「でも、何か気になんねー?」
星矢が気になるのは、彼が何者なのかを知らされていないという事実に負うところが大きかっただろう。
転校生の正体が、たとえば、関東一円に勢力を張っている反社会的勢力〇〇組の次期組長候補とか、国際テロ犯罪組織△△の元幹部等、正体がはっきりしていれば、彼は この件を『さもありなん』の一言で済ませていたかもしれなかった。

「うむ。最初は アテナの聖闘士の敵か、逆にアテナの聖闘士なのかとも思ったんだが、それなら 沙織さんが何か言うはずだし」
「そういうことなら、秘密にする必要なんかないもんな」
「沙織さん自身、奴の正体を把握できていないのかもしれん」
氷河は深く考えて そう言ったわけではなかったが、実際問題として、それは最もあり得ること――少なくとも、あり得ないことではなかった。

とある事情で、赤ん坊の女神アテナを引き取ることになった城戸光政は、今から6、7年ほど前、各地の養護施設をまわって、健康で運動能力に秀で、係累のない男子を探し出し、アテナの聖闘士に育てあげるために世界中のあちこちに送り込んだ。
星矢と紫龍と瞬は その際に世界の各地に散らばる修行地に送られ、生還したメンバーである。
氷河のみ、生誕の地は日本ではない。
沙織は、城戸光政が 聖闘士候補として 何人の男子を どこの国に送りつけたのかを、すべて把握しているわけではないのだそうだった。
沙織が そのことで孤児たちに負い目を抱くことがないように、城戸光政は彼女に詳細を語らず、またデータも残さなかったらしい。

「どうせ、親のない俺たちが一人で生き延びることは無理だったんだから、生きる目的と生きる場所を与えてもらえたってことで、それはそれでいいんだけどさ。表向きには、各国の現地企業の言葉や生活習慣に精通した人材を育成するためだとか何とか、綺麗事にしちまってるとこが卑怯だよな。現地の気候に馴染めなかったり、修行の厳しさに耐えきれなかったりで、身体を壊した奴、多数。多分、死んだ奴もいると思う。ほんと、ふざけてると思うぞ。一応 先進国の日本で、子供の人権を無視しまくってくれたんだから」

転校生の正体を考察していたはずだったのに、星矢の心と言葉は脱線気味。
子供の人権を無視――むしろ、積極的に侵害――したことを反省したのか、義務教育の年齢を過ぎた今になって、星矢たちは“学校”という場所に放り込まれてしまったのだ。

「氷河のように現地調達もある」
氷河は日露のハーフで、シベリア生まれ。母と共に シベリアで暮らしていた。
その母を失って、シベリアでアテナの聖闘士になるための修行を開始。聖闘士の資格を得て 日本にやってきたのは、つい4ヶ月前になる。
彼と同じようにアテナの聖闘士の資格を得て日本に帰国した仲間たちと共に 高校に通うようにという、アテナの命令による初来日だった。

「氷河は日露のハーフで、ガキの頃から日本語も使えてたんだろ? おまえも、むしろラッキーだったんじゃないか? 母親を亡くして 天涯孤独になっても、行き場に困らなくて」
「星矢。氷河は お母さんを亡くしたんだよ。ラッキーだなんて、そんなこと あるわけないでしょう」
「悪ィ」
瞬に責められ、星矢がすぐに謝る。
もちろん 星矢に悪気はないのだ。
自分たちより多くの親の記憶を持っている氷河を羨ましいと思っているだけで。
星矢の悪気のなさは、氷河もわかっている。

「だが、まあ、星矢の言う通りだろうな。グラードの世話で、親を亡くした6、7歳のガキが、たった一人で世間の荒波の中に放り出されずに済んだんだから。もともと両親のないおまえたちに比べたら、俺は恵まれているんだ。星矢や瞬は、その上、姉や兄と生き別れなんて、ひどいことになっている」
今から6年と半年前、それぞれの修行地に送られる際、星矢は 姉と引き離され、瞬の兄は 瞬とは別の修行地に送り込まれた。
この4月に、生還したアテナの聖闘士たちがグラード学園高校に入学することになった時、瞬の兄は その場におらず、星矢も姉との再会は成っていなかった。

「俺など、全く親族の記憶がないから、逆に幸せなのかもしれんな。肉親に愛された記憶がある おまえたちの方がつらいのかもしれん」
紫龍が、高校2年17歳とは思えない穏やかさで、悲しいことを言う。
瞬は首を左右に振った。
「どんな形であれ、肉親との別離に、“恵まれている”も“逆に幸せ”もないよ」
「ん……そうか。そうだな」

不幸自慢をしたいわけでも、幸福自慢をしたいわけでもない。
同じように、アテナの聖闘士になるための厳しい修行に耐え抜いた仲間同士で、“恵まれている”も“逆に幸せ”もない。
皆、同じように つらかった。
そして、皆、同じように 頑張ったのだ。

「だが、まあ、人生には別離もあれば、出会いもある」
湿っぽい話は やめようとばかりに、紫龍が話題のレールを切り替え、
「特に、氷河は」
星矢が、切り替えられたレールに乗る。
「特に氷河は……? 氷河、日本に来てから、何か特別な出会いがあったの?」
無邪気に尋ねたのは瞬で、
「……」
だが、氷河は、瞬に答えを返してよこさなかった。
代わりに星矢が、妙に楽しそうに弾んだ口調で、
「超特別なやつが あったんだよ。絶世の美少女との出会いが」
と、氷河の特別な出会いを 瞬に報告してくる。
「へ……え。絶世の美少女? 氷河と並んだら、すごく綺麗だろうね。機会があったら 紹介してね、氷河」

瞬には全くの初耳である。
『機会があったら 紹介して』と言って微笑む以外のリアクションは、瞬にはできなかっただろう。
それでなくても楽しそうだった星矢が 派手に吹き出し、当の氷河は逆に 人生をまるで楽しんでいない顔になる。
「くだらん冗談だ」
ぶっきらぼうな口調で、瞬に そう言ってから、氷河は 割れない程度に優しく星矢の頭を殴った。






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