パパとマーマが出会わないようにする方法。
二人は既に出会ってしまっているのだから、二人が出会わないようにするためには、何をさておいても、時の神クロノスの協力が不可欠である。
その夜、ナターシャは、自室のベッドに入って しばらくしてから――星矢たちが、リビングルームで 氷河のコレクションの中から 今夜の1本を選び終えた頃、こっそりベッドを抜け出した。
今 いちばんの お気に入りのワンピースを着て、春のお出掛け用に買ってもらった新品の靴を箱から出して履く。

時の神クロノスは、ナターシャのお友だちである。
ナターシャがしたいことをするのが面白いと言って、彼は、『2時間だけ』という期限付きで、ナターシャを色々な時代に飛ばしてくれるのだ。
「クロちゃん」
ナターシャが名を呼ぶと、クロノスは、今日もすぐに その場に来てくれた。
もちろん、声と気配だけ。
クロノスは、決まった姿を持たない原初の神なのだ。

「クロちゃん。パパとマーマが出会う前に、ナターシャを運んでちょうだい」
「それで、二人が出会わないようにするのか?」
「ナターシャがパパのお嫁さんになるには そうするしかないんだっテ」
「……どうなっても知らんぞ」

珍しく、クロノスが面白がっていない。
だが、いつも生きることに真剣かつ真面目に取り組んでいるナターシャは、いつものクロノスが面白半分でナターシャの望みを叶えてやっていたことに気付いていなかったので、今日のクロノスが いつになく真面目なことにも気付かなかったのだった。



城戸邸の庭は春だった。まだ浅い春。
春の盛りの のたのたした陽気はないが、春の暖かい空気の中に ほんの少しだけ冬の名残りの冷たさが感じられる。
『シベリアから日本に連れてこられたら、シベリアは白一色の冬だったのに、日本では春が始まっていて、そこに瞬がいたんだ』
マーマと出会った時のことを、パパは そう言っていたから、今は“パパとマーマが出会う直前”なのだろうと、ナターシャは思った。

城戸邸を訪ねてくる客のために樹木メインで整えられている表の庭ではなく、花や低木メインの裏庭。
トレーニングジム施設の建物の横手にあるベンチに 子供が二人――子供といっても、ナターシャより2、3歳は年上のようだったが――座っていた。

「星矢。やっぱり、保健室に行って、薬を塗ってもらった方がいいよ」
「いいよ、こんなの。わざわざ 保健室 行くほどの怪我じゃねーし、行ったって、どうせ、あの嫌味な看護師に『また、おまえか』って顔されるだけだもん」
「でも、もし――」
「それに、なんかさ。変な薬 塗ってもらったり、絆創膏 貼ってもらったりするより、おまえに傷口 洗ってもらって、痛いの痛いの飛んでけ~ってしてもらう方が、治りが早いような気がするんだよな」
「それは 僕の力じゃなく、星矢の力だと思うな。星矢は、他の子より 傷の治りが早いみたい。そういうの、自然治癒力っていうんだよ」
「へえ、そうなんだ? ここに集められた連中はみんな、保健室の嫌味看護師より、おまえの方が優しいからって、怪我すると まず おまえのところに来るもんな。そのおまえが言うんなら、そうなんだろうな」
「だからって、いくら怪我しても 平気ってわけじゃないんだよ、星矢」
「わかってるって」

ベンチに腰掛けている二人が 星矢とマーマだということが、ナターシャには すぐにわかったのである。
ベンチの二人は、ナターシャが知っている二人よりずっと身体は小さく、顔立ちは幼く、声も幼かったが、そのやりとりが 大人になった二人と全く同じだったのだ。

ここは、ナターシャのパパがやってくる前の城戸邸。
パパがまだマーマに出会っていない城戸邸の庭――のようだった。
ジムの建物の中から 複数の子供の喚声が聞こえてきて、幼いマーマが 一瞬 そちらの方に視線を巡らせる。

「……今日も何人か連れてこられるみたいだよ。もう90人以上いるのにね」
「百人 集める気なのかもな」
「この家、人売りで人買いの家だっていうのは、ほんとかな。僕たち、外国に売られるんだって」
「いざって時には、逃げればいい」
「その いざって時に、怪我をしてたら大変でしょ。気を付けて。星矢は無鉄砲すぎるの」
「一輝ほどじゃない」
「兄さんは無鉄砲なんじゃないよ。兄さんは僕を守ろうとして、無理をしてるだけ。兄さんが いつも生傷だらけなのは、みんな、僕のせいだ」
「瞬……」

ここで、ナターシャのパパはマーマに出会う。
クロノスが“ここ”にナターシャを運んだということは、おそらく“今日 連れてこられる何人か”の中に、ナターシャのパパがいるに違いなかった。
その二人が会うのを邪魔すればいい。
そう考えて、ナターシャは、ジムの建物の陰から ベンチに座っている小さなマーマと星矢の二人を見張っていたのである。
ナターシャは、前方に見える光景だけに気を取られ、背後に敵が忍び寄っていることに全く気付いていなかった。






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