「食事はお口に合いましたでしょうか」 三人の食事が済むと、まるで頃合いを見計らっていたように、ムスタバルが食堂に入ってきた。 氷河は気に入らない相手とは好んで口をきこうとしないし、絵梨衣は絵梨衣で食事の途中から元気がない。ムスタバルに礼を返すのは、必然的に瞬の役目になった。 「はい、ありがとうございます。とても美味しかったです。ここでは皆さん、こういう食事をとっていらっしゃるんですか? 町の人も?」 「以前はそうでしたが、最近は麦の収穫が落ちてきていますので、町の者はパンよりも獣の肉の方を多く食しているようです」 「動物…いるんですか? 僕たちが最初に着いた島では一頭も――昆虫の一匹も見付けられませんでしたけど」 意外そうな顔をする瞬に、ムスタバルが事も無げに答える。 「ああ、あの島は特別なんです。ずっと昔に見捨てられた土地で、もう何百年も人は住んでいません。大部分は乾燥し荒れた土地で…中央に小さな森がありましたでしょう? あの森も年々縮小しています。おそらく、あと何年もしないうちに、植物もすべて死に絶えるでしょう。あの島ほど顕著ではありませんが、我々の住む大地も同じように乾燥化が進んでいます。ですから、蛇の力が必要なのですよ」 「残念だが、俺たちは蛇じゃない」 話の腰を折って、氷河はムスタバルを睨【ね】めつけた。この男は、おそらく無気力な兄王に代わって国政を取り仕切るような立場にありながら、よりにもよって瞬の入浴を覗き見するような破廉恥漢である。氷河の言葉と態度には、猜疑心が満ち満ちていた。 ムスタバルは――彼はそれには何も答えなかった。代わりに瞬と絵梨衣に微笑を向けた。 「ともかく、夕べはあのような不毛の地でお過ごしになって、お疲れになったことでしょう。今日はもうお休みになった方がよろしいかと思いまして、寝室をご用意いたしました」 宮殿内に窓がほとんど無く、それでいて部屋部屋には光が満ちているせいか、絵梨衣たちは時間の把握ができていなかったが、氷河の時計は既に九時を過ぎていた。 普段なら――元の世界なら――夜はこれからというところなのだが、今の絵梨衣たちにはムスタバルの勧めは、むしろ有り難かった。 起きてたってテレビも雑誌も電話もないんじゃね――というのが絵梨衣の考えで、冷静になって現状分析と向後の策を考えたい――というのが氷河と瞬の望みだった。 三人に異論のなさそうなのを見てとって、ムスタバルが次の間に控えていた女たちに氷河たちを案内するように命じる。 「絵梨衣様は別の区画の方がよろしいでしょう」 と言うムスタバルの勧めに、絵梨衣は深い考えもなく従い、彼女だけはムスタバルと共に食堂を後にした。 そして――絵梨衣が案内されたのは、彼女のために用意された寝室ではなく、この宮殿で初めに通されたあの玉座のある部屋だった。 最初に案内された時と同じく、ウルクの王だという男が玉座に座り、その脇にジウスドラ、部屋の壁際にずらりと美女の群れ。 絵梨衣は一瞬、抜き打ちの個別面接でも始まるのかとひるんでしまった。そういう雰囲気だったのだ。ウルカギナ王は、相変わらず眠そうな目をしていたが。 (この人たち、私たちの中に蛇だか何だかがいるって信じ込んでて、それで、一人ひとり面通しして誰が蛇なのか究明しようとか考えてんのかなぁ) もしそうだというのなら、実に馬鹿げた話である。 絵梨衣はもちろん、聖和の秀才たちでさえ、時間移動や万能翻訳の仕組みは理論さえわからないと言っていたのだ。そんなものを修理することのできる人間が――もとい、蛇が――自分たちの中にいるはずがない。それどころか、絵梨衣たちの本来の時代の全世界数十億人の人間の中に、彼らの求めている蛇は存在しないに決まっている。