「パジャマを着ないで寝て、具合いが悪くなって、シュンを食べようとしたんだって? 朝っぱらから恥ずかしい男だな。こんなのが実の親かと思うと情けなくて涙が出てくる」
瞬に急かされた氷河が、瞬の監督のもと、きっちりスーツを着てダイニングに降りていくと、見てくれだけは氷河にそっくりなこの家の長男が、思いきり侮蔑的な視線を氷河に投げてきた。
が、雪人の言葉に頬を染めたのは瞬の方で、当の氷河は平気の平左だった。
氷河は、善意に相対するのは苦手でも、厭味や皮肉等々悪意への反撃方法は十分過ぎるほどに心得ていたのだ。

「ガキが生意気を言うな。おまえの歳頃には俺はもう、おまえのおしめの取り替え方をマスターしていたんだからな。そこのところを忘れるなよ、雪人」
「……ぐ」
高校生にもなって、おしめの話など出された日には、雪人も反撃の言葉を失う。
言葉に詰まった兄を気の毒そうに見詰め、月香が氷河に意見した。
「でも、ヒョーガ。私や雪兄さんは微妙かつ繊細なおトシゴロなんだから、こう毎日目の前でシュンとヒョーガにべたべたされたら、今後の人格形成に悪影を及ぼされるかもしれないじゃない」
したり顔で意見する月香に、心配そうな顔を向けたのはこれまた瞬だけで、氷河は彼女の意見に取り合おうともしなかった。
瞬から受け取ったコーヒーを一口すすり、真面目なのかふざけているのか判別しにくい口調で告げる。

「俺は瞬を愛しているんだ。その事実を素直に言葉にし、行動している。自分の親の愛情故の慈しみ合いを見て悪影響を受けるというのなら、それはおまえたちの方が捩じ曲がった目で俺たちを見ていたことになる」
臆面もなく言い切る氷河にあきれて、月香は肩をすくめることしかできなかった。
これが自分の血の繋がった実の親かと思うと、今生きてここに存在する自分の価値もたかが知れているような気になってくる。

「僕、知ってるー! ヒョーガは食べちゃいたいくらいシュンちゃんをアイしてるんだよー」
「私も知ってるー! だから時々とっても抱っこしたくなるんだってー」
月香の落胆になど思い至りもしない双子は、いたって能天気だった。
「ほら。ふーとはなは純真で素直だ」
氷河は我が意を得たりとばかりに頷いたのだが、しかし、素直で純真な人間が氷河の味方であろうはずがない。

「でも、ほんとにシュンちゃんを食べちゃだめ」
「パジャマもちゃんと着なきゃだめ」
彼等は正しく“正しいもの”の味方だったのだ。
おかげで、諦観の域に達しかけていた雪人は、人生に希望を見い出すことができた。純真で素直な弟妹が、至高の宝のように思えてくる。

「ふーとはなはヒョーガよりよっぽど分別がある」
「ほんとほんと」
金髪の息子と娘に軽蔑の視線を向けられ、だからといって風人と花香を責めるわけにもいかず、氷河が助力を求めるように瞬を見やる。
瞬は、だが、氷河の視線にはわざと気付かぬ振りをして、双子を相手にし始めた。

「ふーちゃん、はなちゃん、忘れ物はない?」
「はーい」
「はーい」
綺麗に重なった良い子のお返事を受けて、雪人と月香が立ちあがる。
「ふーちゃん、はなちゃん、じゃ、そろそろ行こっか」
「うん、おねーちゃん。おねーちゃんもちゃんとシュンちゃんのおべんと持った?」
「おにーちゃんもちゃんとシュンちゃんのおべんと持った?」
「もちろん」
「ぬかりはない」

兄と姉の返事を聞いて、風人と花香がこっくり頷き合う。
本当は、雪人と月香が毎日風人と花香を幼稚園に送り届けているのだが、風人と花香は自分たちが兄と姉の通学に付き合ってやっている気でいるのである。
「ヒョーガ、シュンちゃん、行ってきまーす」
「ヒョーガとシュンちゃんも遅刻しないでねー」
「はい。行ってらっしゃい。車に気をつけてね」
「車が来たら、雪人と月香の陰に隠れるんだぞ」
氷河と瞬がいつも通りに、4人の子供たちを送り出す。

いつもと変わらぬ朝だった。
朝は、いつもと変わらなかった。






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