翌日、瞬が帰宅すると、ナターシャが 物凄い勢いで玄関に駆けてきた。
一度、瞬の膝に衝突してから、顔を上向かせ、瞬に大ニュースを知らせてくる。
「マーマ! おリンゴ、いっぱいダヨ! あんなにいっぱいあったら、おリンゴのスワンと、うさぎリンゴと、松ぼっくりリンゴと木の葉リンゴを作って、特大アップルパイを焼いて、それから お鍋いっぱいのジャムも作れるヨ! 毎日リンゴジュースダヨ!」
「え? おリンゴがいっぱい?」
ナターシャが 何を喜び興奮しているのかが、瞬には わからなかったのである。
ナターシャに手を引かれるまま、リビングルームに入っていくと、家を出る準備を整えた氷河が、いかにも合点がいっていない顔を、瞬に向けてくる。

「リンゴが一箱 届いてるぞ。発注数を間違えたのか? おまえらしくない。あんなにたくさん、どうするんだ。冷蔵庫には入れておくスペースがないから、箱ごとベランダに出してある」
そう言って、氷河が視線で示した先にあったのは、縦40センチ、高さ40センチ、長さは1メートル近くある木製の箱だった。
あの箱の中にリンゴが詰まっているのなら、中玉サイズで7、80個は入っているだろう。
とても三人家族(うち、一人は幼児)で片付けられる量ではない。

そして、それ以上に問題なのが、瞬は そんな大量のリンゴを買っていないこと。もちろん、自宅に届けるよう依頼も手配もしていないこと。だった。
「僕、帰る準備をしていた時に、入院している患者さんが院庭で転んで怪我をする騒ぎがあって、病院を出るのが遅くなっちゃったんだよ。氷河が お店に出る前に 家に着いてなきゃって、急いで帰ってきた。もちろん、病院から直行。これから、氷河と一緒に、ナターシャちゃんを連れて家を出て、買い物に行こうと思ってた。リンゴの配達の手配なんかしてる暇はなかったよ」

「おまえが頼んだんじゃないのか? 4時頃、宅配便で届いたんだ。近所のスーパーや 青果店の配達サービスじゃなく、産地直送だったんで、いくら何でも早すぎるとは思ったんだが」
「僕宛て?」
「間違いなく。届け先の住所は俺の部屋、受取人の名は おまえ。俺たちの事情を知っている人間でないと、こういう送り方はしないだろう。送り主も、おまえ自身。青森県の販売店から送られてきている」
「青森から産地直送なんて、少なくとも 昨日のうちに発注しておかなきゃ無理でしょう」
「だが、現に届いている」

それが どれほどあり得ないことでも、どう考えても無理な話でも、実際に目の前に実物があるものを、幻と言い張ることはできない。
既に ナターシャが1個 食べてしまっていたので、何かの手違いなら、こちらで買い取らせてもらおうと、リンゴの販売店と宅配サービス店に問い合わせてみたのだが、発注者・送り主は瞬、届け先は氷河の部屋の瞬で、支払い等も どんな問題もなく済んでいるという。
瞬のカードは使われていないのに、瞬の名で、支払い決済は完了しているのだ。
紫龍や沙織、蘭子あたりの厚意かと思い尋ねてみたのだが、リンゴを送ったりはしていないとの返事。
どこにいるのか わからない一輝には 確かめようがなかったが、瞬は、自分が氷河のマンションに引っ越したことを兄に知らせていなかったので、彼は確認するまでもなく犯人(?)ではなかった。



それ以来、瞬の周囲では、頻繁に おかしなことが起こるようになったのである。
リンゴに限らず、他の食料品や消耗品を補充しようと思った途端に、それらが氷河の家に届き、ちょっとした生活雑貨に興味を持つと、それらが瞬の部屋の方に届けられるのだ。
そして、支払いは済んでいる。
用事ができて 病院を休まなければなくなると、都合よく、他の医師から勤務交代を依頼する電話が入る。
病院でトラブルがあり、予定通りに帰宅できそうになくなると、蘭子や春麗から ナターシャを預かりたいという申し出がある。

万事がこの調子。
それは、まるで、天にあって地上のすべてを見ている太陽神ヘリオスが、奉仕型のストーカーになって 乙女座の黄金聖闘士に つきまとっているような状況だった。
その奉仕活動には、瞬と日々の生活を共にしている者でなければ絶対に不可能な 細やかな心配りが伴っていて、氷河一人で行なうことは無理。ナターシャ一人でも もちろん無理。
それは、瞬自身が 自分にストーキングしているとしか思えない――それこそ、痒いところに手が届くような奉仕振りだった。


そのストーカーが 彼なのか彼女なのかはわからないが、その者は神ではないだろう。
神がクレジットカード決済会社のシステムを操作して リンゴを購入し、自宅に配送する手続きを行なってくれるとは思えない。
となれば、これは人間の仕業。
それも、有線無線のネットワークシステムを個人監視の道具として操ることのできるサイバーストーカー( = 一般人)の仕業である。

アテナの聖闘士が 守るべき対象。
アテナの聖闘士が、戦うための力を使うことが(原則的に)許されない対象。
瞬は、その人と話し合って、この一方的奉仕活動をやめてもらわなければならなかった。
だが、“その人”が誰なのか、全く心当たりがない。
勤務時間が不規則な上、場合によっては2、3日程度なら睡眠を取らず活動することもある瞬を 24時間監視しているような“その人”が一人だけとは考えにくい。
だが、“その人”が“その人たち”なら、さらに その正体に見当がつかない。

すべてを見通している神でなければできないようなこと、だが、神なら決して しないことをする“その人”。
“その人”に接触するために、瞬は 極めて原始的な(?)方法を採用することになったのである。

瞬は、氷河の部屋のリビングのソファに腰を下ろし、虚空に向かって呼びかけてみたのだ。
「僕にリンゴを送ってくださった方。お話がしたいです。できませんか」
と。






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