「氷河姫。氷河姫には本当に改宗する気持ちがあるんですか」 昼餐の席から辞去して、ドクラテス王にあてがわれた部屋に戻ると、瞬王子は不安そうに氷河姫に尋ねました。 瞬王子は、氷河姫が無理に自分の信仰を捨てようとしているのではないかと、それがとても心配だったのです。 「でなければ、おまえとの結婚にケチがつくというのなら」 「氷河姫。無理をすることはないんです。生まれた時から信じていた神を捨てるのは つらいことでしょう?」 「別に つらくはないぞ。俺は神など信じていないし」 「神を信じていない……のですか?」 「ああ」 敬虔なクリスチャンである瞬王子には、氷河姫の言葉は驚くべきものでした。 ですが、氷河姫にはそうではありませんでした。 氷河姫がこれまで生きてこられたのは、氷河姫を女児と偽って育ててくれたお母様の知恵でしたし、氷河姫が今幸福なのは、氷河姫自身の努力と狡知によるもの。 神様が何もしてくれないことを、氷河姫は異母兄弟たちの死で実感していたのです。 「氷河姫……。それは確かに、氷河姫は心が清らかで、行ないもその心の通りに美しいですから、自分を醜いと感じたり、罪を怖れる気持ちになるようなことはこれまでなかったのかもしれません。でも、それでも、人間というのは善そのものにはなれないのですから、神を畏れる心は必要だと思うんです。でないと、人には思い上がって道を誤るということがあると思うの」 瞬王子は相変わらず、氷河姫のことを甚だ好意的に誤解していました。 氷河姫は嘘つきですし、お城を抜け出しては酒を飲み、酒場での賭け事も(大抵は勝つので)大好きでした。 色々な欲望も、並以上に持ち合わせていました。 ただ、氷河姫はそれを罪だと考えていないだけ。 氷河姫にとっての“罪”とは、瞬王子を悲しませたり苦しませたりすることだけだったのです。 「俺は罪を犯した時は、神ではなく、おまえに対して恥じることにしている。おまえが、俺の神の代わりだ」 「そんな……僕はただの心弱い人間です」 「俺にとってはそうじやない」 「氷河姫、それは……それはいけないことです」 「そうだろうか」 その人のために(できるだけ)清廉潔白でいたい――そう思える人がいるならば、人には神など必要ない――というのが、氷河姫の持論でした。 神様というのは結局は自分自身の良心のことですから、良心をたくさん持っていない氷河姫には、良心をたくさん持ち合わせている瞬王子こそが、自分の神様だったのです。 けれど、瞬王子は――氷河姫の“良心”は――どうやら自分がたくさんの良心を持っていることに気付いていない様子でした。 「おまえ、自分を醜いとか罪を犯したと思うことがあるのか」 「それは……いつだって」 「おまえがか?」 氷河姫を人格高潔にして廉潔な姫君と信じている瞬王子には、氷河姫の理論でいくと、氷河姫こそが神様の具現だったのかもしれません。 まるで神様に懺悔するように恥じ入った様子で、瞬王子は氷河姫に言いました。 「僕……氷河姫が僕よりずっと背が高くて力もあることを羨んだり、氷河姫があんまり綺麗だから、氷河姫が改宗してヴェールで素顔を隠すのをやめてしまったら、僕以外の人が氷河姫に恋することがあるかもしれないって不安になったりするんです……」 「……」 瞬王子はどうして、そんな決してありえないことを心配をしたりするのでしょう。 氷河姫は、それこそ不思議でたまりませんでした。 「その心配はない」 「そうでしょうか。でも、氷河姫は綺麗で優しいから、誰もが惹かれることになると思うんです。僕は……あの噂──氷河姫が美しくないという噂があることを聞いた時、ほんとは少し安心してしまったの」 「俺が愛してるのはおまえだけだ」 「氷河姫……」 懺悔した罪を躊躇なく許してくれる氷河姫の寛恕の心に打たれて、瞬王子は泣きそうな目になりました。 「僕が……氷河姫のその言葉を嬉しいと思ってしまうのも罪なんでしょうか……」 「……」 本当に瞬王子はなんて健気で可愛らしいのでしょう。 氷河姫は、まだお陽様も空の真ん中にいるというのに、つい我慢できなくなって、瞬王子をしっかりと抱きしめてしまったのです。 「瞬の罪は本当に可愛いな」 氷河姫にとって、こんなに可愛い王子様を目の前にして、××に至らないということは、それこそ地獄の業火に焼かれても仕方がないほどの重罪でした。 行ない清らかな氷河姫は、当然、そのまま瞬王子をベッドの上に押し倒したのです。 |