髪も瞳も褐色の外国人の少年。 俺は 以前、一度だけ、彼がナターシャちゃんとオサンポしているのを見たことがあった。 名前は、確かアイオリア。 中学生くらいの少年で、あの時はイケメンパパが一緒だった。 そう。 あの時は、ナターシャちゃんが 光のアーチのモニュメントの周りをぐるぐる駆けまわってて――その時、勢い余って転びそうになったんだ。 そしたら、あの少年が、10メートルくらい離れたところから、信じられないほどの素早さで、つんのめったナターシャちゃんの側に駆け寄ってきて、ナターシャちゃんが転ぶ前に 抱き止めてやった。 瞬先生やイケメンパパみたいに目立つ外見はしてないんだけど、運動神経と運動能力が常人のそれじゃなくて――。 今 思うと、あの速さは 物理法則を無視していたと思わざるを得ないんだけど、あの時は ただ、すごい人の周りには、すごい人が集まるものなんだって 思っただけだった。 そのアイオリア少年とナターシャちゃんが、公園の芝生広場にいて――アイオリア少年の動きが どこか ぎこちない……? 瞬先生とイケメンパパの姿が 近くに見当たらないことを、俺は訝った。 ナターシャちゃんの側に、パパもママもいないなんて、これまで そんなことは一度もなかったから。 だから、気になって、俺は 離れたところから ずっと ナターシャちゃんとアイオリア少年の姿を追ってたんだ。 ナターシャちゃんは、いつも通り、元気いっぱいで――取り越し苦労だったかと思って、俺は図書館の方に踵を返し――返そうとした時、ナターシャちゃんが何かに躓いた。 アイオリア少年のすぐ側――2メートルも離れていないところで。 以前 見た時は、10メートルも離れたところから、1秒もかけずに飛んできたアリオリア少年が、今日は動かなかった。 1歩も――いや、微動だにしなかった。 ナターシャちゃんは 手を伸ばせば届くところにいるのに、今日は無言で見てるだけ。 その上、芝生の上で べちゃっと転んだナターシャちゃんを助け起こそうともしない。 これが、百歩譲って、ナターシャちゃんのパパかママなら、転んだ子供に手を貸さないって、教育方針を変えたんだろうって思うこともできるけど、あの男の子は ナターシャちゃんのパパでもママでもない。 それ以前に、自分の足元で転んだ小さな子供に手を差しのべもせず、ただ無言で見下ろしてるなんて、人として おかしいだろ。 人生を頑張らず、いい加減に だらだら生きることを旨としてる この俺だって、目の前で小さな女の子が転んだら、『大丈夫?』って声をかけるくらいのことはする。 手を貸すかどうかは、時と場合によるけどな。 なにしろ、小さな女の子に親切にしすぎると、アブナイ趣味の持ち主と疑われかねないのが、昨今の世の中だから。 もちろん、俺には そんな趣味はないぞ。 ナターシャちゃんは明るくて、はきはきしてて、素直な いい子で可愛いと思うし、瞬先生と話す機会を作ってくれたナターシャちゃんには感謝もしてるけど、それだけだ。 俺は、幼女より美人の方が好きだ。 って、俺の趣味はどうでもよくて、つまり、アイオリア少年の様子がおかしいんだよ。 ほんとに ナターシャちゃんのパパやママはいないのかと、辺りを見まわしてたら、並木道の方から瞬先生が来るのが見えた。 俺は、日頃の外界への無関心を忘れて、急いで瞬の許に駆け寄っていって、ご注進に及んだんだ。 「瞬先生。あの子 ――ナターシャちゃんと一緒にいる男の子の様子がおかしいんです。以前と違う。見た目は何も変わっていないけど、感じが違うんです」 「な……浪平さん……?」 いつもは目が会っても、ナターシャちゃんに『ナミヘーお兄ちゃーん!』と呼び掛けてもらえない限り『こんにちは』も言わない俺に、公道最速記録に挑もうとする大型トラックみたいな勢いで迫ってこられたんだ。 瞬先生は、まず そのことに驚いたようだった。 