「あの男が気になるのか」 瞬が一輝を“気にして”いるのが気に入らなくて、氷河は 瞬を連れて 交流会を途中で抜け出したのです。 『気になるのか』と氷河が瞬に尋ねたのは、家の門を過ぎ、家の扉を開ける前。 それは、家の中にいるマーマには聞かせない方が いい話なのかもしれないと思ったからでした。 「うん……」 瞬が あっさり その事実を認めてくれたので、氷河も あっさり わかりやすく ムッとしました。 けれど、瞬の“気になる”は、氷河の考えている“気になる”とは少々 様相が異なっていて――少なくとも 瞬は、よそからやって来た 文明国の人間にしては野卑な男に、胸をときめかせていたのではないようでした。 むしろ、その逆。ほとんど逆。 「あの人、とても恐い目をしてる……。氷河の目も、氷河を知らない人には冷たいものに映るらしいけど、それは 氷河の目が綺麗すぎて恐いだけのことでしょう。でも、一輝さん――あの人の目は そういうのとは違う。あの人は、何か……何か 特別な力や謎を隠しているようで……」 「……」 そんなことを言われても、氷河は、瞬ほど熱心に一輝の目なんか見ていなかったので、何とも答えようがありませんでした。 瞬が、そんな氷河の前で、僅かに瞼を伏せます。 そして、瞬は、思い切ったように、氷河に打ち明けてくれました。 「僕、小さな頃、よく恐い夢を見てたの」 と。 「夢?」 「うん、夢。子供の頃は、繰り返し――それこそ 毎日のように 同じ夢を見てた。真っ黒い何かが、僕を捕まえようとして追いかけてくるの。僕は恐くて、逃げて、必死に逃げながら 氷河やマーマを探すんだ。でも、見付けられない。見付けられないまま、暗闇の中で小さく丸くなって……僕は どんどん小さく丸くなって――そのあと、誰かに見付かったり、捕まったりするわけじゃないんだけどね。最後に怪物でも出てきてくれたら、その怪物に似た何かが夢の原因だろうから、恐い夢を見なくなるための対策を模索することもできただろうけど……」 恐い夢を見なくなるための模索――だなんて、さすがに瞬は、小さな頃から考えることが違っていたようです。 そんな原因不明の恐い夢を見ていたのが もし 氷河だったなら、氷河は それを口実に、瞬と同じベッドで寝ると言い張って、恐い夢を歓迎していたことでしょう。 「大きくなるにつれて、段々 その夢を見ることはなくなっていったんだ。ここ数年は全く見なくなってた。でも、この間――3日くらい前、数年ぶりに あの夢を見て、一昨日も昨日も あの夢を見て、そして 今日、僕は一輝さんに会ったんだよ。あの夢が、よくない予兆だったみたいで……」 瞬が その夢を見始めた日、氷河は浜で一輝に会いました。 おそらく その日は、一輝が小ルーシにやってきた日だったのでしょう。 確かに、嫌な感じがします。 嫌な感じはしますが、瞬の“気になる”が そういう“気になる”だったので、氷河は ほっとしました。 氷河は、ほっとしている場合ではなかったのですけれどね。 「僕は、本当は、悪魔の子供なんじゃないだろうか」 瞬に そう言われて、ほっとしている場合ではないことに気付いた氷河は、同時に、瞬のその言葉に ぽけっとしてしまいました。 だって、瞬が悪魔の子供だなんて、あり得ないにも ほどがあることでしたから。 「おまえは 天使だろう? こんなに美しい悪魔がいるものか」 氷河が そんなふうに言っても、瞬が嬉しがらないのは、氷河の言葉は 身内の贔屓目によるものだと、瞬が思っているからです。 氷河に美しいと言われても嬉しがらず、心を安んじることもない瞬の唇から漏れ出てきたのは、 「恐い」 という言葉。 瞬を言葉で慰め、安心させることは難しい。 氷河は、震える瞬を抱きしめて、その耳許で小さく低く囁きました。 「おまえは おまえだ。それ以外の何者でもない。悪魔が来ようと、神が来ようと、俺が守る。悪魔にも、神にも、天使にだって渡さない。誰にも渡さない。おまえはずっと、俺と一緒にいるんだ」 別に大声で言ってもよかったのですけれど、家の扉の前で大声を響かせたら、家の中にいるマーマがびっくりして、外に出てきてしまうかもしれませんからね。 だから、氷河は、瞬の耳許で、瞬以外の人には聞こえないように、こっそり囁いたのです。 もしかしたら それは、マーマを驚かせないためというより、そこで瞬にキスをするためだったかもしれません。 その日、氷河は、初めて瞬の唇にキスをしました。 二人なら、悪魔だって恐くないと思いました。 恋をしている人間と言うのは、そういうものです。 |