どうせ蛇を捜すのなら未来ではなく過去に――この仕組みができたその時に――遡って、目的の人を連れてくるのが筋なのではないか、と絵梨衣は思った。なぜ、蛇の"仕組み"とやらが未来に向かって作動したのか、絵梨衣はどうにも納得できなかった。 が、絵梨衣は、呑気にそんなことを疑問に思っている場合ではなかったのである。 ムスタバルは絵梨衣をウルカギナ王の前に連れていき、兄に一礼すると、あろうことか、 「蛇は、こちらの相沢絵梨衣様でした」 と告げたのである。 「ええ〜〜〜〜っっ!?」 その場でいちばん驚いたのは、もちろん、絵梨衣自身だった。 「ちょ…ちょっと、ムスタバルさん! あなた、何を言いだしたのよ! 私、そんなんじゃないわよ! 私、三人の中でいちばん馬鹿で、いちばん不細工なんだからっ!」 最後まで力強く断言してしまってから、絵梨衣は何やら情けない気持ちになった。"馬鹿"はともかく、自分が"不細工"だということを、17歳の乙女がここまでしっかり断言できてしまってよいものだろうか――と。 女の子というものは、普通は、心のどこかに自惚れがあって、絶対的に自分より綺麗な人間の存在というものを決して認めようとしないものだと、絵梨衣は思っていた。悔しいことに、自分もそういう"女の子"の中の一人であることは、絵梨衣も認めざるをえなかったし、外見の美醜の判断など、所詮は人それぞれなのだから、それはそれで仕方のないことだとも思っていた。 雑誌でミス・ユニバースの写真を見て『女のくせにデカすぎー』と批評するクラスメイトにも、素直に同感できていた絵梨衣なのである。 (…でも、しょうがないわよ。あの二人、外見と頭の二面攻撃仕掛けてくるんだもん。雪代くんなんか性格までいいし、さ…) ぶちぶちと落ち込みかけて、だが、今は優雅に落ち込んでいられるような状況ではないのだということを思い出す。 「お三方のうち、女性はこちらの絵梨衣様だけで、あとの二人は男性でした」 「あの綺麗なのもか」 「はい」 絵梨衣を無視して、ムスタバルは兄との話を進めている。絵梨衣は抗議の声をあげた。 「ちょっと、ほんとに勝手に決めつけるの、やめてくれない!? 私、蛇なんかじゃないわよ。見てわかんないの? 蛇は綺麗で清らかで、えーと、至高の何とかなんでしょ。私がそんな大層なモンかどうか、一目見たらわかるじゃないのっ!」 自信満々で言い切った絵梨衣に、これまたきっぱりした口調で、ムスタバルが断言するように尋ねてくる。 「お三方の中で女性はあなただけなのでしょう?」 「そうだけど…」 「蛇の身体は女性のものだと伝えられています。あなたが蛇です」 「んな、ムチャクチャ…」 あっけにとられている絵梨衣には委細構わず、ウルカギナは抑揚のない声で弟に命じた。 「では、民に伝えるがいい。蛇が王の招喚に応じて下さった。現在の試練も蛇の試み、いずれ好転するだろうから、心安んじて過ごせと」 「はい」 「おまえのことだ。抜かりはないだろうが、蛇には最高のもてなしを」 「心得ています」 待ち望んでいたはずの蛇の出現にも、王は、さして喜んだ様子は見せなかった。それだけ言って、玉座から立ち上がろうとする。 「次のエンキ神の祭儀に、蛇のお披露目をしてはしてはいかがでしょう。諸都市の王たちも集まりますし」 ムスタバルの提案にも、王は浅く頷いただけだった。 「任せる」 そして、ウルクの王は、例によって例のごとく、女たちを引き連れて部屋を出ていってしまったのである。呆然と立ち尽くす絵梨衣と、会釈と軽蔑の眼差しを王の背中に投げるムスタバルをその場に残して。 |