俺は、でも、今ばかりは そんなことは気にしていられず、ご注進を続けたんだ。 「前と違うんだ。ナターシャちゃんを見る目が――違う、そうじゃない。目は開いてるのに、ナターシャちゃんが見えてないみたいっていうか、とにかく、前に見た時と違う。別人みたいなんだ!」 「違う? アイオリアが?」 やっと俺の ご注進内容の方に意識を向けることを始めてくれたらしい瞬先生が、ナターシャちゃんの方に視線を巡らせた次の瞬間。 「氷河っ!」 瞬先生は、なぜか その場にいなかったナターシャちゃんのイケメンパパの名を呼んだ。 それと ほぼ同時に、世界が変わった。 公園が消えた。 暗転。 いったい何が起こったのか、俺には説明できない。 何が起こったのか、わかっていないんだから、説明できないのは当たり前なんだが、とにかく 気がつくと、俺は 宇宙の中に立っていた。 「うぎょええええ~っ !? 」 “何事にも深く関心を持たず、感情を動かされず、だらだらテキトーに”が俺のポリシーだけど、こればっかりは、全身全霊で驚かないわけにはいかなかった。 ここが本当に 宇宙空間なら、空気がないはずで、だから 俺の奇声も響き渡らないはずなんだけど、俺の奇声は宇宙全体に響き渡った。 てことは、ここは宇宙空間に見えるけど、宇宙空間じゃないんだ。 そりゃそうだ。 宇宙空間なら、音が響く響かない以前に、息ができずに死んでるはずだ。 じゃあ、ここは何だ? 星みたいに チカチカしてるのは、星じゃないのか? 混乱して、俺が あわあわしてたら、瞬先生が申し訳なさそうに、俺に頭を下げてきた。 「す……すみません。浪平さんを巻き込んでしまいました」 「え」 てことは、これは瞬先生がしたことなのか? 「外の世界に影響を及ぼさないよう、空間を閉じたんですが、その際、浪平さんを一緒に閉じ込めてしまったんです。側にいすぎて――外に置いてこれなかったんです」 俺を一緒に閉じ込めてしまった――って、ここはどこだよ? 瞬先生、なに言ってんだよ。 ただの美人じゃないだろうとは思ってたけど、ただの才色兼備ママでもなかったのか? 「心配なさらないでください。浪平さんは、僕が命に代えても守ります」 いや、俺は瞬先生に命に代えて守ってもらえるような大層な人間じゃないけどさ。 「氷河、わかる? 敵の正体」 いつのまにか、ナターシャちゃんのパパも、この宇宙空間に来てた。 ここにいるのは、俺と、ナターシャちゃんのパパとママと、ナターシャちゃんとアリオリア少年だけ。 『空間を閉じた』ってのは、こういうことみたいだ。 光が丘公園にいた他の人たちは、この空間の“外”にいるんだ。 「二流どころじゃない神のようだが」 神? 神って何だよ !? 「ハーデスと同じレベルかな?アイオリアを支配しようとして、支配しきれていないね。……まだ」 「アイオリアの抵抗が強いせいもあるが、神自体、覚醒が不十分で、十全の力が 発揮できていないようだ。神もアイオリアも 意識が半分 眠っている。だからこそ、自制が利かずに 暴走する可能性もある。倒すとアイオリアの身が危ないかもしれん」 「なら、眠らせる。ハーデスの力で何とかするよ」 瞬先生とイケメンパパが何を言ってるのか、俺には 全く わからなかった。 ていうか、瞬先生とイケメンパパは、何も言っていなかった。 二人のやりとりは、俺の頭の中に直接 響いてきて――しかも、二人は、それだけのやりとりを一瞬で済ませた。 この奇妙な宇宙空間もどきに一緒に閉じ込められてしまったせいで、俺は二人の思念でのやりとりが聞こえる(?)ようになっているんだろうか。 すごい速さで意思の伝達が進んで、それに触れてる俺は、急に自分の頭の回転が速くなったような気がした。 天才の頭の中って、こんなふうなのかな。 何もかもが超高速で進む。 超高速で進んでたんだけど。 |