「パパは、マーマがいないと生きてられない?」
それは、パパがいないとナターシャが生きていられないのと同じことだろうか。
もしパパが この世界から消えてしまったら、ナターシャは寂しくて、胸が潰れて、きっと死んでしまうと思う。
そんなふうに パパも、マーマがいないと寂しくて死んでしまうのだろうか。
寂しいパパと寂しい自分を重ね合わせて、ナターシャは泣きたくなった。

「俺は、瞬がいないと、服は脱ぎっぱなし、使った食器は出しっぱなし、読んだ本は読みっぱなしで 後片付けもしない、ぐーたら男になってしまう。ナターシャに甘いものを好きなだけ食べさせて、虫歯だらけのぶくぶく女の子にしてしまうだろう。ナターシャが悪いことをしても叱れないし、絵本を読んでやることなんて思いつきもしないから、ナターシャは きっと今のナターシャのように 可愛いナターシャでも 利口なナターシャでもなくなってしまうに決まっている。瞬がいないと、俺は ぐーたら男の だめだめパパになる。そうなると ナターシャのパパ失格ということになって、俺はナターシャと一緒にいることもできなくなってしまうんだ」
「そんな……」

パパは世界一カッコいい。
だが、同時に、パパが優しすぎ甘すぎるパパでもあることに、ナターシャは気付いていた。
もしマーマがパパを大好きでなかったら、そして、マーマがパパと一緒にいるのをやめてしまったら、自分がパパと一緒にいられなくなるのだろうことも、星矢や紫龍の つれづれの雑談を漏れ聞いて、ナターシャは以前から薄々察してもいたのである。
察してはいたが、ナターシャは、これまでは真面目に そんな心配をしたことはなかった。
心配する必要がなかったのだ。
マーマはパパを大好きなのだと信じていたから。
その大前提が崩れてしまったら――。

ナターシャの頭の“がんがん”は、ますます大きく激しくなった。
マーマがパパを大好きでないと、ナターシャはパパと一緒にいられなくなって、パパとナターシャは寂しくて死んでしまうのだ。
そんなのは、ナターシャは、絶対に嫌だった。

「マーマはパパのこと、大好きダヨ! そうに決まってるヨ! だって、マーマはナターシャのバレンタイン大作戦を考えてくれたし、パパは世界一カッコいいし、マーマがパパを大好きじゃないなんて、そんなこと、絶対あるはずないヨ!」
ナターシャが パパの上着の両袖を握りしめて力説すると、パパは少し笑った――笑ったように見えた。
ちっとも楽しくなさそうに。
楽しくないのに、どうしてパパは笑うのだろうと、ナターシャは不思議に思ったのである。

「ナターシャは優しいな」
パパは そう言って、ナターシャの頭を撫でた。
「そうだな。瞬は 俺を嫌ってはいないだろうが……。もしかしたら、俺と瞬は倦怠期なのかもしれない……」
「ケンタイキって何……?」

知らない言葉の意味を教えてもらい 新しい言葉を覚えることに、いつもなら ナターシャは とても わくわくするのに、今日のナターシャの声は自然に沈んでしまっていた。
『ケンタイキ』というのは、きっと悪い言葉だから。
意味を教えてもらわなくても、それだけは わかったから。
そして、ナターシャの予想通りに、『ケンタイキ』は嫌な言葉だった。

「ケンタイキというのは、一緒にいることに飽きて 嫌になってしまうことだ。何か はっきりした原因があって嫌いになるわけではなく、何となく 飽きて嫌になるんだ」
「飽きて、嫌になる……? ドーシテ? ナターシャは飽きないヨ。パパとマーマとずっと一緒にいたいヨ!」
「瞬もそうだったらよかったんだがな。俺と瞬は、もう20年も一緒にいるから……一緒にいるのが 当たり前で、だから 瞬は俺に ときめきを感じなくなってしまったのかもしれない」

ときめき。
ときめきの意味は、ナターシャも知っていた。
マーマに教えてもらったのだ。
嬉しくて、胸が どきどきすること。
嬉しいことや楽しいことに出会えそうな予感がして、胸が どきどきすること。
好きな人と一緒にいる時、好きな人に出会う直前の胸の どきどき。
人が どんな時にときめくのか、ナターシャは知っていた。
だから、ナターシャにはわかったのである。
これは、“あれ”なのだということが。

「パパ、恋の悩み !? 」
そうなのだ。
パパはマーマに恋をしているのに、マーマはパパに恋をしていないから、パパは悩んでいる。
パパはマーマに片思いをしている。
パパは恋で悩んでいるのだ。

ナターシャは、急に胸が どきどきしてきた。
これは多分、恋のときめきとは違う どきどき。
マーマが ナターシャのバレンタインデーの相談に乗ってくれたように、ナターシャもパパの恋の相談に乗ってあげられるかもしれないという、期待のどきどき。
ナターシャは、恋に悩むパパの力になってあげられるくらい立派な大人になった自分の姿を想像して、胸がどきどきしてきたのだった。

自分が何をすべきなのか、ナターシャにはわかっていた。
マーマにときめきを思い出してもらって、パパを大好きになってもらって、パパとずっと一緒にいてもらう。
そうすれば、ナターシャも ずっとパパと一緒にいられるのだ。
名付けて、“マーマのときめき復活大作戦”。
ケンタイキのマーマを、どきどきするマーマ、ときめくマーマ、パパを恋するマーマにするための大プロジェクトに、ナターシャは 滅茶苦茶 張り切って 取り掛かったのである。

だが、“マーマのときめき復活大作戦”は、これまでの色々な大作戦のように、マーマに相談することはできない。
そして、どうやら、パパは あまり頼りにならない。
うーんうーんと悩んだ末、ナターシャが“マーマのときめき復活大作戦”の相談役に抜擢したのは、パパのお店で いちばん偉い人であるところの蘭子ママだった。






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