「氷河をミコちゃんのパパに指名したっていうのは、ミコちゃんに危害が加えられる可能性があるから、守ってほしいということなんじゃないかな。きっと、氷河が、公園に乱入してきた人間の暴れ馬を いなすところを見たことがあったんでしょう」 「人間の暴れ馬というのは何だ」 氷河の声は脱力気味。 ミコちゃんのママが 自分の娘の安全のために こんな非常手段に出たのなら、ナターシャはできるだけ 関わりのないところに置きたい――と、氷河も思っているだろう。 だが、正義の味方のパパとマーマの娘という自覚が強いナターシャは、困っている人を助ける(のに協力する)のが自分の務めだと信じているようだった。 氷河に向けられるナターシャの眼差しは、もう 娘に甘いパパを見る目ではなく、頼りになる正義の味方の強さを期待する者のそれになっていた。 「とりあえず、ミコちゃんのおうちまで行ってみて、ママがいるかどうかを確かめよう」 人間相手のことなら、ナターシャを守り切る自信はある。 瞬は まずは正義の味方の務めにナターシャを同行させて、ナターシャを満足させ、それ以上の深入りは避ける方向で 対応することにした。 場合によっては、ミコちゃんの母親が犯罪に巻き込まれている可能性もある。 まず、母親が在宅かどうか、無事かどうかを確かめる。 そこで母親に会えなかったら、どちらにしても警察に頼むしかないだろう。 「そうだな。まず母親を探すか」 そこまでなら、ナターシャが一緒でも、オサンポに 人探しという目的が付されただけのことで済む。 瞬は 氷河に軽く頷き、再び ミコちゃんの前にしゃがみ込んだ。 「ミコちゃん。ミコちゃんのおうちは どっちかわかる?」 瞬に問われたミコちゃんが、困ったように もじもじする。 おうちの場所がわからないから――ではなく、おうちに帰りたくなくて 愚図っているような表情を、ミコちゃんは浮かべていた。 「ミコちゃんのパパ。ミコちゃんをパパのおうちに連れてって。パパのところにいなさいって、ママは言ってたの」 「君の母親の無事を確認するのが先だ」 「でも、ミコちゃんは、パパのところで、ママのお迎えを待ってないとならないの」 ミコちゃんが、梃子でも この場を動かない覚悟を見せる。 ナターシャは、ママの言いつけを何としても守ろうとするミコちゃんの態度に 大いに感じ入ったようだった。 だが、自分のパパとマーマのすることは、ミコちゃんの言いつけを守ることより ミコちゃんのためになると、ナターシャは信じている。 「ミコちゃん、大丈夫ダヨ。ナターシャのパパとマーマが ミコちゃんのママを探してくれるヨ。それで、ミコちゃんとミコちゃんのママを守ってあげる。ナターシャのパパとマーマは正義の味方で、とっても強いんダヨ。一緒にミコちゃんのママを探しに行こうネ」 ミコちゃんはママと はぐれた かわいそうな子で、ナターシャからパパを奪い取ろうとしているのではない。 ナターシャは ミコちゃんを そういうものとして認識したらしく、ミコちゃんの手を取って、 「ミコちゃんの おうちはどっち?」 と彼女に尋ねた。 ミコちゃんが、ますます困ったように身体を固く丸くする。 おうちに帰るわけにはいかないと、ミコちゃんは確信しているようだった。 ミコちゃんは 突然、 「ミコちゃん、ジュース飲みたい。おりんごの」 と言い出した。 この子は見かけより ずっと頭が切れる。もしくは、場数を踏んでいる。 ――と、瞬は思ったのである。 おうちに帰らないために、『帰らない』と言い張り続けるのではなく、話を脇に逸らす。 ナターシャでも、こんな方法を思いつくかどうか。 素直なナターシャは 素直にミコちゃんの策に乗り、彼女の提案に大喜びだった。 「ミコちゃん、ジュース飲みたいノ? ナターシャもダヨ!」 甘いジュース、甘いお菓子が大好きなのに、甘いものの飲みすぎ食べすぎは禁止。 だが、お客様の おもてなしのためなら、禁止ルールは緩むのだ。 ミコちゃんは よそのおうちの子で、つまり お客様。 ナターシャの瞳は、期待で きらきら輝き出していた。 そして、瞬は、二人の少女の挟み撃ちに会って、白旗を掲げるしかなかったのである。 お昼には少し早いが、お店はランチタイムに入る時刻。 いいタイミングかもしれなかった。 「ミコちゃん、朝ご飯は何を食べたの?」 「メロンパン」 「メロンパン? 他には?」 「メロンパン」 「……」 その朝食メニューを聞いただけで、ミコちゃんへの同情心が募る。 瞬の中では、ミコちゃんの偏った栄養の調整が、最優先課題として浮上してきた。 「ミコちゃんのおうちに行くのは、ちょっと早いけど、お昼を食べてからにしようか。ミコちゃん、おなか すいてる?」 「うん」 「ミコちゃんは、食べ物は何が好き?」 「チョコのパン」 「……」 ミコちゃんのママは、幼い娘に菓子パンばかり食べさせているのだろうか。 子供らしい丸みが全く感じられない体型の原因は、おそらく それである。 我知らず 口元を引き結ぶことになった瞬の背中を 氷河が ぽんぽんと叩いて なだめるという、滅多にないシチュエーションが その場に現出した。 瞬の代わりに ナターシャが、ミコちゃんの偏った食事に教育的指導を入れる。 「ミコちゃん、エイヨウが偏りすぎダヨ。お野菜とタンパク質が足りない。マーマ、お昼は ラッキーキャットで、れでぃーすプレートがいいヨ。サラダとスープと、おサカナのムニエルか お肉のピカタ。公園で食べられるように、お持ち帰りのお弁当にしてもらうのがいいヨ。ラッキーキャットなら、デザートにカボチャのプリンもあるヨ。それと、今日のフルーツジュースダヨ!」 ナターシャの歳で“タンパク質”が出てくるのは、なかなかのものである。 もちろん彼女は瞬の口癖を真似たのだろうが、こういう時、子供の前で口にする言葉には注意しなければならないと、つくづく思う。 「さすがはナターシャちゃん。素敵な考えだね」 栄養のことでマーマに褒められたナターシャは、大得意である。 すっかり寛大になったナターシャは、ご機嫌で、 「ミコちゃん。ナターシャのことは、おねえちゃんって呼んでいいヨ」 とまで言い出したのだった。 |