「なぜ、ナディンたちがここにいる。俺たちは陛下とおまえしか呼んでいないぞ」 いつにも増してきつい口調で、ウスルがナイドを咎めだてる。その剣幕にナディンが怯んだのに気づき、ウスルは無理に柔らかい表情を作った。 「ナディン、まだ本調子じゃないんだろう? 休んでいなさい」 「え? ううん、僕、もう元通りにな…」 「情けのつもりか、ウスル? 永遠に知らせずに済むことじゃない。告発はナディンの前でしろ」 今度はナイドが、ナディンの言葉を遮る。ウスルのそれより静かだが、暖かみを感じさせない声音だった。 ウスルとナイドの醸しだす緊張した空気に触れて、ナディンは更に身を竦ませた。 「あ…ナイド……ウスル…?」 当惑しきっているナディンを見るまいとするかのように、イルラとウスルは険しい目をして互いを見やっている。 「ウスル、どうしたのだ。何かあったのか?」 バーニとしては、ナキアを神に認められた后にする方法を知りたくて気が急いていたのが、さりとてシュメール同士の険悪なやりとりを、王が放っておくわけにもいかない。 バーニに尋ねられたウスルは、一瞬の逡巡の後、思いきったように顔をあげた。 「キシュ王ルーガル・シブが、今回の挙兵はナイドの指示に拠ったと白状いたしました」 「……」 ウスルの報告に、バーニは微かに眉根を寄せただけだった。驚愕も憤怒もない。彼はウスルの報告を信じなかったのだ。冗談にしても質が悪いとだけ、彼は思った。 バーニだけではない。ナキアもナディンもアルディも、似たり寄ったりのことを感じていた。彼等は驚きに目を剥いてはいたが、その驚きは、ウスルが王の前で悪質な冗談を言ったという事実に向けられていた。それから、こんなひどい冗談に担ぎだされてしまったナイドに同情の目を向ける。 ナイドは眉一つ動かさず、平然としていたが。 「目的は陛下のお命。王不在になった国内の混乱に乗じてのエリドゥ支配。四年振りに信任式にやってきたキシュ王に、おまえは奴の野心を煽る特別な聖歌を聞かせてやったらしいな、ナイド」 「残念ながら、俺はそんな大望を抱いていたわけじゃない。俺の望みは王の死だけだった」 ナイドの声は大きくはなかったが、発音は明瞭で美しく、ためらいもなかった。 だが、それは、彼の仲間たちの理解の域を越えたものだった。 「しかし、キシュ王の狙いはエリドゥ征服だろう。そして、キシュ王はおまえの言いなりだ。結局はおまえがこの国を支配することに――」 「ま…待って!」 理解できない言葉のやりとりをそれ以上聞いていたくなかったナディンが、ウスルとナイドの間に割って入る。彼は、ナイドを庇うようにウスルの前に立った。 「ウスル、駄目! 駄目だよ、そんなこと言っちゃ! ナイドは繊細で傷つきやすいの。仲間にそんなこと言われたらそれだけで傷ついて、でも強がりだから、傷ついたこと隠すために開き直って『その通りだ』なんて言っちゃうの。駄目。ナイドにそんなこと言ったら、いくらウスルでも、僕、許さない!」 「……」 自分を責めるナディンに、ウスルはむしろ同情の目を向けた。その時その場で最も辛い思いをしていたのは、ナイドを告発しているウスル当人だったかもしれない。 「ウスル…それは何かの間違いだ。ナイドがそんなことをするはずがない」 「なぜです」 見兼ねたバーニが、ナディンのためというよりはウスルのために、彼の告発を否定する。 「ナイドにはそんな野心を抱く必然性がない。ナイドには何の不足もないではないか。美しさも地位も名誉も財産もあり、信頼できる友もいる。シュメールの中で最も華やかな存在として国中の者から崇められ、敬われ――」 「しかし、陛下には及ばない」 「何がだ。シュメールは基本的に王の上位に位置する者だ。シュメールは私の命を自由にする権利を持っている。私はシュメールの歌がなければ人間としてのまともな価値観さえ保てない、ともすれば自分の中の邪悪に押し流されてしまう弱い存在なのだぞ」 「邪悪など、人間なら誰もが内包しているものです。ナイドが陛下に及ばないのは……」 ウスルはそこまで言ってから、ちらりと横目でナディンを見た。今にも泣きだしそうな目をしているナディンを認め、 「まあ、それは言う必要も……」 と言い澱む。 「ありえない! ウスル、どうしてそんなひどいこと言うの。僕たち仲間でしょ。ナイドがそんなことするはずないって、ウスル、よく知ってるじゃない。ナイドは――ナイドは絶対にそんなこと…!」 感情が昂りすぎて、ナディンは言葉を詰まらせた。 そんなナディンに、ナイドが辛そうな眼差しを投げる。