ここは宇宙? そんなはずはない。 宇宙で、人間が生きていられるわけがない。 宇宙空間には酸素がない。 温度は絶対零度。 そんなところに 普段着で放り出されたら、人は死ぬ。 ところが、俺は死んでいない。 だから、ここは宇宙じゃない。 でも、じゃあ、いったい ここはどこだ? そもそも 俺は、どうして こんなところにいるんだ? どうして こんなことになったのか。 そう思ったのは、一瞬だけだった。 俺が だらだら生きていたからだ――と、何となく思った。 真剣に生きることから 逃げ続けていたからだ、と。 次に、どうして俺は こんな異常な状況下で まだ生きているんだろうと思った。 その答えも、すぐにわかった。 それは、この美しい人たちが 俺を庇い守ってくれているからだ。 では、この人たちは、なぜ俺を――俺なんかを――庇い守ってくれているのか。 その謎の答えは、いくら考えてもわからなかった。 今年の3月、俺の1年間の浪人生活――1年で済めば 御の字の浪人生活――が決定した。 俺の志望大学は、こう言っちゃ何だが、浪人しても恰好がつくような大層な大学じゃない。 どこってわけじゃないが、もっと心臓に負担のない偏差値の経済とか経営あたり。 要するに、どこでもいいから引っ掛かればいいと思ってたのに、どこの大学にも引っ掛からず、見事に全落ち。 めでたく、1年 ふらふらすることが決まってしまったんだ。 卒業式で会った同級生たちには、遊んでいられる時間が1年 増えちまったと、強がってみせるしかなかった。 そんな俺への現役合格組たちの慰撫の言葉が振るってたな。 『現役で大学に入れたって、いい会社に就職できるかどうかは、卒業する時の景気次第だ。就職できた会社だって、いつ潰れるか わかったもんじゃない。人生レースの行方は まだまだ わからない』 とか何とか、そんなこと。 うん。そうだな。 それは事実だ。 それは確かな事実だけど、自分はスタート地点でコケなくてよかったって、現役合格組の奴等が思ってるのが わかるから(僻みかもしれないけど、そんな気がするから)、俺の胸は もやもやした。 『1年の遅れくらい、すぐにキャッチアップできるさ』 と言ってくれる奴もいた。 それも事実だろう。 1年間 それなりに頑張って、運が良ければ、1年の遅れは きっと取り戻すことができる。 1年間 それなりに頑張って、運が良ければ。 それも ある意味、事実だけど、現役合格組は もう1年 頑張る必要のない自分に安堵しているのが わかるから(きっと僻みだ)、俺は 気分が悪かった。 そんなふうに僻んでいる自分が 嫌で嫌でならなかった。 俺は、奴等に、『それはそうだけど、親の苦労する時間が1年増えたんだぜ』って言って、笑うしかなかった。 『ほんと 俺って親不孝~』って おどけた口調で言って、俺は笑ったし、みんなも笑ってた。 笑わないと、空気が悪くなるから、笑ったんだ。 俺も、俺以外の2、3人の浪人組も、現役合格組も。 あの場にいたクラスメイトたち、心から笑っていた奴なんて、一人もいなかったかもしれない。 4月になったら、現役組と浪人組が会うことは もうないだろうって わかってたから、みんな、我慢して笑えたんだと思う。 ――そう思う俺は、相当 ひねくれているんだろう。 俺は、どうしても大学に行きたいわけじゃなかったし、大学で勉強したいことがあったわけでもないし、だから、受験勉強も だらだら いい加減にやってた。 そんな俺が どこの大学にも引っ掛からなかったのは当然のこと。 真面目に頑張った結果の全敗じゃなかったから、実を言うと、落胆は そんなに大きくなかったんだ。 3、4校受けた私立大。 最後の一校も不合格だとわかった時も、俺は、暗く落ち込んだり パニックを起こしたりすることはなかった。 何も考えずに、しばらく ぼーっとしてただけだった。 “何も考えずに”じゃなく、“何も考えられずに”だったのかもしれないけど、とにかく その時 俺が何も考えなかった事実に変わりはない。 当たり前のことだが、俺の浪人生活が決定しても 世界は何一つ変わらず、おかげで、その2日後には、『こんなもんか』『こんなもんなんだろうな』と、自分を納得させることができた。 