瞬がお医者様になる勉強をするために 上の学校に進んだのは、瞬が16になった時。 その時、18だった氷河は、同時に、自分が卒業したばかりの学校の先生になりました。 その頃には、金色の髪の氷河と澄んだ瞳の瞬は、小ルーシで最も有名な青年になっていました。 二人共、とても綺麗で、才能にあふれていて、瞬は心優しく、氷河は(一見)クールでカッコいい。 二人は、小ルーシの都のアイドルのような存在だったのです。 国中の娘たちが、二人のどちらかの心を射止めたいと狙っていましたが、二人はいつも一緒で、とても仲良し。 他の娘が入り込む隙は、これっぽっちもありませんでした。 二人にとって 大切な女性は、今も昔も マーマだけ――優しく聡明なマーマ一人だけだったのです。 小ルーシの二人のアイドルは いつも娘たちに素っ気なかったのですが、それでも、雪が解け、華が咲く季節が巡ってくると、人の心は浮き立ち、町そのものも華やぐもの。 厳しい冬が終わり、吹く風も暖かくなり、色とりどりの花が咲いて、誰もが訳もなく浮かれてしまう春。 国と国、町と町の行き来を困難にしていた雪が消える春。 そんな春と一緒に、外の国から、一人の男が小ルーシの都にやってきたのは、瞬が お医者様になるための勉強を始め、氷河が先生になって1年が経った年のことでした。 黒い髪と黒い瞳。 氷河や瞬より、少し年上でしょうか。 彼は、小ルーシのずっと南にある国アテナイからやってきたという触れ込みでしたが、世界一の文明国からやって来たにしては、野卑な印象の勝った男でした。 そして、その野性的な印象に そぐわない華美な装飾が施された長剣を、腰に携えておりました。 氷河が最初に その男の姿を見たのは、氷河たちが昔 暮らしていた小さな家のある浜辺の一角。 学校に通うために 大通りにある屋敷に引っ越してからは、海が荒れて遭難者が出てきた際の避難小屋や、海に漁に出る漁師たちの道具置き場として使われるようになっていた その家に、氷河は週に1度は見回りに通っていたのですが、ちょうど その時、よそ者の男が 浜の家の周囲をうろうろしているのに出会ったのです。 氷河が近付いていくと、その男は、なぜか嬉しそうな顔になって、そして、何も言わずに立ち去っていきました。 氷河は、よくわからなかったのです。 会えて嬉しいのなら、『こんにちは』くらい言えばいいのに。 そうしたら、こっちだって、『誰だ、貴様は』と、挨拶(?)の一つくらいは返してやったのに。 と、思いました。 やたらと立派な剣を携えていましたし、見るからに強そうだったので、得意分野が同じ者としての対抗意識が働いて、あんまり 仲良くなれる気はしなかったのですけれどね。 氷河が次に彼に会ったのは それから数日後。若者たちが集まる公会堂で、その時は瞬も一緒でした。 小ルーシでは、週に1度、立場や身分や職業の違いを超えて、多くの青年たちが公会堂に集まり、情報交換を行なうのです。 交換する情報は、仕事のことや、よその国や町で仕入れてきた話題、そして、女の子の噂話に、ちょっと怪しげな儲け話まで、種々様々。 言ってみれば、来る者拒まず参加自由の異業種交流会。小ルーシの青年たちの社交場のようなもの。 そこに、氷河が浜で出会った、あのよそ者の男がやってきたのです。 最初に浜で出会った時も そんなに良い印象を持ったわけではありませんでしたが、二度目の出会いで、氷河は 完全に彼が嫌いになってしまったのです。 氷河と瞬の前にやってきて、一輝と名乗った その男は、まず最初に 氷河に ちらりと一瞥をくれました。 その後はずっと 瞬を見詰めたまま。いつまでも見詰めたまま。 瞬も彼を見詰めたまま。いつまでも見詰めたまま。 氷河はそれが、大いに、大変、非常に、とっても、気に入らなかったのです。 ですから、氷河は すぐに二人の間に割って入り、瞬を自分の背後に隠すと、 「何なんだ、貴様は」 と、何を訊きたいのか よくわからない質問を投げかけ――いいえ、それは、質問というより、ただ 突っかかっていっただけだったでしょう。 一輝は、 「何だと問うなら、まず自分が何なのかを告げるべきだ」 という、実に尤もな答えを返してきました。 それは 全く その通りだと思ったので、氷河は一輝の言葉に従い、彼に教えてやったのです。 自分が何なのか――自分が瞬の何なのか――を。 「俺は瞬の兄だ」 氷河がそう言った途端、それでなくても優しげとは言い難かった一輝の目が 一層険のあるものになりました。 一輝の その目の、険悪で、凶悪で、狂暴で、攻撃的なことと言ったら! 半月もエサにありついていないシロクマだって、こんな怒りで狂ったような目をすることはないでしょう。 氷河は、かなり本気で、彼と戦う覚悟を決めたのです。 それは、避けられない対決のように思われました。 ですが、幸い、二人は 喧嘩や決闘を始めることにはなりませんでした。 氷河が こらえた――のではなく、一輝が退いた――ようでした。 退いたのは一輝の方だったかもしれませんが、瞬のいるところで、確実にどちらかが(へたをすると二人共が)血を見ることになりそうな戦いをせずに済んだことを喜んだのは、どちらかというと 氷河の方だったでしょう。 瞬は、喧嘩が大嫌いなのです。 一輝は、氷河を睨むのをやめ、代わりに 名残りを惜しむように瞬を見詰め、そうして、二人の側から離れていきました。 けれど、公会堂のホールから出ていくことはせず、離れた場所にあるテーブルの席に着いて、じっと ずっと 瞬を見詰めています。 瞬は、小ルーシにいる どんな少女よりも綺麗で優しく、独特の雰囲気を持った少年でしたので、女の子たちだけでなく、一部の男性陣にも 異様な人気がありました。 小ルーシでは それほど盛んではありませんが、南方のギリシャでは 男子が男子に恋をすることは、決して珍しいことではなく、むしろ普通、むしろ多数派。 小ルーシでも多数派ではないだけで、そんなに珍しいことではありませんでした。 ですから、それは、これまでにも しばしばあったことでした。 これまでと違うのは、一輝が よそ者だということ。 そして、あろうことか、瞬までが やたらと一輝を気にして、彼の方を ちらちら窺っていることでした。 |