷心のナターシャを更に傷付ける。
ナターシャの唇が への字と一文字の中間の形状になったのは、つまり、唇を きっぱり への字や一文字に結ぶことができないほど――怒りより悲しみで、ナターシャの心が揺れているということだろう。
鷹揚ではあるが、決して鈍感なわけではない星矢は すぐにナターシャの傷心に気付き、そして、責任感を感じたようだった。

「あー、わりいわりい。俺は ちょっと ぼやーっと生きすぎだな。ナターシャはお利口な いい子だから、基本的に ぼやーっとしてなくて、ピコちゃんごっこに向いてねーんだよ。代わりに、俺と お馬さんごっこしよう。俺が馬になってやるから!」
アテナの命令でも馬にならなかった星矢の お馬さん宣言の価値に気付いているのかいないのか、ナターシャは、
「お馬さんごっこより、グリコして遊ぼう!」
と、別の遊びを提案してきた。
「グリコ? 何だそりゃ」
「星矢ちゃん、グリコ、チヨコレイト、パイナップル、知らないノ? だったら、ナターシャが教えてあげるヨ!」

ナターシャは知識欲が旺盛だが、自分の知識を人様に伝授することも好きである。
彼女は、星矢が“グリコ、チヨコレイト、パイナップル”を知らないと知るや、喜び勇んで、星矢を客間の外に連れ出した。
段数が多くて、手擦りの間から上下左右を見渡せる城戸邸エントランスホールの大階段が、ナターシャは大好きなのである。
長くて広い階段は、“グリコ、チヨコレイト、パイナップル”を遊ぶのに最高最適の場所だった。






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