ナターシャちゃんに“ナターシャ”という名前を与えたナターシャちゃんのパパの名前は 氷河。
天使のごとく清らかで美しい(しかも、一緒にいる時間が長くなるにつれ、とても聡明な人だということがわかってきた)マーマの名前は 瞬。
氷河さんと瞬さんとナターシャちゃん。
そこに、私ことモンちゃんが加わって、四人の暮らしが始まり、それは幸福そのものの日々だった。
私は自分のことは多くを語らなかったが、瞬さんは これまでの私の苦労と悲嘆を察してくれた。

瞬さんたちは もともと ここに住んでいたわけではなく、ここには、あるものを探しに やってきたのだと言う。
「何を?」
と、私が尋ねると、
「それが わからなくて……」
と、瞬さんから謎めいた答え。
謎めいて要領を得ない答えだったが、私は それで納得した。
私自身の これまでの日々が ずっとそうだったから。
自分が本当に求めているものが、何なのか わからない日々。

人生というものは誰の人生も、そんなもののような気がしてならない。
そんな日々の中で、愛し 愛せる人に出会い、幸福を感じたら、人は『この時が永遠に続けばいい』と願う。
けれど、その願いは叶わない。
それが人生。
人が(私を“人”と言っていいのなら)生きるということなのだ。


『永遠に この時が続けばいい』
私の その願いが砕け散る日は、私が瞬さんたちと出会って ひと月もしないうちに訪れた。
私が瞬さんたちと暮らしていた家に、私の創造主がやってきたんだ。
彼は銃を持っていて、それで私を殺そうとした。

以前は、たとえ敵としてでも、私の存在を認知し、感情(憎悪)をぶつけてくれる人がいることが嬉しかった。
だが、優しく美しい瞬さんたちを知ってしまったあとでは――。
創造主との再会は、私に どんな喜びも もたらしてはくれなかった。

「怪物を殺す」
と言う創造主。
殺意に燃えた創造主から、瞬さんと氷河さんは 私を庇ってくれた。
「モンブランさんが何をしたのだとしても、彼の命を奪うようなことはしないでください。彼は、僕たちの娘の大切な友だちなんです」
「なぜ 怪物を庇う。この化け物が何なのか、知っているのか。死体を繋ぎ合わせて作った化け物なんだぞ」
「それがどうしたというんだ。だから、傷付けていいということはない」
「こいつは、僕の妻を殺した。僕は この化け物の創造者として、この怪物をこの地上から消し去らなければならない」
「彼は、理由もなく そんなことをする人ではありません」

瞬さんと氷河さんは、私の創造主が構える銃の前に立ち、私を庇ってくれた。
私は、間違っても ナターシャちゃんに危害が及ぶことがないよう、ナターシャちゃんを背後に庇い――庇いながら、自分が犯した罪を 瞬さんたちが知ることになる苦しみを苦しんでいた。
瞬さんの言う通り、私が創造主の妻を殺したのには理由があった。
創造主が私の妻となるはずだった女を殺したから、私は彼に 同じことをしてやったのだ。
だが、理由があれば人を殺していいはずがない。
それは 取り返しのつかない過ちだ。

もし創造主の妻を生き返らせることができるなら、私は その代償に、自分の命をも 喜んで差し出すだろう。
そうして 罪を贖い、罪なき身となることができれば、私は、瞬さんたちに『モンちゃんは いい人だった』と思ってもらって死んでいくことができる。
だというのに、私が犯した罪は取り返しがつかない。
たとえ理由があっても、許されない。
瞬さんたちに その罪を知られることが こんなに悲しく つらいのだから、私自身、それを正しいことだったと思ってはいないのだ。
創造主の妻に、罪はなかった。

私は、私の幸福の日々が終わることを覚悟した。
ナターシャちゃんに 棚の陰に隠れるように言い、目にも唇にも苦渋をたたえて、私は 瞬さんと氷河さんに告げた。
「瞬さん。氷河さん。私なんかを庇ってくれて ありがとうございます。ですが、その男の言う通り、私は罪びとです。そして、その男は、私を作った人間。彼には 私を消し去る権利があるのでしょう。ですから、もう――」

もう十分、私は幸せの時を過ごした。
ナターシャちゃんに、ひどい場面を見せたくはないから、私は 今すぐ この幸福の家を去り、ここから離れた場所で 私の創造主の裁きを受けよう。
それが、こんな私に名を与え 優しくしてくれた 美しい人たちに、私ができる最後のこと。
瞬さんと氷河さんと、何よりナターシャちゃんのために、私はそう言ったのに。
私は、もう十分 幸福になれたと言ったのに。