それ以上ナディンに罪人を庇うようなことをさせたくなかったのだろう。彼はナディンから視線を逸らし、バーニに向かって豪然と言い放った。 「貴様があんなに簡単に狂ってくれるとは思わなかったよ。ほんのちょっと憎悪の念を乗せて歌っただけだったんだがな」 唇を歪めて、ナイドがにやりと笑う。 その言葉を聞いても、その挑戦的な笑みを見ても、ナディンは、ナイドの言葉を言葉通りの意味に受け取らなかった。 そして、それはバーニもナキアもアルディもまた同様だった。イルラはキシュ王から直接ナイドの企みを聞かされていたのだろう。ひどく苦渋に満ちた顔をして、半ば目を伏せている。 ウスルだけが、ナイドをまっすぐに見据えていた。 「本来の計画では、おまえは俺たちと一緒にキシュ軍制圧に向かい、俺たちの歌を打ち消す歌を歌って軍を進めさせる予定になっていたと、キシュ王は言っていたが」 「それは、あの助平野郎に挙兵させやすくするための空約束だ。俺は最初から行くつもりはなかった。ただ、俺の計画に貴様とイルラは邪魔だったんで追い払いたかったんだよ。貴様ら二人が出払ってくれれば、あとは騙しやすい子供しか残らない」 「……」 ナディンは、どこかに感情を置き忘れてきたように表情もなく、瞳だけを見開いてナイドを視界に映している。 「…俺たちがいても、おまえはうまくやっただろう。陛下が不調を訴え始めたのがあの夜以降だったから――陛下もナキアを愛しているということをナキアが知ったあの時以降だったから、俺はてっきり陛下の不調はナキアの歌のせいだと思いこんだ。だが、あの夜は――陛下の告白がナキアの心を迷わせた夜ではなく、ナディンの言葉がおまえを狂わせた夜だったんだな」 『僕の命も心も陛下に捧げております』 ――あの夜のナディンの言葉と、醜く歪んだナイドの横顔を、ナキアは思いだしていた。あの時のナイドの眼差しで、ナキア自身、ナイドに疑いの目を向けることになったのだ。 「おまえは、おまえの歌で陛下を狂わせた。狂った陛下をナディンの前で殺すことが、おまえの目的だった。ナディンを守るためにやむをえず剣を振るったのだとナディンに思わせ、そして――」 ウスルは一旦言葉を切った。呆然としているナディンを気遣わしげに見やってから、言葉を継ぐ。 「ナディンを陛下から奪い取りたかった」 「……」 ナイドは何も答えなかった。答えないことで、ウスルの告発を肯定した。 が、ナディンは、ウスルのその告発に反証を見つけたらしかった。このままではナイドが反逆者の汚名を着せられてしまうという焦りが、ナディンの声を叫びにした。 「嘘! 嘘だよ! 僕はずっと――ウスルたちがキシュ軍に向かったあともずっとナイドと一緒にいた! 僕はナイドの歌に悪意なんてかけらも感じなかった!」 ナディンの訴えを、しかし、ウスルは、優しく諭すように退けた。 「ナディン…。ナイドの歌は――ナイドがおまえの幸福を願って歌えば、それは陛下への憎悪なんだ。おまえでも気づかないよ」 ナディンはそれでも横に首を振る。 「僕、信じない! 憎悪なんて感じなかった! それ、ウスルの想像でしょ。ナイドはそんな……ナイドの優しさは、そんな狭量で独善的なものじゃないの!」 「ナディン。ナイドにとって、おまえは特別なんだ。おまえ、キシュ王が来た日、陛下に何と言ったか憶えてないのか? 命も心も陛下に捧げていると言ったんだぞ。ナイドが陛下を妬んでも不思議はない」 「なぜそんなことでナイドが陛下を妬むの! 僕、陛下のシュメールだもの、当然のことでしょ。陛下は、我等が国土【キ・エン・ギ】を治める大事なお方だもの。陛下の身に何かあったら、僕、命を懸けてお守りするよ。それは、ウスルだって、イルラだって、アルディだって、ナキアさんだって、ナイドだって同じでしょ! ナイドは……もし僕が陛下を守って死んでいくことがあったら、ナイドは僕と一緒に死んでいく仲間だもの。ナイドと僕は同じ命と同じ心で生きてるの。そうやって、この六年間生きてきたの。命を捧げるとか、心を捧げるとか、そんな約束いらないの。ナイドだって…ナイドだって、それはわかってるはずだよ。ウスルの想像は馬鹿げてる!」 ナディンの絶対の信頼は、ナイドには届いていなかったのだろうか。だとしたら、おそらく彼は、バーニへの憎しみのせいで目が見えなくなっていたのだ。ナキアが、ナディンへの妬心から、ナディンの優しさを見失っていた時のように。 ナイドの表情は後悔と苦渋に満ちていた。ナディンを悲しませ、その信頼を裏切ること――それは彼の本意ではなかったのだ。 |