「わぁーっっ !! 」
瞬は叫び声をあげたが、その声は蟻の声のように微かな叫びで、氷河の耳には届かなかった。
無論、瞬とてアテナの聖闘士である。
自分の身長の20倍以上の高さから落下しても、着地はきっちり決めることができた。
「氷河ーっっ !! 」
誰もいないポケットに話しかけながら道を歩いていく氷河の名を、瞬は力いっぱい叫んだのだが、いくら大声をはりあげたところで、しょせんはアリンコの声である。
氷河は大股でさっさと先へ行ってしまい、瞬は荒地のようなアスファルト道にひとり取り残されてしまったのだった。

(そ……そーだ、小宇宙燃やせば気付いてくれるかも…)
そう思いついて、瞬は必死に小宇宙を燃やしてみた。
それは、7、8センチの身体にしてはひどく強大な小宇宙だったのだが、残念ながら、氷河を振り向かせるまでには至らなかった。
(わーん、どーしよー。氷河ー、置いてかないでー)
慌てて追いかけようとした瞬の行く手を遮ったのは、一匹のデブった野良猫である。
野良猫といっても、今の瞬の目にはゴジラよりも巨大に見えた。

瞬は思わず足がすくんでしまったのだが、幸い猫は瞬に危害を加えようとはしなかった。
瞬の小宇宙が気持ちいいのか、まるでマタタビに酔ったように瞬の前に寝転がり、ゴロゴロ喉を鳴らし始める。
その隙に、瞬は脱兎のごとく駆けだした。
それこそ必死で、ゴジラの前から逃げだしたのである。だが、命がけで5分走っても、たった5メートルしか進んでいない事実に、瞬は泣きたくなってしまったのだった。
何か乗物を見付けないと、氷河に追いつくのは到底無理そうである。
しかし、瞬の小宇宙の名残りにゴロゴロと雷のような音をたてている巨大な猫に近付くのは、瞬にはとてもできそうになかった。

(どうしよう……。どーにかしないと、僕、もう、一生氷河に会えないかもしれない……)
泣きたい気分でその場にへたりこんでしまった瞬の目の前に、突然白く太いロープが現れる。
(え !? )
瞬がびっくりするのと、猫の存在に気付いたその白いロープがぴんっ☆と直立するのが同時だった。白いロープは、どこぞの家から逃げだしてきたらしいハムスターの尻尾だったのである。
「ふぎゃ?」
猫が顔をあげる。
ハムスターがダッシュの態勢に入る。
その一瞬を、瞬は見逃さなかった。
瞬は、ぱっとハムスターの背中に飛び乗ったのである。
そして、それと全く同じ瞬間に、ハムスターはだだだだだっと駆けだした。
――氷河が歩いていったのとは逆の方向に。

「わーん、そっちじゃないってばーっ! 氷河はあっちの方に行ったんだよーっ!」
と、ハムスターに訴えたところで通じるわけがない。
たとえ通じたとしても、必死に猫から逃げているハムスターに急な方向転換を要求するのは無理な話だったろう。
瞬も、ハムスターの背中にしがみついているのが精一杯だった。
そうして――追手の猫を逃れて右に左に南へ西へと走り続けたハムスターが、やっと走るのをやめたのは、瞬が見たこともない鬱蒼とした森の中だった。
瞬の身の丈ほどの草が一面に生えていて、上を見あげれば、そこには更に覆いかぶさるように緑の樹葉が重なっている。
青い空はほとんど見えず、上下左右どこもかしこも緑色のそこは、小さくなっている今の瞬にとっては、まさにジャングルそのものだった。

ハムスターの背から降りた瞬は、そこがどこなのか皆目見当もつかず、べそをかきだしたのである。
本当に、もう氷河に会うことは叶わないのかもしれない。
兄にも仲間たちにも会えぬまま、蟻やハムスターを友達にして、一生を草の陰で過ごさなければならないのかもしれない。
絶望に捕らわれた瞬は、草と草の間に座りこみ、額を膝に押し当てて声もなく泣きだしてしまった。
だが、瞬のその涙は、突然の地震のせいでぴたっと止まってしまったのである。
どしんどしんと響く地鳴りに驚いて、瞬はすぐ側にあったシロツメクサにしがみついた。
天をあおぐと、白く巨大な山が、ボールのように跳ねながらこちらに近付いてくるのが見えた。

(潰される…!)
瞬は覚悟を決めて堅く目を閉じたのだが、幸運なことにその白い山は、瞬のすぐ横二センチのところに着地していて、瞬は小山に踏み潰される事態を免れることができたのだった。
ほうっと長い吐息をついて安堵した瞬の耳に、聞き慣れた声が響いてくる。
「紫龍。瞬の奴、氷河の部屋の掃除、まだ終わってないのかなあ。なんか、いつまで経っても出てこないけど」
今の瞬の耳にはボリュームが大きすぎて割れ鐘の音のように聞こえたが、それは間違いなく星矢の声だった。
よく見ると、瞬のすぐ横にある白い小山は、星矢のバッシュだった。

(ここ、城戸邸の裏庭の林だ!)
小躍りした瞬は、星矢のバッシュの上に乗り、声を限りに叫んでみた。
「星矢ーっっ、僕、ここだよーっ! こっち見てーっ!」
が、当然、アリンコの声は星矢の耳には届かない。
声で星矢に気付かせるのを諦めた瞬は、今度は小宇宙を燃やしてみた。ここが運命の別れ道なのだと自身を励ましつつ、瞬は本当に必死になって命がけで小宇宙を燃やしたのである。
しかし――。

「あれ? 瞬の小宇宙……?」
「病人のように弱々しい小宇宙だな」
「どーせまた、氷河に迫られてアセリまくってるんだろ」
「違いない」
星矢と紫龍は瞬の小宇宙に気付いてはくれたのだが、ただ気付いただけで、笑い声をあげながら邸内に戻っていこうとする。
瞬は必死で星矢のバッシュのひもにしがみついた。どしんどしんと怪獣のように歩く星矢のバッシュから振り落とされるまいと、瞬は懸命だった。
と、そこに、キグナス氷河のご登場である。






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