早雪との結婚から数年後、しかし、否が応でも瞬を思い出させる知らせが、他ならぬ早雪自身からもたらされた。

「基臣さん。あの…私……子供ができたようなんです」
 会社から帰宅した俺に、恥ずかしそうに、だが、内側から湧き起こってくる喜びを隠しきれない様子で、早雪は俺に報告してきた。

 俺は一瞬、顔を強張らせてしまったのである。
 俺が――高生加氷河が、この世に生まれ出ようとしているんだ。高生加氷河がどういう一生を送るのかを知っている俺には、早雪の懐妊を手放しで喜ぶことはできなかった。

 もし、今早雪の中にいる小さな命が、俺の知っている高生加氷河と同じ人生を生きるのだとしたら、俺は――高生加基臣は、氷河から親友を奪いとり、自分の息子を絶望の中に追いやることになる。早雪の代わりに瞬を抱き、早雪を、瞬を、氷河を、貶め傷付け裏切ることになる。

 そんなことが――ありうるだろうか。
 今、高生加基臣は、早雪を何ものにも変え難く愛している。その早雪を裏切って、息子の親友を抱くなどということを、そんな未来の到来を、俺は心底から恐れた。

 俺がいつまでも黙りこくっていたからだろう。
「基臣さん。あの…子供…ほしくなかったんですか?」
 心細そうな目をして、早雪が俺に尋ねてきた。
 俺は適当なことを言って茶を濁したが、俺の中にある不安を消し去ることはできなかった。

 それでも氷河が生まれた時には、その小さな命に感動したし、早雪が氷河を目に入れても痛くない様子で可愛がる様には切ないほどの懐かしさを覚え、自分でも信じられないほど優しい気持ちになった。
 手狭になった家を引き払い、瞬との思い出のある洋館に引っ越してからの数年間、早雪の両親の死という不幸はあったものの、俺は夫としても父親としても、一個の経済人としても一人の男としても、おそらく最高に満ち足りた幸福の中にいたと思う。早雪は日を追うごとに美しくなっていったし、氷河は――自分で言うのもなんだが――群を抜いて可愛い子だった。おまけに、時折はっとするほど利発で、元気で、早雪の惜しみない愛情を受けているせいか、高生加基臣の子供時代とは比べものにならないほど素直で思いやりのある子だった。その素直で優しい子が、自分の血を引く我が子なのである。愛さずにいられるものではない。

 この上なく幸福な日々の中で、俺は、だから、運命に逆らうことを決意するようになっていた。俺が瞬を諦めさえすれば、氷河の人生が狂うことはないんだ――と。

 親父に瞬を奪われた時のやりきれなさを忘れたわけじゃない。死の間際、親父に生まれ変わり、今度こそ瞬をこの腕に抱くと強く願ったあの時の執念を、完全に払拭できたわけでもない。だが、俺には早雪がいた。早雪は、俺を誰よりも理解し、愛してくれている。早雪さえいてくれれば、俺は、これから一生瞬と接する機会がなくても構わないと思えるようになっていた。

 今、これほど早雪が愛しいんだ。瞬だろうが誰だろうが、俺の心を変えることはできないだろうと思った。たとえ――たとえ、早雪の命が消えてしまっても。


 早雪が死んだのは、氷河が六歳になったばかりの秋の日のことだった。






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