「では、兄上。行ってまいります」
「うむ」
チューリップ城の城門まで見送りに出てきてくれた、心配顔の一輝国王と義姉であるパンドラ王妃に、瞬王子は明るい笑顔を作って出立の挨拶をしました。
重責を担って敵国に旅発つ弟の健気さに心打たれ、胸を痛めながら、しかし、一輝国王はずっと瞬王子の後ろに立つ金髪の騎士が気になっていました。
その隙のない様子から、かなりの手練れなのだということはすぐにわかりましたが、一輝国王はこれまでその騎士に会った記憶がなかったのです。

「瞬、その者は誰だ。見慣れぬ騎士だが」
「あ、はい……」
その場には、国王夫妻の他に大臣やら侍従やらが大勢 瞬王子を心配して見送りに出てきていました。
ですから、瞬王子は彼等には聞こえないように、小声で兄王に告げたのです。
「兄上、情けない弟だとお怒りにならないでください。僕は一日たりとも氷河姫と離れていられないんです」
「そんないーもんか、あの大女が! ……な…なにぃ !? 」
一輝国王はさすがに王様だけあって、驚き方も車田キャラの王道を驀進しています。
形式通りに大仰に驚いてみせてから、一輝国王は、瞬王子の言葉の意味を理解して心底から驚愕しました。

「ひ……氷河姫だとぉ!」
氷河姫はいつも『イスラムの女はみんな慎み深いんだ』とかなんとか言って、長いシルクのヴェールで全身を隠していましたから、もちろん、一輝国王は氷河姫の素顔を見るのも、ご立派すぎる体格を目の当たりにするのも、これが初めてでした。
敵愾心に満ちて想像していた姿より ずっと顔の造作は整っていましたが、しかし、それは、どう贔屓目に見ても女性の美しさではありません。
それ以上にその身体は男性のもの――それもかなりたくましい男性のもの――です。
これを女性と言い張るのは、まさに神への冒涜です。

「誤解するな。一緒に行くと言いだしたのは俺の方だ」
驚天動地しつつも義妹に不審の目を向ける一輝国王に、氷河姫は相変わらず倣岸な態度を崩す気配もありません。
十代の若さながら王妃としての貫禄十分で滅多に取り乱したりすることのないパンドラ王妃も、目を丸くして氷河姫を見上げています。
「氷河姫? お……おまえが? な……なんかすごいぞ」
「あ、それも違うんです。二人で決めたんです。一緒に行こうって。僕たち、離れていられないからって」
「……」

瞬王子は、国王夫妻が何に驚いているのかもわかっていない様子で、必死に頓珍漢なことを弁明しています。
同様に氷河姫も、国王夫妻の疑念など歯牙にもかけていませんでした。
「何があっても、瞬は俺が守る。貴様は気楽に昼寝でもしていろ」
「……」
疑惑・疑念・疑心・懐疑に満ち満ちた一輝国王に、氷河姫は(厚い)胸を張って確言したのでした。

「……トルコの女はみんなああなのか、一輝」
数人の供回りを従えて、馬を並べて隣国に向け出立した瞬王子と氷河姫の後姿を視界に入れながら、パンドラ王妃は一輝国王に尋ねました。
しかし、尋ねられた一輝国王とて、今は混乱を極めていたのです。
「ひ……氷河姫にはロシア人の血が入っているそうだ」
「ああ。ロシア人はデカい奴が多いからな。しかし、それにしても……」

その先の言葉を、しかし、パンドラ王妃は喉の奥に押しやってしまいました。
どこから何をどう見ても、氷河姫は男です。
たくましく精悍な騎士以外の何ものでもありません。
けれど、しかし、そうは言っても。
氷河姫と瞬王子は、もう2年以上も夫婦として暮らしているのです。
仲のいい二人が毎夜同じ部屋で眠っていることも、国王夫妻は知っていました。
二人は、瞬王子の細い身体のどこにそんな体力があるのかと、半ば驚き、半ば呆れてさえいたのです。

氷河姫と毎夜ベッドを共にしているその瞬王子に、到底女のものとも思えない肩幅の氷河姫を、男性かもしれないと疑っている気配がまるでないのです。
一輝国王もパンドラ王妃も、自分の胸に巣食った疑念を言葉にすることはできませんでした。
一輝国王は自分が弟を清らかすぎるほど清らかに育てたくせに、瞬王子に正しい子供の作り方を教えたこともなかったくせに、まさか自分の弟が男女の区別もできないほど清らかに育ってしまったとは思ってもいないのでした。






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