だが、事実は事実である。
事実は事実として、エスメラルダに伝えなければならない。
その事実は、瞬以外のすべての人間にとって喜ばしいものだったから、なおさら。
瞬は、エスメラルダの許に戻ると、自分がエティオピアの旗艦で入手してきた情報(事実)を彼女に伝えたのだった。

「エティオピアの王様は エスメラルダさんを好きだから、会いに来たんだって。憶えてる? エティオピアの王様は、自分の戴冠式で、下級兵士の恰好をして エスメラルダさんと会ったって言ってた。それで好きになって、もう一度エスメラルダさんに会いたくて、デスクィーン島まで来ちゃったんだって。だから、次は、エスメラルダさん自身が行った方がいい。エティオピア国王は、エスメラルダさんのこと、眠り草の君って呼んでるそうだよ」
「眠り草……?」

その野草の名を聞くと、エスメラルダは はっとしたように瞳を見開いた。
そして、微かに頬を上気させた。
エティオピア国王の戴冠式で出会ったエティオピア国王が化けた下級兵士を、エスメラルダは憶えていたらしい。
そして、もしかしたら、エスメラルダも彼に好意を抱いていたのかもしれなかった。
「そんな……まさか、あの人が、エティオピアの国王陛下だったの……?」
どうやら瞬の推測は当たっていたらしい。
エスメラルダは――エスメラルダも――エティオピア国王が変装した兵士のことを憶えていた。

「エティオピアの戴冠式に招かれた父に連れられていったエティオピアの王宮の庭に、デスクィーン島では見たことのない小さな可愛い花が咲いていて、私、その花を見詰めていたの。父はどこに行ったのか わからず、広くて壮麗なエティオピアの宮殿では、私の国より大きな国や文化的な国の王侯貴族が大勢 行き交っていて、私のことを気に留めてくれる人はいなかった。その花は、人の手で植えられた大きくて目立つ花じゃなくて、小さな野草なの。でも、ピンク色の小さなふわふわした花をつけていて、とっても可愛い花だったの。その花を眺めていたらね」

「眠り草が そんなに珍しいのか? なぜ、そんな野草を熱心に見詰めているんだ」
と尋ねてきた兵士がいたのだそうだった。
飾りのない質素な兵士の服を身に着けていて、帯剣もしていないのに、妙に偉そうに感じられる青年だったという。
エスメラルダは、
「一生懸命生きている花に、野草も栽培花もないでしょう。人も動物も植物も、頑張って生きている様子を見ると感動します」
と答えた。
「人は、それを食うぞ」
「ええ。でも、人も、死んで土に還れば、植物の命の糧になってあげられます。私も あなたも、王様も住む家を持たない人も、どんな人間でも。そういうものでしょう」

そんな やりとりをして、
「本当は、この眠り草を おまえに手折ってやりたいが、いたずらに花の命を縮めることを、おまえは喜びそうにないな」
と言う兵士と別れたのだという。

すべての命を平等に見詰めるエスメラルダらしい言葉。
瞬は、そんな彼女が好きだった。
彼女には幸せになってほしい。
自分よりも。
だから、瞬は微笑んで、彼女に告げたのだ。

「そんなふうな考え方のできるエスメラルダさんに、エティオピア王は心惹かれたんだと思うよ。エティオピア王は、その時のことを憶えてたんだよ。もしかしたら、これまでは、あの お父さんが 二人の接触を邪魔していたんじゃないかな」
「え」
「エスメラルダさんのお父さんは、エティオピア王が欲しているのはエスメラルダさん自身じゃなく、エスメラルダさんが継ぐことになっているデスクィーン王国だと考えていたのかもしれない。デスクィーン王国がエティオピアに吸収合併されることになるかもしれないと、それを案じて、エスメラルダさんには何も言わずにいたのかもしれない」
「……」

エスメラルダが黙ってしまったのは、思い当たることがあったからか。
「エスメラルダさんは、一国の王でいることに執着しているわけじゃないでしょう?」
「ええ。みんなが幸せでいられるなら、それが いちばん大切なことよ」
エスメラルダは気弱で大人しく、他人の意見に逆らうことは滅多にない。
それが自分に関することであるならば。
自分に関することでは、エスメラルダは 驚くほど諦めがいい少女だった。
だが、彼女は、自分以外の人間が苦しむ事態には、やわらかく静かに抵抗し続ける 不思議な強さを持っている。
エティオピア国王が、そんなエスメラルダの美質を わかってくれているのなら、恋の部外者が口出しすべきではないだろう。
少し悲しく、瞬は そう思ったのである。

「もう、心配して損した」
「瞬ちゃん」
「僕は アンドロメダ島に帰るよ。うまくやって」
「うまくって、どうすれば……」
どうすればいいのかは、瞬も知らない。
“うまく”できなかった人間に、そんなことを訊かないでほしい。
瞬は、切ない笑顔を作って、アンドロメダ島に続く海に向かって駆け出した。



エスメラルダは“うまく”やったようだった。
エティオピア国王の行動力のたまものなのだろうが、エスメラルダ女王とエティオピア国王の婚姻の約束は とんとん拍子に進み、整っていったらしい。
二人の婚姻が成ったあとは、エティオピア王国とデスクィーン王国を連合王国として二人が共同統治することが決まり、エティオピアの大船団は エスメラルダ女王という恋の戦利品を乗せて、エティオピアに帰っていったのである。

エスメラルダはエティオピアで エティオピア王と暮らすことになった。
デスクィーン島には自治権を保障し、エスメラルダは議会の決定の承認と拒否する権利だけを行使する女王となる。
エティオピア王と結ばれることがなくても、エスメラルダはデスクィーン島の統治は家臣たちに任せることになっていただろうから、デスクィーン王国と その国民は ほぼ予想通りで理想的な決着を見たようだった。



『可能であれば、結婚の祝典に来てほしい』というエスメラルダからの手紙が、デスクィーン王国の大臣経由で瞬の許に届けられたのは、エティオピアの大船団が意気揚々と祖国に凱旋していった日から、僅か半月後のことだった。






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