4月に入って、ナターシャちゃんとナターシャちゃんのママと 直接 話す機会があった。
どこの公園でも そうだろうが、光が丘公園でも ご多分に洩れず、ちびっこ広場やら 芝生広場やらに、空き缶やペットボトルが捨てられてることがあって、そういうのを見掛けるたび、俺は いつも必ず 拾ってゴミ箱に捨ててたんだ。
公衆道徳がどうこうってんじゃないぞ。
インスタには もう上げないにしても、俺は、ナターシャちゃん一家の動画を隠し撮りする作業は続けていた。
その綺麗な家族の動画や写真にさ、飲み残しのお茶の入ったペットボトルだの ヘコんだ空き缶だのが映り込むと興覚めするんだよ。
あれは、ほんとに 腹が立つ。
ナターシャちゃんのパパが ナターシャちゃんをタカイタカイしてやってる時に、その足許に空き缶が転がってきたり、ナターシャちゃんのママとナターシャちゃんが 花壇の花を見詰めている背後で くしゃくしゃの紙屑が飛んでいたりしたら、高貴なナターシャちゃんのパパやママまでが 汚されるみたいで、むかむかするんだ。

家に帰ってから、撮った動画を確認して、画面の中にゴミが映り込んでいるのに気付いた時の、憤りや悔しさといったら!
自分の人生は投げて生きてる男が、なんで こんなことで、こんなに腹を立ててるんだって、自分で自分に呆れるくらいだ。
でも、不思議なもんで――自分のことはどうでもいいんだけど、ナターシャちゃん一家の画像データに映り込むゴミだけは許せなくて――俺は、公園でゴミを見付けるたびに それを拾ってゴミ箱に捨ててたんだ。

その日、ゴミ箱から たった3メートル離れたところに転がっていた紙コップに腹を立てて 拾い上げた俺が、それをゴミ箱に放り投げた時、
「公園お片付けの お兄ちゃん。ナターシャ、お手伝いするヨ!」
って言って、拾ってきたらしいチョコレートの空き箱を、ナターシャちゃんがゴミ箱に投じたんだ。
その後ろに、ナターシャちゃんの才色兼備ママ。
その姿に気付いた途端、背中全体が さーっと冷えた。
隠し撮りやら、インスタの一件やら、俺は彼女に対して やましいことを いっぱい抱えた身だったから。

「公園美化のボランティアをされてるんですか?」
って、笑顔で訊かれても!
うわ。うわ、うわ、あわわ。
すごい。
近くで見ると、目が宝石みたいだ。宝石みたいに、きらきらしてる。なんでだ?
公園美化のボランティア?
何だ、それ。
「……」

突然 話しかけられて、まともに答えられないどころか、しばらく 息をすることさえ忘れてた俺は、
「よく 公園の動画を撮っていらっしゃるので」
って、才色兼備ママに言われて、今度は心臓が その仕事を放棄しそうになった。
心臓が凍りつきそうだ。
俺の隠し撮りがばれてる……なんてこと、ないよな?
確かに、俺は希少種家族の隠し撮りはしてたけど、やましい気持ちで盗撮してたわけじゃないぞ!
――なんて言い訳は、無効なんだろうな、やっぱり。

「あ、え、え、えと、それは、あの、俺……僕……自分、公園とかの設計に興味があって。立川の昭和記念公園とか、小金井の小金井公園とか、横浜の子供の国とか、子供たちに人気のある遊具があって、そういうのに興味があって、すごく、それで」
日本語、滅茶苦茶。
嘘をついてると、その嘘を隠すために 言葉が多くなるって ほんとなんだな。
それで余計なこと 言いすぎて、結局 ボロを出すわけだ。
しかし、何か しょーもないボロが出てきたな。

子供の頃、俺の父さん母さんは、俺を あちこちの公園に連れて行ってくれた。
憶えてるもんだな。
すごく 楽しかったから。
俺が いろんな公園に興味があって、公園を好きなのは ほんとのことだ。

父さんたちが俺を あちこちの公園に連れてってくれるのは、俺が公園を好きだからじゃなく(それもなかったわけじゃないだろうが)、そこが 電車で行けて、タダで遊べる場所だからだったってことを、俺が知ったのは、小学校4年生の時。
当時 好きだった女の子がDズニーランドに行ってきたって話してるのを聞いた俺は、俺もDランドに行きたいって、母さんに頼んだんだ。
母さんの答えは、
『あそこに入るには、結構な お金がかかるの』
だった。

子供ってのは、自分の家が貧乏だとか金持ちだとかいうことに、意外と気付いていないもんだ。
あの時の俺もそうだった。
あの頃、ウチは、父さんが課長に昇進して残業代がつかなくなって、家のローンが いちばんきつい時だったんだよな。
そんなこと、俺は 全然知らなかった。
ローンの返済が終わって、家に余裕が出てきた頃には、無料の公園にも 有料のDズニーランドにも、わざわざ出掛けて行こうと思う意欲自体がなくなってた。
――って、そんなことはどうでもいい。

才色兼備ママは、俺の嘘を 疑いもせず信じてくれたみたいだった。
「ああ、それで」
って、納得したように頷いてくれたところを見ると。
でも、すぐに、
「あの、失礼ですが、お名前を伺っても よろしいでしょうか」
と名前を訊かれて、俺は再び緊張。
俺の名前を聞いてどうするつもりなんだ? って、俺は警戒した。
インスタにあげた動画のことが、ばれたのかな。
ばれてないにしても、疑われてるとか?

名を名乗らないのは、悪さしてたことを白状するようなもので、まずいだろう。
でも、名乗ったら、もっとまずいよな?
俺が答えるのを ためらってたら、才色兼備ママが 勝手に気をまわしてくれた。
「すみません。本名でなくてもいいんです。ニックネームや愛称で。うちの娘―― ナターシャが、あなたのことを、“公園お片付けのお兄ちゃん”と勝手に呼ばせていただいているんです。もっと短い呼び名があればと思いまして」
「え」

よかった。
俺の隠し撮りが ばれてたんじゃなかったんだ。
でも、そんなことより。
いや、それはそれで重要なことだけど、それは いったん脇に置いといて。

それは、つまり、何か?
この俺が――こんな俺ごときが、この綺麗な家族の食卓の話題にのぼったりなんかしてるってこと?
いや、食卓じゃないかもしれないけど、でも、なんで、そんなことがあるんだよ。
なんで、ホモ・サピエンスがゾウリムシの話をするんだよ。
おかしいだろ、そんなの。
おかしい。すごく おかしい。
――てな調子で、うまく状況把握ができずパニクった俺は、才色兼備ママに ついうっかり本名を名乗ってしまったんだ。






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