僕と氷河が初めて出会ったのは、かろうじて東京都区内に収まっている小学校の入学式だった。 氷河の父はある生命保険会社の副社長をしていて、氷河の家はかなり裕福だ。氷河自身頭の回転は速い方で、だから、有名な私立の学校に入ろうと思えばどこにだって入れたのだろうが、入学の半年前に亡くなった母親の遺言で、氷河は僕と同じ公立の小学校に入学してきたのだそうだ。 『氷河は、鉄棒があって、登り棒があって、ブランコはなくてもいいけど、サッカーができるくらいの広さの舗装されていない土の校庭がある小学校で、元気に走りまわっていてほしいわ』 というのが、氷河の母の口癖だったらしい。 氷河が生まれるか生まれないかの頃に、妻の望み通りの小学校を見つけだした氷河の父は、わざわざその小学校の側に新しく家を建てることまでして、妻の望みを叶えようとした。 残念ながら、望んだ通りの小学校に氷河が入学する直前、もともとあまり身体の丈夫でなかった氷河の母は、氷河の弟か妹になるはずだった子供を流産して、帰らぬ人となったのだが。 つまり、父を亡くしたばかりの僕と、母を亡くしたばかりの氷河が、小学校の入学式で出会い、同じクラスになり、同じような寂しさを持つ者同士親しくなっていった――というわけである。そんな共通点でもなければ、僕と氷河は到底友達には――まして、親友なんて間柄にはなりえなかったろう。 僕と氷河は何もかもが対照的で、似たところが一つもなかった。 氷河はどちらかといえばガキ大将タイプで、母親を亡くしたばかりの寂しさも、毎日何らかの騒ぎを起こして、そのどさくさに紛らわしてしまおうとしているようだったし、頭の回転は速いのに、じっくり物を考えることは苦手で、どちらかといえば頭よりは身体を動かしているのが好きな方だった。陽に焼けた手足はいつもどこかに絆創膏が貼られていて、家政婦さんが毎日嘆いているという話を聞いていた。 僕はといえば、氷河とは外見から性格から全く対照的で、内向的だし、すぐ熱を出して倒れるし、小学生の頃はかなりの泣き虫でもあった。氷河が何かにつけ僕を励まし、庇い、鼓舞してくれていなかったら、登校拒否でもしでかして、結構な問題児になっていたかもしれない。 だが、氷河の強さと明るさのおかげで。僕は健全な小学生・中学生でいられたし、いわゆる優等生でさえあった――と思う。夫を亡くし、私立中学の音楽教師を続けて僕を育ててくれた母に、成績や生活態度の面で気苦労をかけたことは一度もない。 そして僕は、普通の高校生になった。氷河がいるから僕も生きて存在しているんだと考えていること以外、他の高校生とどこも何も変わったところのない普通の高校三年生に。 |