「氷河、朝だよ、起きて」
「……眠い」
「氷河。早く起きないと子供たちみんな出掛けちゃうでしょ。僕、やなんだよ、そーゆーの。全員揃って食事は無理でも、『おはよう』の挨拶くらい毎日ちゃんと……」
「毎日『おはよう』を言い合っていないと家庭が崩壊するってわけじゃあるまい」

氷河を起こそうとする瞬の言葉も、枕に顔を埋めたままの氷河の返事も、毎日同じである。
仕方がないので、瞬は最近編み出した必殺技を繰り出すことにした。
氷河の枕元に腰を降ろし、呟くように言う。
「そっかー。そうだよね。それなら僕、今夜は研究所の方に泊まってきちゃお。最近、仕事、忙しいんだ。毎晩『おやすみ』を言い合わなくたって、家族は家族だよね」

世間が平和になってからこっち、瞬は、グラード財団出資の遺伝子研究所に研究室を与えられ、その方面の研究に携わっていた。
氷河のような経営手腕の持ち合わせがないことを自覚していた瞬が、財団に貢献する手段として選択したのがその仕事だったのである。
最初はモルモットとして研究所に自分を提供したような状況だったが、そこでの研究は瞬にはひどく興味深いものだったのだ。

「それは許さん」
瞬の必殺技に、氷河は素早く反応した。
まるでバネ仕掛けの人形が飛び跳ねるように、ベッドの上に体を起こす。
技の効き目に満足し、瞬はにっこりと微笑した。
「おはよ、氷河。早く服着てダイニングに来てね」
氷河のベッドから立ちあがりかけた瞬を、氷河がこれまた素早く捕まえる。
とにかく氷河は、転んでもただでは起きない男だった。

「ちゃんと起きたんだから褒美をくれ」
ぬけぬけとあつかましいことを言いながら、そのまま瞬を抱きしめる。
それだけならまだしも、氷河は瞬の首筋に顔を埋め、怪しげな行為に及ぼうとし始めたのである。
「ひ……氷河! なに朝から馬鹿なこと……!」
絡みついてくる氷河の腕と吐息に戸惑いながら、瞬が氷河を引きはがそうとした時。

「あーっ、ヒョーガがシュンちゃんに噛みついてるーっ」
「シュンちゃんがヒョーガに食べられちゃうーっ」
瞬が用心のために開け放しておいた寝室のドアから、突然風人と花香の甲高い声が響いてきた。
幼稚園バッグを肩から掛けた二人が、瞬を氷河の魔の手から救い出すために室内に飛び込んでくる。
それでも獲物を放そうとしない氷河に、瞬はあきれてしまっていた。

が、ともかくこの場は、氷河の仕置きより、双子の誤解を解く方が優先課題である(実は誤解ではないのだが)。
「あ、ふーちゃん、はなちゃん。違うんだよ。あのね、氷河はちょっと具合いが悪いんだって。それでぐったりして僕に寄りかかってるだけ」
「ヒョーガ、風邪ひいたのー?」
「ヒョーガ、おなか冷やしたのー?」
双子が瞬の嘘に疑念を抱かなかったのは、おそらく、瞬に絡んでいた氷河が何も身に着けていなかったせいだろう。
瞬はさりげなく毛布を引きあげて、氷河のきわどいところを隠し、更に嘘を糊塗した。

「そうみたい。夕べ、パジャマに着替えるのが面倒でそのまま眠っちゃったんだって。ほんとに氷河は困ったちゃんだねぇ」
瞬の言葉に、風人と花香が揃って顔をしかめる。
「僕とはなちゃんは、2つになった時には一人でパジャマを着れるようになってたんだよ」
「私とふーちゃんは、昨日もちゃんとパジャマを着て眠ったの。ヒョーガもいい子でいないと、シュンちゃんががっかりするよ」
負うた子に教えられる――を地でいく展開に、氷河は苦虫を噛み潰したような顔になり、嫌々ながらやっと瞬を解放した。

「僕とはなちゃんが、今日の夜、ヒョーガにパジャマの着方を教えてあげるー」
「私とふーちゃんが、今日の夜、ヒョーガがおなかを冷やさないように一緒に眠ってあげるー」
有り難くも迷惑千万な双子の申し出に、氷河は返す言葉を見つけられなかった。
瞬と同じ顔をした子供が、善意だけで申し出てくれているのである。
むげにあしらうことはできない。
だが、その申し出を快く受け入れることは、氷河にはなおさらできない相談だった。

「ありがと、ふーちゃん、はなちゃん。でも、氷河には僕が教えてあげるから、ふーちゃんとはなちゃんは自分の部屋で眠りなさい。ちゃんとパジャマを着れないとこ、ふーちゃんやはなちゃんに見られたら、氷河、恥ずかしいんだって」
瞬には、双子の善意の行動は可愛いだけである。
やっと離れてくれた氷河を横目で睨み、だが、双子にはにっこりと笑顔で答えた。

「ヒョーガ、恥ずかしいのー?」
「ヒョーガ、恥ずかしいんだってーっ!」
瞬の言葉を素直に受けとった双子が笑いさざめく。
きゃあきゃあ笑いながら、双子は絡み合い転がり合うようにして廊下を駆けていってしまった。
善意の双子の無邪気さに当てられ疲れきってしまった寝起きの氷河をその場に残して。






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