「あれ、瞬ちゃんは ほんとに わざとやってるんじゃないんだよな?」
キャプテンが星矢に そう問うのは、彼が普通人の心しか持っていないからである。
真に謙虚で清らかな心がどんなものなのかを、彼は知らないのだ。
「瞬はいつも大真面目だよ」
星矢が確信に満ちて、頷く。
キャプテンは、それでもまだ少し疑わしげだった。

「でも、初等部中等部高等部 全部ひっくるめて、この学園で いちばん綺麗で可愛いのは、誰が どう見ても瞬ちゃんだろう」
「瞬は、自分の顔を直接見れないから、んなこと わかんないんだよ」
「この学校で いちばん頭がよくて、成績がいいのも瞬ちゃんだ」
「瞬は自分の成績は知ってても、他の生徒の成績は知らないからなー。俺のテストの点数が散々なことは知ってるけどさ」
「スポーツ万能なのは、嫌でも自覚するだろう。大会や記録会で記録を出して、順位も勝敗もはっきり示されるんだから」
「スポーツ万能っていっても、せいぜい俺と どっこいどっこいのレベルだからなぁ」
「性格だって、少し控えめすぎるけど、優しくて、気配りができて、素直で、親切で――」
「瞬は、そんなの、当たりまえのことだと思ってるからなぁ。それに、なにしろ、謙虚で うぬぼれられない性格だから」

星矢は いかなる他意もなく、客観的事実と 彼が思ったことを率直に 言葉にしているだけなのだが、星矢の切り返しに、キャプテンは いちいち こめかみを引きつらせた。
「じゃあ、瞬ちゃんと親しくなりたい奴は、いったい どうすればいいんだよ!」
キャプテンの悲鳴じみた声での訴えに驚いて、星矢は暫時 目を丸くした。
彼は瞬と親しくなりたいのか。
それがキャプテンの望みなのだとしたら、それは星矢には まさに寝耳に水のことだったのだ。

星矢の疑いの眼差しに気付いたキャプテンが、その場を取り繕い、ごまかそうとするかのように、視線をあちこちに落ち着きなく飛ばし始める。
彼は最後には、開き直ったように掛けていたベンチから立ち上がり、星矢に訴え始めた。
「いや、だから、言ったろ。俺はただ、こないだ 一人で早朝自主練習してた時に怪我をして、その時、たまたま通りかかった瞬ちゃんに手当してもらった時のハンカチを返したいだけなんだ」
その橋渡しをキャプテンは星矢に頼み、星矢は先ほどから キャプテンの依頼を断っていたのである。

「だから、俺も言ったろ。俺と紫龍は 瞬への橋渡しを禁じられてんの! 瞬へのプレゼントや手紙の類を預かるのは無理なんだよ」
「プレゼントじゃなく、借りてたものの返却だ!」
「借りてたものの返却でも、一輝と氷河を通さなきゃ駄目、無理、NG。俺だって、あいつ等に殺されるのは嫌だしなー。あの二人、昔は すげー仲が悪かったのに、いつのまにか 滅茶苦茶 仲良くなっちゃって、瞬に関しては、二人仲良く超過保護っていうか、二人で協力して、瞬の周囲に 鉄壁の防御壁を築いてるんだよな。とかとか、噂をすれば影……!」

まもなく 午後4時になる。
特定のクラブに入っていない一輝と氷河がグラウンドの側を通りかかったのは、午後のグラウンド使用開始時刻前の見回りなのだろう。
一輝と氷河は、それぞれ3年と2年の風紀委員長なのだ。
それこそ『毒を以て毒を制す』のいい見本だと、星矢は思っていた。

一輝と氷河の姿を認め、キャプテンが顔を――顔だけでなく全身を――強張らせる。
「俺、瞬への橋渡しは禁じられてるけど、一輝と氷河への橋渡しは禁じられてないんだ。あの二人に事情説明してやるよ。キャプテンは瞬に借りたものを 瞬に返したいだけで、瞬に悪さをしようなんて、これっぽっちも考えてないんだって」

そもそも 掛かりつけ医の紹介状がないと 総合病院を受診できないような橋渡し制度の存在そのものが、まず おかしいのだ。
一輝や氷河が怖いから、人当たりの やわらかな瞬に仲介に入ってもらうのは、人の心情として理解できなくもないが、同じ人間が 瞬に用がある時には 怖い一輝や氷河の許可を得なければならない――というのは、どう考えても おかしな話ではないか。
見た目や中身に どれほど大きな差があろうと、同じ学園に在籍する生徒同士で。

