俺は確かに教会の聖堂の中に倒れ込んだ――足を踏み入れたと思う。 そして、なにしろ脳みそが凍りついてて、まともに頭が働いてなかったから、あんまり はっきりとは憶えてないんだけど、俺は そこで会いたい人(?)に会ったみたいだった。 つまり、悪魔に。 悪魔はどこにでもいるって、本当のことなんだな。 教会にいるくらいなんだから、天国にだっているだろう。 『求めよ。さらば 与えられん』 俺が求めたから――たとえ悪魔でも、心から求めれば、それは ちゃんと与えられるものらしい。 だったら、マーマだって。 『だったら、マーマだって!』と、俺が思ったのは当然のことだ。 俺が会った悪魔は、サービス精神旺盛な悪魔だった。 司祭様の服を着てるから、最初は そうとは気付かなかったんだけど、俺が 「俺は、俺の魂を買ってくれる悪魔を探してるんだ」 って言ったら、ふっと口許を緩めて、商売人みたいに笑って、 「おまえの魂なら、俺が買ってやろう」 って言って、すぐに司祭の振りをやめてくれた。 それから、もしかしたら 単に 俺の魂を さっさと手に入れたかっただけなのかもしれないけど、面倒な儀式や約束事は省略してやってもいいって、俺に言ってくれた。 ややこしい呪文や悪魔との契約内容の確認。 そういうこと、どうせ子供の俺には わからないだろうから――って。 「魂と引き換えに叶えてほしい、おまえの願いは何だ」 と、悪魔。 俺の答えは、もちろん、 「俺のマーマを生き返らせてくれ」 『悪魔にできないことはないんだろ!』って、俺は すごく期待して、興奮して、脅すように悪魔に念押しした――ような気がする。 悪魔が何て答えたか、俺は憶えてない。 俺は、悪魔と会った あの聖堂で、ぶっ倒れたのかな? 悪魔のせいなのか、俺の身体が限界を超えてたせいなのかは わからないけど、とにかく 俺は、悪魔と契約を交わしたあとに気を失ったらしい。 目覚めた時、俺は何か 白いガスのボールみたいになって、何にもない空間を ふわふわ飛んでた。 俺の身体がない。 俺は 魂は売ったけど、身体は売ってないのに、これは いったい どういうことだよ? それとも 今の俺は、買われた魂の方なのか? だとしたら、俺の身体は 誰が動かすんだ? 俺の身体は どこにあるんだ? 俺は 生きてるのか? 俺と契約した 司祭の振りをした悪魔はどこだ? 何か 話が違う――っていうか、俺の想像してたのと違うぞ、これは。 俺は、意思とか意識とか思考とか心とかいうものと、魂は 別のものだと思ってた。 魂っていうのは、俗に言うオーラみたいなもので、それを悪魔に売り飛ばしても、意思や思考ってのは身体の中に残るんだと。 だって、意思や思考は 脳みそが作るものなんだから、脳みそのある身体と一緒にいるのが自然で当然だろ。 だから、俺は、オーラを悪魔に売っ払っても、俺の身体と心、意思は、生き返ったマーマと一緒に生きていけるものとばかり思っていた。 そうじゃなかったのか? 意識は身体じゃなく、魂の付随物なのか? だったら俺は、悪魔に魂を売るのをやめるぞ。 マーマと一緒にいられないんなら―― マーマと一緒にいられることを喜んだり、幸せだと感じたりすることができないなら、俺が 悪魔に魂を売る意味がないじゃないか。 せっかくマーマが生き返っても、生き返ったマーマの側にいるのが、俺の身体だけだったら――何も考えられない、何も感じない俺の身体だけだったら―― マーマだって、自分が生き返ったことを嬉しいと思えないに決まってる。 そもそも ここはどこだよ? 焦り、腹を立てながら、俺は 辺りを見回した。 身体がないから、目もなくて――目がないから、一瞬で、360度 全方向をぐるりと見まわせる。 これは フクロウみたいで、ちょっとすごいな。 ――って、感心している場合じゃない。 そこは何にもなくて――空も地面も何にもなくて、だから、人間の世界じゃないのは確かだった。 悪魔の世界――なのかな? 何もなくて、誰もいない。 ここは、悪魔が買い取った魂を入れておく倉庫みたいなところか? それにしちゃ、俺以外に誰もいないけど。 何ていうか、深海魚もいられないくらい深い海の底みたいだ。 あるのは、砂みたいな虚無と、水の揺らめきみたいな空気の揺れ。 暗いのに、見える。 この何もない ぼや~んとしたとこが、悪魔とか魔女とかがいる地獄なのか? そんなわけないか。 地獄ってのは、悪い人間が死んだ後に送り込まれる場所のことだから、こんなに閑散としてるはずないし。 悪魔や魔女は、別のとこにいるのかな? ――と思ったら、思った瞬間、遠くに黒い城みたいなのが 幾つもあることに、俺は気付いた。 なんか、いかにも悪魔がいそうな真っ黒い城。 槍みたいな尖塔が いっぱい立ってる。 あそこにいけば、俺の魂を買った悪魔に会えるに違いない。 そう考えて、俺は その“いかにも、いかにも”な黒い城に向かって歩き出し――たかったけど、今の俺には 脚がなかった。 俺は、空中に ふわふわ浮かんでるガスの塊みたいなもんで、『あっちに行きたい』と思っても、そっちに移動できなかったんだ。 どうすんだよ。 俺は、どっかから風でも吹いてきてくれなきゃ、一生 ここに ぷかぷか浮かんでるしかないのか? 割れないシャボン玉みたいに? 冗談じゃないぞ! ――って、俺は 目一杯 腹を立てて――怒鳴ったのかな? 俺の『冗談じゃないぞ!』は、声になったのか? それとも、考えただけ? 自分のことなのに、そんなことすら わからなくて、俺がいらいらしてた時、 「君は誰?」 って、声が聞こえた。 『君』って、俺のことか? 俺のことだよな? 俺がここにいることに、誰かが気付いてくれてるんだ。 狂喜して、俺は、あのフクロウもびっくりの360度視力で、声の主を探し始めた。 360度視力を駆使するまでもなく、声の主は すぐに見付かったんだけどな。 あんまり簡単に見付かったもんだから、正直、俺は気が抜けた。 自分がシャボン玉みたいに ぷかぷか浮かんでるから、声の主も ジャボン玉状態なんだろうって、俺は勝手に思い込んでいたんだ。 でも、なんと、その声の主は人間(?)だった。 いや、ほんとに それが人間なのかどうかは わからない。 “人間”ってのは、つまり、今の俺みたいに ガス星雲状態じゃなく 身体を持っているっていう意味だ。 |