「瞬」
初めてイケメンパパが、耳で聞きとれる声を発した。
「大丈夫。心配しないで」
瞬先生が、にこりと笑う。
「一瞬、僕が無防備になるから、その間、ナターシャちゃんと浪平さんをお願い」
「わかった」
「うん。じゃあ、いくよ」
イケメンパパは『わかった』しか言わなかったけど、同じ空間で 二人の思念に触れられるようになってた俺には、今 ここで何が起こってるのかは わからなかったけど、一般人の俺を傷付けないように二人が行動することが すごく大変で、俺さえいなきゃ、二人は余裕で、まだ十全の力を発揮できていない神を封じられるんだってことが わかったんだ。

俺さえいなきゃ余裕。
俺を見捨てれば、ナターシャちゃんのパパとママは、確実にナターシャちゃんと世界を守ることができるんだって。
それがわかったら、
「ま……待ってくれ。俺のことは放っといてくれ!」
俺のすべきことは決まっていた。
「俺のこと無視すれば、ナターシャちゃんは確実に助かるんだろ? だったら、俺のことは放っといてくれ! このくだらない人生を終わらせる、いいチャンスだ」

ずっと、いつかいつかと思いながら、何もできずにいた。
俺にだって 何かできることがあるはずだって、無理に自分を肯定しながら 何もできずに、ただ だらだら生きてきた。
その“いつか”が、ついに来たんだ。
永遠に来ないと思っていた“いつか”。
俺の だらだら人生を、この人たちの役に立てて終わらせられるなら、それって、最高の“いつか”じゃないか。

「何を言ってるんです!」
瞬先生が、怒っているのか 呆れているのか 悲しんでいるのか わからない目と声を、俺に向けてくる。
俺は、瞬先生に そんなふうに言ってもらったり、見詰めてもらったりできるような大層な人間じゃないのに。

「俺は、生きてても何の役にも立たない人間なんだ」
父さんも母さんも、俺みたいな駄目息子は いない方がいいに決まってる。
俺は社会のゴミなんだ。
ゴミはゴミ箱に捨ててくれ。
そうすれば、社会も公園も綺麗になる。
俺が本当にゴミ箱に捨てたかったのは、空き缶や 空になったペットボトルじゃなく、俺自身だったんだ。
こんなにカッコよく自分を捨てられるチャンスは、今を逃したら、きっと永遠に来ない。

俺は、別に、自己犠牲の精神とかボランティア精神とか、そんなのに突き動かされたわけじゃなく、純粋に自分の得になると思って、そう言ったんだ。
本気で、瞬先生たちと俺の両方の得になる、ウィンウィンの提案をしたつもりだった。
なのに、瞬先生は、そんな俺を――もしかしたら初めて、叱りつけてきた――?

「僕たちは あなた方の命と幸福を守るために戦っているんです!」
声に出して、瞬先生は俺に訴えてきた。
『僕たちは あなた方の命と幸福を守るために戦っているんです!』
ただの美人、ただのイケメンじゃなさそうだと感じてはいたけど、じゃあ、瞬先生とイケメンパパは、地球と人類を悪者から守る正義の味方をやってるってことか?
俺はびっくりして――ううん、びっくりするより、『さすがだ』って感心する気持ちの方が強かったかな。
ナターシャちゃんのパパとママは、やっぱり特別な人たちだったんだ。
腑に落ちたっていうか、そんな気持ち。

でも、だったら尚更、そんな特別な人たちがゴミを守るために 我が身を危険に さらしちゃいけないだろう。
価値ある命の無駄遣いだ。
「そんなの、馬鹿げてる。勿体ない。世の中のために何もできない無価値なゴミは 綺麗に片付けてしまった方が、世界のためになる。俺みたいな役立たずは死んだ方が、世界の役に立つんだ」
ヒューマニズムが どうこうなんて非合理的な考えは この際 うっちゃって、世界と人類の未来を合理的に考えたら、それは間違った考えじゃないと思う。
けど、瞬先生は 一瞬の逡巡もなく、俺の主張を否定してきた。

「死ぬことなんて、いつでもできます! 生きたいと……生きたいと思っていてください! それが僕たちの力になる!」
「……」
さっき 瞬先生と イケメンパパの思念に触れて、急に頭の回転が速くなったような気がしたのに、あれは 俺の錯覚だったらしい。
俺は やっぱり頭が悪い。
回転が遅い。
瞬先生の言うことが理解できない。
俺が『生きたい』と思ってることが、瞬先生みたいに特別な人の力になるなんて、そんなこと あるはずない。……よな?
俺は、瞬先生の言うことが信じられなくて、その場で ぼうっとしてた。

そしたら――生きたいと思ってない俺は、瞬先生の力になれないどころか、むしろ弱みになるらしい。
アイオリア少年だったものが、俺に向かって何か、空気みたいなものを投げつけてきた。
俺は それに圧し潰されそうになって――。

俺は、自分は死んでもいいと思ってる。
死にたいと思ってる。
そんな俺を見てる瞬先生は悲しそうで、泣きそうで――俺は……俺はさ、瞬先生に そんな悲しそうな目をさせてまで無理に死にたいなんて思ってないぞ。
父さん母さんも――自慢にならない馬鹿息子でも、俺が死んだら泣くのかなあ。
俺だって、なれるもんなら、父さんたちの自慢の息子になりたかったんだ。
今からじゃ遅すぎるけど――1回だけでいいから、失敗して みじめな気持ちになることを恐れずに、本気で何かを頑張ってみればよかったな。
1回でいいから。
もう遅いかもしれないけど、1回でいいから。

苦しい。
内臓が口から飛び出そうだ。
でも、もっと楽な死に方の方がよかったとは思わない。
せめて、最後に、この痛みや苦しさに 一生懸命 耐えよう。
もう そんなことしかできない自分が悔しいけど、ほんとに悔しいけど、悔しくて情けないけど……。
そう思って、これまでの俺が そうだったように、俺が 今度もまた諦めようとした時。

「ナターシャは生きていたいヨ! 生きて、いつか パパとマーマと 大きな滑り台で遊ぶヨ! ナミヘーお兄ちゃんも一緒ダヨ!」
ナターシャちゃんが、元気な声で叫んだ。
途端に、瞬先生の瞳が明るく輝く。

「うん。ナミヘーお兄ちゃんと 大きな滑り台。命に代えても、ナターシャちゃんの望みは叶えてあげるよ」
「パパ、マーマ、頑張ってー !! 」
「もちろん」
「まかせておけ」

途端に、か細い星の輝きしかないようだった宇宙空間が 真っ白い光で いっぱいになり、俺の身体を押し潰そうとしていた力も一瞬で消え、
「パパ、マーマ、カッコいー !! 」
ナターシャちゃんの歓声で、俺は自分が死に損なったことを知ったんだ。



宇宙空間が消え、俺たち全員が 無事に 元の光が丘公園に戻った時、アイオリア少年は何も憶えてなかった。
「まだ 完全に安心はできないけど……」
って、瞬先生は言ってたけど、ナターシャちゃんは何もなかったみたいに、アイオリア少年に、また宇宙に行こうとか何とか、胆の据わったことを言ってた。
その時は、ナミヘーお兄ちゃんも一緒。パパもマーマも一緒に――って。
さすがは、瞬先生とイケメンパパの娘。
さすがだよ、ナターシャちゃん。






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