「14歳以降の記憶が失われている? では、氷河の小宇宙が やけに 大人しくなっていたのは、身体が本調子ではないからではなく、意識が青銅聖闘士だった頃のそれに戻っていたからだったのか」
「それって、あれか? 幼児退行とかいうやつ?」
「心理学でいう退行とは また違うんだけど、記憶障害の一種だよ。おそらく 短期記憶障害で、いずれ元に戻るとは思う。でもね……」

俺のベッドの脇で、瞬たちが 何やら深刻な顔で話し合っているのを 適当に聞き流しながら、俺は、鏡に映る今の自分の姿に驚き、呆れ、そして 少し やにさがっていた。
20年分 歳をとった俺の顔が、なかなか いい顔をしてたから。
まあ、元がいいんだから、当然といえば当然な出来のツラだったがな。

20年後の自分なんて、ほぼ他人だ。
だから、俺は、贔屓目なしの他人の目、完全に第三者の目で、今の自分の顔を見ている。
そして、かなり いい男だと思う。
これは、つまり、要するに、実際に 今の俺が かなりいい男だということだろう。

俺が、瞬に手渡された手鏡を いつまで経っても手放さないから、星矢と紫龍は 嫌そうな顔をしている。
好きなだけ嫌がっていいぞ。
貴様等には、俺の この美貌を妬み 嫉む権利がある。

「でも、どうして 氷河が こんな記憶障害を起こしたのか、その原因がわからないんだ。今回の怪我、氷河は頭は 全く打っていないから、この記憶障害は外傷性のものであるはずはないんだ。もちろん、脳のMRI検査でも 問題はなかった。当然、脳梗塞等、内因性のものでもない。そして、氷河に限って、心因性ということは考えられない」
「うむ。心因性の記憶障害というのは考えられないな。この地上に、氷河ほどストレス皆無、幸せ一杯、夢一杯で生きている男はおらんだろう」

瞬たちの面倒そうな話は まだ続いている。
瞬たちの話をまとめると、つまり。
俺は、パラレルワールドに飛ばされたのではなく、未来にタイムスリップしてきたのでもなく、直近20年ほどの記憶を失っているだけだったらしい。
今の俺は 水瓶座の黄金聖闘士で、瞬は乙女座の黄金聖闘士。
紫龍たちも何かになっているらしいが、そんなことはどうでもいい。
重要なのは、瞬が俺に舌を入れるキスをしてきたのは 現在の俺と瞬が そういう特別で親密な関係にあるからで――これが やにさがらずにいられるだろうか。

瞬が――この 才色智勇徳 兼備の瞬が、大人になれば俺のもの――いや、今は俺のものなんだ。
よくやったぞ、若き日の俺。
よくぞ、瞬に告白した。
地上の平和第一で、清らかで奥手だった あの瞬に、すんなり受け入れてもらえたはずもないのに、俺は決して希望を捨てず、決して諦めることなくアプローチし、倦まず弛まず努力を続け、ついに望むものを手に入れたんだ。
なんて立派なんだ。
よくやった。
本当に偉いぞ、俺!

鏡に映る自分の姿を見詰め、確かめながら、俺は感涙に むせんでいた。
この感激、この感動を、俺は一生 忘れない。
本気で、俺は、そう思った。そう決意したんだ。

それが どういうことなのかは、自分でも よくわからない。
30男の俺が、20年分の記憶を失っている状態で、未来の(?)自分が瞬と結ばれている喜びと、その幸福を手に入れることのできた自分への称賛を忘れないということがどういうことなのか、何の益があるのか、何の役に立つのか、よくわからないまま、とにかく俺は そう決意した。
この感激と感動を、自分は 決して忘れないと、固く固く決意したんだ。






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