その翌日から氷河が何を考え、どう行動していたか、俺はよく知っている。それがどんなに瞬を傷付けていたのかを、だが、俺は、今になって知った。

 瞬がその辛さを一人で耐えようとしていたことも、今になって初めて、俺は知ることになったんだ。

 高生加氷河だった時、俺は、あの夜以前も瞬と親父は二人きりで会っていたのだと思っていたし、あの夜以後も、俺に隠れて逢瀬を重ねているのだと思っていた。
 だが、それも、俺ひとりの思い込みでしかなかった。

 俺が次に瞬と顔を合わせたのは、それから一年半も後。真夏の病院の白い廊下だった。
 バイクで接触事故を起こした氷河が担ぎこまれた病院で、俺は瞬と再会した。

 氷河の馬鹿な事故の知らせを聞いて急いで駆けつけたのだろう。病院の階段を駆けあがってきた瞬は、医者に検査の結果を聞いている俺の姿に気付くと、その場で足をとめた。
 少しやせたようだ。多分、氷河のせいで。

 氷河は大した怪我ではないと告げると、小さく安堵の息を洩らし、だが、何も言わず怯えたように俺を見詰め続ける。

「――それでもまだ、氷河を気にかけてくれているのか? 最近の氷河を見ていたら、君に見限られても仕様がないと思っていたんだが」
 それは、かつての自分の愚かさを自嘲しての言葉だったんだが、瞬には、子を見放した親のそれに聞こえたらしい。

「ど…どうして…」
 瞬は俺を咎めるように、否、はっきり咎めて、叫んだ。
「どうして、そんな突き放したような言い方をするんです! 氷河が怪我したのに! 氷河がこんなに変わってしまったのに! あなた、心配じゃないんですかっ!」
 小さな握り拳を震わせて訴える瞬を見て、俺は微かに眉を曇らせた。

 氷河はおまえにそんなにも気にかけてもらえるような奴じゃないんだと、本当のことを言ってやれば、瞬は氷河を見捨ててくれるだろうか。そうすれば、瞬はこれ以上氷河のことで傷付くことはなくなる――。そんなことを考えながら、その実、俺は、瞬がそんな人間ではないことを、誰よりもよく知っていた。瞬が自分が楽になるために氷河を見捨ててしまえるような子だったなら、氷河もさっさと瞬を忘れてしまえていただろう。

「氷河は、自分の思い通りにならないことに生まれて初めてぶつかって、やけを起こしているんだ。私が何を言っても、聞く耳を持ってはいないだろう」
「あ…あなた、知ってるんですか? 氷河がなぜ――」
「私は、氷河のことなら何でも知っているよ」

 俺は、瞬を氷河から引き離すために、わざと訳知りげなセリフを吐いて、瞬を病院の建物から連れだした。今、瞬を氷河の病室に入れてしまうと、氷河は瞬が自分の父親と一緒に来たのだと誤解して、瞬に当たり散らし怪我をさせる。昔の俺がそうしたように。
 ――実際、俺は氷河のことなら何でも知っていた。

「氷河が変わってしまった訳――教えてください」
 駐車場まで瞬を連れだした俺は、そのまま瞬を家に送り届けようとしたのだが、瞬は言うことをきかなかった。
 俺は瞬に怪我をさせたくないだけなのに、そんな些細な出来事に関してすら、俺は運命を変えられないらしい。
 妙な無力感に、俺は苛立った。

「氷河には好きな人がいるんだよ。だが、その人は他の男のものだった。――それだけのことだ」
 言えば瞬が苦しむことを承知の上で、俺がそんなことを口にしたのは、だから、運命に逆らいたいという気持ちのせいだったかもしれない。それで瞬が氷河と関わり合うことを断念してくれたなら、運命は、俺の知っているそれとは違うものになるかもしれないと思った。

 そして、そう言ってしまってから、俺の親父も同じことを考え、同じことを瞬に告げたのかもしれない――ということに気付く。
 変えられない運命なら、言うべきではなかった。俺の言葉を聞いた瞬の頬が見る見るうちに青ざめ、ぐらりとその身体が揺れる。

 抱きとめられた俺の腕の中で、瞬は頭を横に振った。
「嘘…だ。そんなの嘘だ。だって、その人が誰か他の人の恋人だったって、氷河に奪いとれないはずない。氷河が、そんなに簡単にその人を諦めてしまうはずがない…!」
「……」

 そうだ。多分、相手が親父でなかったら、俺は諦めたりはしなかったろう。だが、あの頃の俺は、親父にどうしようもない劣等感を抱いていて、始めから敵うはずがないと思いこんでいた――。
「そう。氷河になら奪いとれただろう。だが、氷河はそうしなかったんだ」

 瞬は俺の言葉に、そんなことは信じられないというようにまた首を横に振り、俺の手を振り払って、氷河の病室に向かい走り去っていった。
 そして、かつての俺がしたのと同じ仕打ちを受けて――頬に傷を作り、それ以上に心に傷を負って、俺の許に戻ってきた。






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