何が“こんな”なのかは わかんないけど、俺は現状を認め、受け入れた。 落ち込まない代わりに、奮起もしなかった。 人生なんて、なるようにしかならない。 そう思っただけ。 浪人するんだから、予備校に行かなきゃならないと思ったけど、どこの予備校に行くか、それも決めかねて……。 いい加減に だらだら過ごしていた当然の結果として 浪人することになった俺は、『浪人生っていうのは予備校に行くもんだと思うから、その金を出してくれ』と、親には言いにくかったんだ。 一生懸命 頑張った結果の浪人生活で、来年には必ず受かるって決意した上での予備校通いなら、そう言って 親に すがることもできたんだろうだけど、俺は そうじゃなかったから。 父さん母さんは溜め息をついてるばっかで、俺を怒りもしなきゃ泣きもしない。 俺を刺激するようなことをして、何か起こることを避けてる感じ。 うん。 今時の若者を追い詰めると何をしでかすか わかんないもんな。 父さん母さんの対応は すごく妥当で、すごく普通だと思うよ。 で、俺って男は、厳しく責められてたら、やけを起こして強く反発するか、完全に挫けて鬱にでもなっていたかもしれないけど、厳しく責められなきゃ それなりの引け目や申し訳なさを感じるような、ごく普通の今時の若者でさ。 だから、妙な遠慮をして、『ここに行きたいって思う予備校が見付かるまで、ネットや図書館を使って 一人で勉強してるから』とか何とか、親には適当なことを言って、しばらく だらだらすることにしたんだ。 “しばらく だらだら”が“毎日 だらだら”になるのは 目に見えてたんだけどな。俺の性格上。 そう。 俺は、そんな――その程度の人間だ。 ビル・ゲイツとか、ジェフ・ベゾスとか、途轍もない才能に恵まれて、世界に名だたる企業を起こした世界の大富豪が 自信に満ちてて、人生に積極的で意欲的なのは当たり前のことだよな。 成功体験の連続ってのは、危ない薬なんかより はるかに凄まじい快感を、人間に もたらしてくれるもんだろう。 そして、そういう幸運な天才たちとは対極にある人たち――たとえば、災害に遭って、家族も住む家も失って避難所生活を耐えてる被災者の人たち――も、そんな天才たちと同じくらい 必死に 一生懸命 がむしゃらに、自分の人生を生きようとしてるように見える。 少なくとも、俺よりずっと。 俺の千倍も万倍も。 そういう人たちのドキュメンタリー番組なんかを観るたび、俺は、あの人たちの必死さが、必死になれることが、羨ましくてならなかった。 俺は、今 東京が大災害に襲われたら、これ以上 みじめな男にならずに済むと思って、喜んで死んでいくんじゃないかと思う。 こんな どうしようもなく だらけた男の俺は、ここで躓いたら、いつまでも起き上がれないまま、一生をニートとして過ごすことになるのかもしれない。 そんな想像を、俺は あんまり悲壮感を感じずに できてしまう。 俺は、一人息子だから、今 住んでる家は いずれは俺のものになる。 大学に行けず、引きこもり、職に就くこともできなかったとしても、最悪、家を売っ払って、生活保護を申請すれば、飢え死にはしないだろう。 そんなふうに、俺は18歳で 自分の人生を見切っていた。 だらだら生きてても、何とかなる。 父さん母さんの自慢の息子にはなれなくても、家を追い出されない程度に 勉強してる振りをしてれば、父さんたちだって、そのうち そんなぐーたら息子に慣れて、何か言う気もなくしちまうだろう。 結婚して家庭を持とうなんて大それたことを考えさえしなければ、どうにかなるのが今の日本だ。 そして、途轍もない才能がない限り、無駄に目立つと叩かれるのが今の日本。 目立たず、適当に流されて、何とか一生を生き抜けばいい。 人間なんて、30になるくらいには、みんな そう考えるようになってるんだろうって思った。 俺は、その境地に至るのが、他の奴等より 10年ほど早かっただけなんだ。 そう思えば、今の自分も そんなにみじめなもんじゃないような気がした。 そして、そう思えば、だらだら生きてるだけの自分を肯定することもできた。 現状に悲観して 死ぬほどのことじゃないよなって、思えたんだ。 だらだら生きてる俺は、人生に絶望して死ぬ決意をするのも面倒だった。 |