ナイドがその答えを得るのに、長い時間は不要だった。事は、ナディンの兄が"お優しいお兄様"になれば済むのである。そして、月神の座のシュメールである今のナイドにはその力があった。
 シュメールの歌をナディンの兄に聞かせてやればよい。そう思いたったその日のうちに、ナイドは聖歌を三曲ばかり自分のものにしてしまった。
「どういう風の吹きまわしで急に真面目な生徒になったんだ?」 と訝るウスルに曖昧な薄笑いを返して、早速ナイドは練習の成果を実戦で試してみたのである。
 効果は覿面だった。バーニが一人でいるところを狙って、さりげなく一曲歌って聞かせてやっただけで、彼は豹変した。
 しかし――すぐにナイドは自分のしたことを後悔することになったのである。兄の優しい言葉に有頂天になって喜ぶナディンを見た途端に。
 そうしてナイドは悟ったのだった。
 ナイドが見たかったのは、バーニに優しくされて喜ぶナディンではなく、ナイド自身がいることで幸せに微笑んでくれるナディンだったのだ――と。
 初めて優しい言葉を投げかけ、自分の目の前にいる男が何者なのかにも頓着せず、ためらいもなく、蔑みもなく、小さな白い手を差しのべ、すがってくれたナディン。そのナディンを、バーニを通してではなく、自分自身の手で幸福に輝かせてやりたい――。
 なぜそれができないのかと憤った時、ナイドは、ナディンの笑顔を見るためにシュメールの力に頼ることは金輪際するまいと、堅く決意したのだった。






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