「でね。それでね。何になればみんなに喜んでもらえるかわかんなくてね。僕、困ってたんだ。僕ひとりだったら、氷河がいてくれれば嬉しいんだけど、氷河を知らない人はそうじゃないかもしれないでしょ。ねっ、氷河。僕、何になればいいと思う?」
くりくりした瞳で上目使いに尋ねられ、氷河は我知らず目を細めてしまった。
氷河にしてみれば、瞬が瞬以外の何者かに変身するということは、この世の至宝を失うのと同義だった。
しかし、瞬自身が、誰かのために何者かに変身したいと願っているのである。
答えを与えてやるのは瞬の恋人としての自分の義務だと、氷河は思った。
だが、氷河は、誰かのために何かをしたいと考える男ではない。
彼は、自分の欲望だけに忠実な男だった。

「そりゃ、おまえ、小人さんだよ、小人さん」
「コビトさん? コビトさんって、ちっちゃい人のこと?」
「そう。そして、昼間は俺のYシャツのポケットにいて、夜は元の大きさに戻るんだ」
氷河の意図が理解できずに、瞬は思いきりクエスチョンマークを飛ばして、首をかしげた。
「それで、みんなに喜んでもらえるの?」
瞬にはどうしてもわからなかったのである。小人さんになって夜のうちにベタ塗りを手伝うとか、ワープロ打ちをしてやるとかいうのならともかく、せっかく魔法の力で変身したというのに、氷河のYシャツのポケットの中で時を過ごすことが、いったい誰にどういうふうに喜んでもらえるというのだろう。

しかし、それは氷河には非常に益のあることだったのだ。
「少なくとも俺は大喜びだ。昼間、俺の目の届かないところで、おまえが変な男に引っかかっているんじゃないかと心配することもなくなるし、おまえだって、知らないオッサンに『どっかで遊ぼう』なんて誘われて困ることもなくなるだろう?」
「う……うん……。それは……そうだけど……」
せっかく はしたない恰好の鏡の精に貰った不思議な力である。瞬はもっと社会に貢献できるようなことをしたかったのだが、氷河にそう断言されてしまうと、瞬には強硬に否やを唱えることはできなかった。

「テクマクマヤコンテクマクマヤコン、小人さんになぁれ」
言い終わった途端コンパクトは床の上にあり、その鏡には小人さんになった瞬の全身が映っていた。
氷河が、小さくなった瞬の前に手の平を差しのべる。
瞬は、その上にぴょん☆と飛び乗った。
そうして氷河の目の前に運ばれた瞬の身長は七、八センチ。
この世のものとも思えないほど可愛らしい小人さんは、氷河の顔を見あげると、
「わあ、氷河の睫毛、毛糸くらいの太さがあるー」
と言って笑った。

氷河は思わずごくりと唾を飲み込んでしまったのである。
瞬のこの可愛らしさは驚異的、破壊的、殺人的ですらある。
これは決して人の目に触れさせてはならないものだと、氷河は即座に判断した。
で、氷河はそそくさとYシャツの胸ポケットに瞬を隠してしまったのである。
ボタンホールを窓代わりにして、瞬が外を眺めやる。
「苦しくないか? ちゃんと息はできるな?」
「うん。あ、氷河、コンパクト、ちゃんと持っててね。なくさないでね?」
「わかってる」
床から拾いあげたコンパクトを、氷河はパンツのポケットに突っ込んだ。

「氷河、氷河。外に行ってみようよ」
「ああ、そうだな」
胸元が少しくすぐったかったが、氷河はいい気分だった。
ここまで小さくなってしまえば、瞬に目をつける身の程知らずも現れまい。
たとえそんな馬鹿な男が現れたとしても、氷河が魔法のコンパクトを管理している限り、その男は瞬にいかがわしい振る舞いはできないのだ。

「わー、みんなおっきく見えるー! 小鳥も花も葉っぱも電信柱も、みんなおばけみたーい!」
瞬はボタンホールの窓から顔を覗かせ、しきりにアリンコのような小さな声を響かせている。
瞬がどれほど騒いでも笑っても、道行く人間の誰一人として瞬の存在に気付かない――ということが、氷河の機嫌を良くしていた。
「そーか、そーか。そりゃ良かったな」
ふんふんと機嫌良く瞬の言葉に――実はよく聞こえてはいなかったのだが――頷いていた氷河は、だから、その上機嫌に紛れて気付かなかったのである。
何もかも巨大になってしまった風景にはしゃぎ、ボタンホールから顔を覗かせていた瞬が、その穴から身を乗り出した拍子に地面に落ちてしまったことに。






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