日頃から そう考えていた星矢は、一輝も氷河も瞬もサッカー部のキャプテンも皆、同じ学園に席を置く、同じ高校生――という平等思想のもと、ごく軽い気持ちで グラウンド脇の道を並んで歩いている一輝と氷河を、大きな声で呼び止めたのである。
「おーい、一輝! 氷河! ちょっと、こっち来てくれよー!」
「呼ぶなーっ !! 」

キャプテンが、ほとんど断末魔の声を上げたが、星矢に名を呼ばれた一輝と氷河は、いかにも面倒臭そうに、星矢たちのいるグラウンド入口脇のベンチに歩み寄ってきた――歩み寄ってきてしまった。
キャプテンの顔面が蒼白になっていることに気付きもせず、星矢がキャプテンの事情を説明し、キャプテンが瞬に返したいハンカチの入った紙袋を指し示す。
綺麗な薄桃色のラッピングバッグに入った それを瞬に渡してくれと、星矢がキャプテンに頼まれたのが、今日のこの橋渡し制度談義の端緒だったのだ。

星矢が一輝と氷河に 事の次第を説明している間、キャプテンは落ち着きなく目を泳がせて、一輝と氷河の視線から逃げようとしていた。
二人の視線から逃げようとしていることを、二人に気取られぬように、二人の視線を極端に意識しながら。
そんなキャプテンと、キャプテンが用意していた薄桃色のラッピングバッグの上に、一輝と氷河が胡散臭そうな目を向ける。

「瞬は優しいからな。怪我人を放っておけなかったんだろう」
「念のため、中を改めるぞ」
一輝と氷河が事務的に(だが決して攻撃的にではなく)、そう言う。
キャプテンがベンチの上に置いていた薄桃色のラッピングバッグを手に取ったのは、氷河だった。

「あ、でも、せっかく、洗って、アイロンをかけて、綺麗にラッピングしてきたのに……!」
氷河が手にしたものをキャプテンは取り返そうとしたが、紙のバッグは無情にも 氷河によって開けられてしまった。
中から、キャプテンの申告通り、白いハンカチが一枚出てくる。
それとは別に、一枚のハガキ大のカード。
カードには、直筆の『ありがとう』と、7本の薔薇の絵が描かれており、その7本の薔薇をまとめる位置に紙のリボンが貼りつけられていた。
薔薇の花束を見立てたカードらしい。

氷河は、そのカードの表を見、裏を見、陽光に透かし、自身の目の高さに合わせて水平に置いて厚さを確認した。
要するに、『ありがとう』以外のメッセージが カードに隠されているのではないかと、氷河はそれを疑っているのだ。
彼は最後にカードに貼られている紙のリボンを 解こうとさえし始めた。

「氷河。いくら何でも、そこまですることないじゃん。せっかくのカードが台無しだろ!」
無言のキャプテンに代わって、クレームを入れた星矢への答えは、
「また結べばいい」
氷河ではなく、一輝から返ってきた。
氷河が無理に解いた紙のリボンの裏側に電話番号とメールアドレスが記されていることを確認。
「油断も隙もないな」
氷河の短いコメントに、星矢は あっけにとられてしまったのである。
星矢は、キャプテンを そんな小細工のできる男だと思ってもいなかったから。
だが、そうだったらしい。

「星矢。おまえは甘い。おまえは知らんだろうが、7本の薔薇の花言葉は『ひそかに、あなたを思っています』だぞ」
そんな花言葉など、もちろん星矢は知らない。
「ハンカチは、俺たちから返しておく。『ありがとう』の言葉も、俺たちが瞬に伝えておこう。文句はあるまいな」
「……」
文句は山ほどあるのだろうが、それを声に出して一輝と氷河に訴える度胸は、キャプテンにはなかったようだった。
彼はただ 無言で頷いた。

呆然としている星矢と 撃沈されたキャプテンを その場に残し、一輝と氷河は 何も言わずに その場を立ち去っていった。
瞬の周囲に こんな手合いが多いのなら、一輝と氷河が協力し合って鉄壁の防御壁を築くのも致し方なし。
それは必要なことである。
一輝と氷河は、瞬を害虫から守りたいのだ。






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