「いや、しかし、瞬と対立する事態が生じたとして、我々は臆することなく挑むか? 瞬に?」
アテナの霊鳥の姿をした かつての反逆者の親玉が、首を180度まわして、仲間たちの前に一つの大きな問題を提起する。
テーブルの上に立つサガの前に置かれた小皿に、ウーゾを注ぎ足してやりながら、
「せっかく蘇ったんだ。命は大事にしたいな」
と答えたのは、山羊座の黄金聖闘士だった。
シュラは、このメンツの中では 比較的 常識的で賢明な男だったろう。
笑いもせずに、常識的な答えを答えるから、(このメンツの中では)不気味に映るだけで。

「私は、ナターシャが小学校に入学するのを見るまでは――いや、ナターシャの花嫁姿を見るまでは、絶対に死なないぞ」
というのが、カミュの答え。
つまり、瞬と戦って 自らの命を危険にさらすような愚行は、可愛い孫娘のために 決して行わない――というのが。
カミュは、死ぬ必要のなかった死から せっかく蘇ることができたというのに、それでもなお、生きる目的、生き返った意義、生き続ける目的が、アテナの聖闘士として論外だった。

「ということは、おまえは永遠に死ぬことができないのではないか。氷河はナターシャを なまじな男には渡さないだろうからな」
ミロは、カミュの そんな論外振りに今更 驚くようなことはなかったし、
「『俺より弱い男には渡さん』くらいの無茶は言うだろうな」
それは、シュラも同様。

そんなふうに、所詮、皆が大なり小なり 奇人変人の黄金聖闘士たちだったのだが、
「ハードルを下げてやる振りをして、『ナターシャのマーマより強い男なら、二人の仲を許してやってもいい』なんつー無理無体を平気で言う男だぜ、氷河は」
そんな奇人変人揃いの黄金聖闘士の中で最も氷河の親馬鹿振りを知っているデスマスクの推測には、素面で酔っている奇人変人たちの酔いを醒ますほどの破壊力があった。
カミュがナターシャの花嫁姿を見ることは100パーセント不可能と決めつけて、アフロディーテが肩をすくめる。

「それでは、結婚以前、婚約以前、交際以前。一般人には、ナターシャの彼氏として認められることすら不可能。我々 黄金聖闘士レベルでないと、太刀打ちできないということか。ひどい父親だ」
「神でも無理ですよ」
「なに?」
笑いながら 軽い気持ちで発した一言に、なぜアフロディーテが そんなにも過敏な反応を示したのか、瞬には すぐには わからなかった。
しばらく経っても わからなかった。
「『神でも無理』ということは、我々ごときでは 尚更 君たちには勝てないという意味か?」
と言われて初めて、アフロディーテの不機嫌の訳がわかる。
アフロディーテは、『前代の黄金聖闘士たちは、当代の黄金聖闘士たちに及ばない』と断じられたと思い込んで、機嫌を損ねてしまったのだ。

「そんなことはありませんよ」
そんなつもりで言ったのではないという瞬の弁明を、氷河が、
「それは ただの事実だ」
と言って、台無しにしてくれる。
それが事実と わかるから――わかっているからこそ、アフロディーテの顔は引きつった。
アフロディーテと氷河は、どうにも 反りが合わないようである。
二人の性格や価値観を考えれば、彼等の反りも相性も波長も合うわけがなかったが。

氷河は、しかし、アフロディーテに喧嘩を売ろうとして、そんなことを言ったのではないのである。
思い上がっているわけでも、驕っているわけでもない。
過去の黄金聖闘士たちより 今の黄金聖闘士たちが弱かったら、それは、地上の平和を守る力が減じ、聖域の力が減じ、先細りしているということ。
“黄金聖闘士”という戦士たちが進歩していないということなのだ。
『そんなことには なっていない。だから、安心していていい』くらいの気持ちで、氷河は 事実を事実と言っただけ。
氷河に他意はない(そのはずだった)。
が、アフロディーテのようにプライドの高い男には、無邪気な(?)男の 悪意のない言葉の方が癇に障るものなのかもしれない。
瞬は慌てて、魚座の黄金聖闘士と 水瓶座の黄金聖闘士を執り成すために、二人の間に割って入った。