「この男に、そんな権利があるはずがない! 神に人間を滅ぼし去る権利がないように!」
氷河さんは、激しい口調で、言下に私の提案を一蹴した。
瞬さんも――瞬さんの声は、氷河さんとは対照的に ひどく穏やかなのに、必死だった。
「モンブランさん。僕たちの娘も、モンブランさんと同じように、人の手で作られた命を生きています。そして、僕たちの娘も、あなたと同じように 優しい心を持った いい子です。僕たちは、ナターシャちゃんが可愛くて仕方がない。でも、ナターシャちゃんの身体のことが 人に知れたら、ナターシャちゃんは これから モンブランさんが これまでに味わってきたのと同じ苦しみや悲しみを経験することになるかもしれない。僕たちは、でも、どうしてもナターシャちゃんに幸せになってほしくて、どうすればナターシャちゃんを幸せにしてやれるのか、いつも悩んでいた」

「瞬さん……」
私の創造主が構えている銃の銃口は 相変わらず私に向けられていた――つまり、私を庇っている瞬さんと氷河さんに。
幸福すぎるほど幸福な家族だと思っていたのに、瞬さんと氷河さんが そんなにもナターシャちゃんの幸福を願い祈っていたなんて。
私がナターシャちゃんだったら、創造主が そこまで私の幸福を願ってくれていたなら、それだけで十分。
それだけで幸せすぎるほど幸せで、たとえ世界中の人に憎まれ迫害されても、幸せなままでいられるのに。

「そんな時、アテナ――ある人に、この時代 この場所で待っていれば、その答えが得られるだろうと言われて、僕たちは ここに来たんです。そして、モンブランさん、あなたに出会った。僕たちは あなたに、その答えを教えてもらいました」
「私に……?」
瞬さんは 不思議な話をして――まるで、瞬さんたちが私を待って ここにいたような、そんな不思議な話をして、私の方を振り返った。
私の創造主が手にしている銃など恐れてもいないように。

瞬さん。
幸せなんて――私の幸せなんて、ナターシャちゃんの幸せも、きっと誰の幸せも――自分が誰かに愛してもらえていることを信じることができ、自分が誰かを愛していることを実感できれば、それだけで十分に幸せなんですよ。
愛でなく、憎しみでも いいくらい。
自分は 誰からも見捨てられた孤独で哀れな人間なのだと思う日々を過ごさずに済めば、人は 誰でも幸福でいられる。

私の不幸は、私が私の創造主に愛してもらえなかったことから始まった。
私は誰かに、『あなたは この世界に存在していてもいい』と言ってもらいたかっただけ。
『誰かに あなたが生きていてくれたら嬉しい』と言ってもらえたら、私は それだけで世界一 幸福な人間になれたんです。
人は、けれど、どうしても愛せないということがあるのでしょうね。
私の創造主のように。

ああ。
あんなに棚の陰に隠れているようにと言ったのに、いつのまにか、ナターシャちゃんが私の横に来て、私の傷だらけの手を握りしめていた。
「モンちゃん、泣かないで。ナターシャは、モンちゃんが大好きダヨ!」
「ナターシャちゃん……」
ナターシャちゃんが 私の手を握りしめて、私に『大好き』と言ってくれるのは、ナターシャちゃん自身が いつも パパとマーマに そうしてもらって幸せな気持ちになっているからだよね。
ナターシャちゃんが幸せを知っているから。

「僕が その怪物を愛さなかったのが 悪いと言うのか!」
私の創造主が そう言って、私たちに反駁するのは、創造主も その幸せを知っているから。
そして、その幸せを、彼自身は 彼が作った者に与えなかったから。

「愛してあげればいいだけだったんですね。あれこれ 悩む必要はない。ナターシャちゃんを抱きしめて、『大好き』と言ってやれば、それだけで」
孤独で不幸な私を知ったことで、瞬さんは、求めていた答えを得たのだろう。
「モンブランさん、ありがとう。モンブランさんも幸せになってください」
瞬さんは、私に礼を言って、ナターシャちゃんと一緒に 私の手を握りしめてくれた。

「瞬さん……」
瞬さんに そう言ってもらえて、私は――私も。
この美しい人たちの役に立てたのなら、それだけで、私は、これまでの苦難と孤独を忘れ、この世に生を受けることができてよかったと思うことができたんだ。
私は この世界に生まれてきてよかったと、心から。
私は この世界に生まれてきてよかったんだ――。






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