「ウスル…! イルラ、アルディ、ナキアさん!」 泣きそうな目で、蒼い空に溶けこんでいくナイドの姿を見詰めていたナディンが、ふいに仲間たちを振り返る。ナイドを最も厳しく追求していたウスルの前に立ち、ナディンは彼を見あげ、訴えた。 「ナイドはちょっと意地っ張りなとこがあるから、じ…時間はかかると思うけど、きっと連れ戻すから、だから、その時はナイドを許してくれるよね? 許してくれるよね?」 ナディンのすがるような懇願に、ウスルはうろたえた。 ウスルにとっても、ナイドはかけがえのない仲間である。どれほど我儘で高慢で鼻持ちならない男でも、ナディンの言う通り、ウスルは彼を嫌いではなかった。ウスルは、幼いナディンのために流されたナイドの涙を目の当たりにしたシュメールの一人なのである。あの涙が、神の意に反して存在する子供を神に愛される子供に変えたのではないかとさえ、当時のウスルは――否、今現在も――考えていた。だからこそ、ナイドがナディンを独占するのも、甘えるのも、我儘を言うのも、日頃の彼の皮肉な口調も何もかも、苦笑しながら許していたのである。 だが、仲間だからこそ、今ナイドの罪を許すのは難しいことだった。今のナイドを許すことができるのは、ただ神とナイド自身だけである。ウスルは仲間だからこそナイドの企みを告発したにすぎず、彼は最初からナイドが許されるのを望んでいたのだ。 「お願い、ウスル、許すって言って…。でないと僕、もうみんなのところに戻ってこれないの…」 「……ナディン…」 ナディンはナイドのために、兄と仲間たちを捨てることさえ辞さないつもりでいる。ウスルは、必死に懇願してくる小さな仲間に、彼の望む通りの言葉を手渡してやりたかった。 やりたかったのだが。 「ナディン。それは俺たちが決めることじゃない。すべては神のご意思に……」 「もちろんよ、ナディン!」 ウスルが何を言おうとしているのかを察して、ナキアは彼を突き飛ばした。文字通り、両手で突き飛ばしたのである。 突き飛ばされたウスル自身より、その長身を受け止めたイルラの方が驚いてナキアを見る。 バーニもアルディもあっけにとられた様子だった。 「許すも許さないも、ナイドって、大騒ぎ起こした割りに何にもしてないのよね。どっかの助平な王様が骨折り損のくたびれもうけしただけでしょ。ぜんっぜん気にすることないわよ!」 「ナ…キアさん…」 「神様だって許してくれるわ。神様がナディンを悲しませるようなことするはずないもの」 ナキアは自信満々で言いきった。神がナイドのしたことをどう判断するのかは、神ならぬ身のナキアには到底考え及ぶものではなかったが、ナディンを悲しませるような神なら、そんな神はいらない、とナキアはその時思っていた。 「ナキアさん……ありがとう…」 涙で瞳を潤ませたまま、ナディンが口元をほころばせる。 ナキアの暴挙にあっけにとられていたシュメールたちも、その微笑を、救われた思いで見詰めていた。本当は、その場にいた誰もが、ナキアと同じ言葉をナディンに言ってやりたいと思っていたのだ。 「ナキアさん。お礼にいいこと教えてさしあげます。あとでみんなに――あんまり大胆に肌をさらさないようにして、ナイドのつけた傷痕を見せてあげて。そこにトレニアの花の形の痣があるから」 「え?」 ナキアが反射的に気の抜けた声をあげた時にはもう、ナディンは開かれたままになっている神域の扉の外に駆けだしていた。 「ナディン!」 バーニが、弟の小さな背中に向かって、その名を呼ぶ。 ナディンは一度だけ、くるりと後ろを振り返った。 「陛下、しばらくお側を離れます。ナイドを一人にしてはおけないの。僕、ナイドのお兄様になって、ナイドを守ってあげるって約束したの。あのお約束は永遠だから」 「ナディン…」 バーニは、少し寂しげにではあったが、たった一人の肉親のために、はっきりと笑顔を作った。 「――早く行ってやりなさい。そして、早く戻っておいで」 「はい…っ!!」 もしかすると、ナディンが本当に欲しかったのは、神の許しではなく、王やシュメールたちの許しでもなく、兄バーニの許しだったのかもしれない。ナディンは、春の最初の陽光を受けた花が歓喜に満ちて花びらを広げるように、ぱっと破顔した。 そして、ナイドを追い、神殿の大階段を駆け降りていく。広場の中央で、ナディンはナイドに追いついた。 ナキアたちは、大階段の上の祭儀場で、二人を見詰めていたのである。ナディンの説得に耳を貸して、そのままナイドが仲間たちの許に戻ってきてくれないだろうかと、淡い期待を抱いて。 が、ナイドの意地っ張りな性格を思い起こせば、それは安直にすぎる期待だったらしい。二人は、シュメールたちの眼下に広がる広場の中央で何やらやりとりし、結局はエリドゥの市街地に向かって歩き始めた。後悔からか悲しみからか、つい先程までナディンに触れるのも避けていたナイドが、ナディンに寄り添うようにしてその場を去っていったのが、救いといえば救いだった。 |