「僕は、そういう意味で言ったのではないんです。ナターシャちゃんを手離さないためになら、敵が黄金聖闘士だろうが 神だろうが、氷河は必ず勝つでしょうけど、ナターシャちゃんに“お願い”されたら、5秒でギブアップするだろうなと思っただけです。それが、愛情と強さの力学というものだろうって」
「ははは。確かに」
おそらく 無駄に神経質になっているアフロディーテを なだめるため、そして、その場を和ませるため、ミロが意識して高らかに声を上げて笑う。
「最強はナターシャか。その場面が容易に想像できるぜ」
デスマスクも、苦笑で同意。

ちょうど、そのタイミングで、最強の少女の戦いが一つ終わった。
メロン、オレンジ、キウイ、パイナップル、リンゴにイチジク。
カクテルのデコレーション用のフルーツ盛り合わせに、アイスクリームとホイップクリームを添えた特製アラモードに完全勝利を収めたナターシャが、満足しきった顔を上げ、勝利の声を店内に響かせたのである。
「ごちそうさまダヨ! おいしかった! おじいちゃん、ナターシャ、おりんごのジュース 飲んでいい?」
「無論。氷河、ナターシャが オリンゴのジュースを飲みたいそうだ」
「む……」

ナターシャは今日は糖分を摂りすぎている。
氷河は視線で瞬に意見を求め、瞬が半ば諦め顔で頷く。
パパとマーマの 言葉のない そのやりとりが どういうことなのか、ナターシャには わかっていた。
そして、賢いナターシャは、自分が地上最強でないことも ちゃんと知っていた。

「アノネ。パパは、世界一強いのはマーマで、パパは その次だって、いつも言ってるヨ。でも、ナターシャは、本当に世界一強いのはおじいちゃんだと思うノ。甘いものばっかり食べたり飲んだりしてちゃ駄目って いつも言ってるマーマが、おじいちゃんが『食べさせてあげなさい』って言うと、大抵 許してくれるカラ。マーマより強いんだから、世界一強いのは おじいちゃんだヨネ!」
「ナターシャ……」
目に入れても痛くないし、殺されても笑って許すことができる。
それほど愛する孫娘に『世界一』と言われたカミュおじいちゃんは、感激の涙も凍りつきそうだった。

「カミュが世界一……」
最強ナターシャの非常識すぎる評価に、蘇った先代黄金聖闘士たち(カミュは除く)は唖然呆然。
だが、ナターシャしか目に入っていないカミュは、仲間たちの白い目など 平気の平左で、どこ吹く風。
ナターシャが『おじいちゃんが世界一』と言ってくれているのだ。
他の人間の評価など、心の底から どうでもよかった。

「ナターシャは、一生 嫁になど行かなくていい。私と氷河とで、一生 守ってやるのだ!」
親馬鹿の氷河と じじ馬鹿のカミュに鉄壁の防御で守られることは、ナターシャにとって幸せなことだろうか。
その問題は さておいて、『ナターシャ、我が命!』宣言をするカミュに 戦いを挑む勇気を持てる者が その場に一人もいなかったのは、紛う方なき事実だった。
ナターシャのためになら、カミュは 本当に 世界一の強者になれるのかもしれない。
最強の(= 最も強い)男にはなれなくても、無敵の(= 敵がいない =誰も敵になりたくない)男にはなれるに違いなかった。

「ご立派な使命感を持った正義の味方より、守るべきものがある者の方が強いということか、つまり」
「否定できない事実だな」

それが、その日の奇妙なメンツで行なわれた酒盛りの結論だった。
正義や平和の実現のために戦う者より、愛するものを守るために戦う者の方が強い――というのが。
それは、世界の平和を守るために命をかけて戦うアテナの聖闘士たちにも否定できない事実だった。

ちなみに、その日のナターシャのフルーツ盛り合わせとジュース代、及び カミュのカクテル代は、氷河が支払った。
それを除く瞬の支払い分が 8万弱。
「とんだ出費だな」
瞬のカードを受け取った氷河が、顔をしかめる。
営業時間外に、平日1日分の売上の3分の1を稼ぐことができたのだから、この店の店主としては願ってもない展開。
しかし、ナターシャのパパにとっての売上は、ナターシャのマーマの支出。
これを黒字と見るか赤字と見るか。
実に微妙なところだった。






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