「ああ、あれはなー。あれ、確か、最初は 氷河だったと思う。小学校の低学年の時だよ」
瞬が友だちでなかったら、“謙虚”という言葉の意味はもちろん、そんな言葉の存在すら知らないままだったろう星矢は、サッカー部のキャプテンに対しても タメ語である。
実力より年齢重視の体育会系にもかかわらず、キャプテン(3年生)に対する星矢(1年生)の平等主義が許されるのは もちろん、星矢が瞬の親友だからだった。
「見た目が完全にガイジンの氷河に 言葉が通じるかどうかわからないから、彼氏になってくれるかどうか確かめてほしいって、瞬に頼んできた女の子がいたんだよ。まだ世界の中心に自分がいると思ってる ガキんちょだからできたことだよな。あの瞬に、あの氷河への橋渡しを頼むなんて、カモノハシが、ブリティッシュショートヘアに アフガンハウンドへの橋渡しを頼むようなもんだろ」

「わかりにくい例えだな……」
キャプテンは苦笑交じりに言った。
「わかるような気もするが」
と、口の中で遠慮がちに呟く。
星矢は、“謙虚”も知らないが、“遠慮”も知らない。
女の子だからといって 表現に気を遣うこともしないし、カモノハシにも言いたい放題をする。
「あとは もう、なし崩しだな。あの強面の兄貴に睨まれたと誤解した奴が、瞬に仲裁を頼んできたり、紫龍は なんか糞真面目で堅苦しくて、敬語が完璧でないと、すぐに機嫌を損ねるって思われてるらしくて、阻喪を恐れる奴等が瞬に伝奏を頼んだり。おかげで、瞬は すっかり側用人だよ」
やはり、星矢の例えは わかりにくい。

「俺は俺で、なんか、瞬経由でないと、まともに論理的な話ができないって思われてるらしくて……。ほんと失礼だよな。たしかに、あちこちに話を飛ばす癖はあるけどさ」
「ははははは」
その噂を鵜呑みにし、瞬経由で 星矢をサッカー部に勧誘したキャプテンが、夕方というには まだ少し早い無人のグラウンドに 乾いた笑い声を響かせる。
星矢は 論理的な話ができないのではないことを、今では キャプテンは承知していた。
星矢はただ、腹が減ると おやつのことで頭がいっぱいになるだけなのだ。

ちなみに、熱中症予防のため、グラード学園の夏休み中のグラウンド使用は、午前10時前と午後4時以降しか許可されていない。
グラード学園の夏休み中の屋外スポーツのクラブ活動は、ほぼ壊滅状態だった。

「本当は、俺たちの中で、いちばん強いのも、いちばん綺麗で成績がいいのも瞬なんだけど、瞬には見事に その自覚がないんだよな。いちばん優しくて 人当たりがいいのも瞬だから、俺たちへの用件は 相変わらず 瞬を通して俺たちのところに来るし、実際 その方が 確実で効率的で 手っ取り早い。瞬は 俺たちの総合受付なんだよ。何でも心得ていて、話がしやすい美人受付嬢。瞬は、受付係の自分に用がある人間なんていないと思ってるんだ。そんなはずないのに」
「それで、去年のバレンタインデーみたいなことがあるわけか」

キャプテンが溜め息混じりに持ち出した話題を、星矢は派手に笑い飛ばした。
去年の2月、瞬と星矢はまだ中等部に在籍していたのだが、それはグラード学園の高等部のみならず初等部までをも巻き込んだ大騒動だったのだ。
「あのバレンタインデー騒動は傑作だったなー」

バレンタインチョコレートの総合受付で、一昨年(つまり、前々回のバレンタインデーに)も、瞬は結構 苦労をしたのである。
なにしろ、一輝、氷河、紫龍、星矢宛てのチョコレートが すべて瞬の許に届き、瞬はその仕分け作業を行わなければならなかったのだ。
それらのチョコレートには宛先不明(=瞬宛て)のものも多数あって、瞬の仕分け作業は一向に はかどらなかった。
綺麗にラッピングされたチョコレートの宛先は、外からはわからない。
カードは大抵、ラッピングバッグやボックスの中に入っていて、外から見えるところに添えられたカードは ちょっとした弾みで本体から落ちてしまうのだ。

それに懲りた瞬が、昨年 編み出した仕分け術。
それは、事前にリボンの色を指定するという やり方だった。
外から 宛先がわかるようにしなくていいから、リボンの色を、氷河は青、紫龍は紫、一輝は橙、星矢は赤と決め、該当の色のリボンでラッピングを行なうよう、事前にグラード学園のネット掲示板に通達を出したのである。

いわゆる宅配便の伝票を色分けするシステムの応用である。
その事前通達のおかげで、去年の瞬のバレンタインチョコレート仕分け作業は、一昨年より はるかに効率よく行われた。
だが、問題が一つ。
それは、誰宛てなのかわからない ピンクのリボンのチョコレートが多数 送られてきたこと。
それらのチョコレートが誰宛てなのかを悩んだ瞬は、結局、ピンクのリボンのチョコレートをすべて、グラード学園の生徒であり理事でもある 城戸沙織のところに持っていったのだ。

沙織はすぐに瞬の誤解に気付いたが、それらのチョコレートを瞬に直接 返却すると、瞬が自分のミスを必要以上に気にするかもしれないと考えて、彼女は その仕事を瞬の兄に頼んだ。
さすがグラード財団総帥は、一輝を恐れたりはしない。
彼女は、強面一輝より、善意の瞬の心を傷付けることの方を恐れたのだ。
沙織が一輝に預けたチョコレートの行方は杳として知れない。
わかっているのは、それらが瞬の手に渡らなかったことだけである。






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