「僕は、君のマーマに似てるの?」
ナターシャは、衣服だけでなく、もしかすると食事も適切に食べさせてもらえていないのかもしれない。
テーブルにクリーム山盛りのショコラ・ヴィエノワとクイニーアマンが運ばれてくると、ナターシャは爛々と目を輝かせて、ほとんど睨むように それらを見詰めた。
それでも、これが瞬の好意で ご馳走してもらうものだということは忘れていないらしく、ナターシャは すぐには それらに手を伸ばさなかった。
瞬に、『ボナペティ(召し上がれ)』を言われて初めて、彼女はクイニーアマンに飛びついた。

「お菓子も ショコラも逃げないから、ゆっくり食べて」
瞬にそう言われたナターシャが、恥ずかしそうに頷く。
おそらく 亡くなった“マーマ”は、ナターシャに ちゃんとマナーを教えていたのだ。
ナターシャは、ちゃんとした――むしろ、一般家庭より かなり裕福な家庭の令嬢だったに違いない。

「僕は、ナターシャちゃんのマーマに似てるの?」
ナターシャの唇の端についている ショコラ・ヴィエノワのクリームを 人差し指で 掬い取り、瞬は笑いながら、それを舐めた。
瞬のその所作を見たナターシャが、嬉しそうに笑う。
もしかしたら 亡くなったマーマか、元気だった頃のパパが、ナターシャに同じことをしていたのかもしれない。
ナターシャは、急に 瞬に対しての他人行儀をやめ、二人の間の距離を縮めてきた。

「パパの絵のモデルをしてたのは、ナターシャのマーマじゃなく、ナターシャのパパのマーマダヨ」
「えっ」
ナターシャは決して、論理的に破綻したことを口にしたわけではない。
だが、その発言の意味を理解するのに、瞬は かなりの時間を要したのである。
「それは、つまり――ナターシャちゃんのパパは、ナターシャちゃんのおばあちゃんをモデルにモード画を描いてたの?」
一瞬 迷うような素振りを見せてから、ナターシャは 大きく深く頷いた。

「ソーダヨ。パパのマーマはとっても綺麗で……。アノネ。お姉ちゃんは パパのマーマに あんまり似てないと思う。でも、綺麗で優しい目をしてるところが おんなじ。お姉ちゃんの目は、すごく綺麗。パパのマーマの目も綺麗だった。パパのマーマの目は、パパとおんなじ青色だったケド」
日本人離れしているといっても、瞬は生粋の日本人。
全般的に色素は薄いが、髪も瞳も 色の基調は黒である。
ナターシャは、色ではない何か、形でもない何かを、瞬の中に見い出してくれたものらしかった。

「パパは、オンナデヒトツでマーマに育ててもらったんだっテ。それで、マーマをとっても愛してて、大切にしてて、頼ってもイタ。そのマーマが死んで、パパはやる気をなくしちゃったの。ほんとは、ナターシャも、マーマがいなくなって悲しい」
そう言って、ナターシャが項垂れる。
『ナターシャも、マーマがいなくなって悲しい』
それはそうだろう。それは、悲しいに決まっている。
パパとマーマと三人で幸せに暮らしていた家で、マーマが欠けてしまったら。

“マーマ”が“パパのマーマ”だったというのは想定外だったが、おそらく“ナターシャのマーマ”は“パパのマーマ”より先に亡くなってしまったのだろう。
本当はナターシャも マーマがいなくなってしまったことを悲しみたいのに、パパの悲しみが深すぎて、ナターシャには悲しむ余裕が与えられずにいるのだ。

「ナターシャじゃ、ちっちゃすぎて、マーマの代わりになれないの。パパには、大人の女の人のドレスを着れる、大人の綺麗な人が必要ナノ」
ナターシャの瞳から、ぽろぽろと涙の粒が幾つも零れ落ちる。
ナターシャは、自分で 自分の涙に驚いたのか、急いで 顔を俯かせた。
この少女は、苦しみの中にいる大好きなパパを励まし力づけてあげたいのに、自分にその力がないことが悲しくてならないのだ。
こんなに小さな少女が。

「ナターシャちゃん……」
こんなに小さな少女が、自分の悲しみより、傷付き弱っている父の身を案じている。
愛する母を失った息子への同情は同情として、こんなに小さな少女を悲しませ泣かせている父親に、瞬は少なからず 憤りを覚えた。
そして、パパを思うナターシャの気持ちを 彼女のパパに伝え、どうあっても立ち直ってもらわなければならないと思ったのである。
立ち直って、以前 そうだったように ナターシャの自慢のパパに戻り、そんなパパの自慢話を、満面の笑みのナターシャから 聞きたい。
否、必ず聞くのだ。
瞬は、そう決意した。


「僕、ナターシャちゃんのパパに会ってみようかな」
とにかく、話はそこからである。
瞬が乗り気を示すと、
「ほんとっ !? 」
ナターシャは 頬を紅潮させて、テーブルの上に身を乗り出してきた。
「ナターシャ、パパがどんな人が好きなタイプなのか、ばっちり わかるノ。お姉ちゃんは、絶対 パパのタイプダヨ!」
大好きなパパのことなら、何でもわかる。
自信満々のナターシャに、『僕は男だよ』とは、瞬は とてもではないが言えなかった。






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