いったいこの宮殿でどんな意表を付いた浴室に案内されるのだろうと氷河は懸念していたのだが、身体を洗うのにシュメールも現代日本も大した違いはないらしい。ただ浴室自体は学校の教室ほどの広さがあり、水色に光る石英でできた浴槽も、ちょっとしたプール並の大きさがあった。水も豊かで、人の体温程度の温度に保たれている。 客人の世話をするように手配されたらしい女たちを追い払うのには氷河も少々苦労したが、お湯につかると、疲労も混乱も緊張も身体から抜けていくような気分になった。 三人が別々の浴室に案内されたところをみると、似たような浴室が両手の指では足りないほど宮殿内にはあるに違いない。この宮殿は蛇の手になるものと聞いていたが、だとすれば、蛇は、自分一人の生活のためにこの建物を造ったのではなかったのだろう。 浴槽から出た氷河が脱衣室に戻ると、そこには先程追い払ったはずの女たちがいて、氷河のGパンやYシャツをどこかに持ち去ろうとしているところだった。代わりに、白い絹のような布が幾枚も衝立てに掛けられている。 (この俺に、こんなぴらぴらしたものを着て、太腿出して歩けってのか!?) 島で会ったマッチョ軍団を思いだした氷河は、死んでもあんな恰好はできないと、女たちからGパンを奪い取った。 「綺麗にして、必ずお返ししますから」 と食い下がる女たちを、ほとんど蹴りだすようにして脱衣室の外に押しやる。 その後で"太腿"にこだわるあまり、Gパンの奪取のみに気をとられ、Yシャツを持ち去られたことに気付いて、氷河は自分の迂闊さに後悔の臍を噛んだ。 上半身裸でいても別に寒くはないのだが、それでは、いかにもあの太腿軍団以下の野蛮人のようで、氷河は気がひけた。 残された白い布は、どうやら肩と脇を細い紐のようなもので閉じ合わせ、ノースリーブシャツのようにして身に着けるものらしい。裸で瞬たちの前に出るよりはと、意を決して氷河はそれを着込んだ。 着心地は、かなり良い。が、氷河は、その着心地の良さに、かえって腹が立った。 それから、もしかしたら瞬も同じような目に合っているのではないかと不安になって、氷河は脱衣所を飛びだした。瞬は氷河の二倍の時間を風呂に費やすのが常だったので、その隙に衣服を奪われるというのは、大いにありそうなことだったのだ。 瞬にあんな筋肉増強男のような恰好をさせるわけにはいかない。親友を危機から救いださなければならないという使命感を背に、氷河は、瞬が案内されていった一区画離れた浴室に向かって、脱兎のごとく駆けだした。 そして、その浴室の出入口で、彼は思いがけないものを見てしまったのである。つまり、辺りを気にしながらこそこそと瞬の使っているはずの浴室から出てきたムスタバルの姿を。 彼は、廊下の角で足を止めた氷河の姿に気付かずに、まるで泥棒猫のように足音を立てず、急ぎ足でその場を去っていった。 「……」 氷河は急に言いようのない不安にかられ、瞬のいる浴室に飛び込んだ。 「瞬っ!」 「わっ、ひ…氷河…!」 ちょうど浴槽から出ようとしていた瞬が、氷河の出現に驚いて、慌てて浴槽に沈み込む。 「あ、わ…わりぃ」 氷河は急いで瞬から視線を逸らし、瞬に背を向けた。少しどもりながら、狼藉未遂に及んだ訳を説明する。 「い…今、ムスタバルがここを覗いていたぞ」 「え?」 氷河の言葉に瞬が身を竦ませたのか、微かにお湯のささめく音が氷河の耳に届いた。 「あ…でも、絵梨衣さんでないなら、別に問題はないんじゃないかな。別の世界の人なんだし…」 「――問題があるんだよ」 ムスタバルが瞬のいる浴室を盗み見て確かめようとしたことが、氷河の推測通りなら、そこに根本的な問題とその答えがあるのだ。その推測を、だが、氷河は瞬に告げることはできなかった。 氷河が言葉をためらっているうちに、瞬はさっさと身仕舞いを整えてしまっていた。例の白いぴらぴらを、である。 瞬に、白い短衣は異様に似合っていた。 |