「カシオス姫にお目通りを」
瞬王子は、清らかに澄んだ瞳のカシオス姫の理解と協力を仰ごうと考えました。
侍女に案内された瞬王子がカシオス姫の居間に行くと、カシオス姫は『ふしゅらしゅら〜』と、嬉しそうに瞬王子を迎え入れてくれました。

「瞬王子様♪」
一見して人間でないカシオス姫が頬を染めて恥じらっている様は、はっきり言って、かなり不気味です。
けれど、瞬王子はそんなことには臆しませんでした。
事は、心優しい氷河姫の幸せに関わっているのです。
そして、それは、カシオス姫自身の幸福にも関係していることなのですから。

「カシオス姫、どうか兄君を説得してください。僕は氷河姫を愛しているんです。たとえ婚姻無効を言い渡され、民のため、国のために僕がカシオス姫を妻に迎えても、姫君は不幸になるだけだと思います」
「でも……せっかく、おにーさまが見付けてくれた可愛い王子様だし。俺も気に入ったし」
「でも、僕は、氷河姫を……」
『愛しているんです!』という瞬王子の言葉は、カシオス姫のダミ声に思い切り遮られることになりました。

「それにぃ。瞬王子は死んだ母親から、代々神聖ローマ帝国皇帝を出してきた王室の血を引いているから、俺と瞬王子の間に子供ができたら、その子供は神聖ローマ帝国皇帝にだってなれるかもしれないって、おにーさまが言っていたぞ」
「そ……そんな理由で結婚など……」
清らかな瞳の姫君と思っていただけに、カシオス姫のその言葉は瞬王子には大変な衝撃をもたらしました。
「でも、王族なんだから、国のために大女を追い出すくらいはしなきゃならないだろう? きっと、王子は俺を妻にするだろうと、おにーさまは言っていたぞ」

愛し合う者同士が神の御前で永遠の愛を誓う――それが結婚というものだと、結婚というものに必要なものはただ愛だけだと、瞬王子はそれまで信じていたのです。
瞬王子のお母様は、瞬王子のお父様に恋をして、大帝国の王女の身でありながら、生家の50分の1にも満たない領土しかない小国に嫁いできました。
一輝国王だって、パンドラ姫の剛毅なところが気に入って、妻に迎えたのです。
瞬王子は、カシオス姫の言葉に、ただただ呆然とするばかりでした。


最後の希望の綱を断ち切られ、悄然として 氷河姫の待つ部屋に戻った瞬王子に残された方法は、もはやただ一つしかありませんでした。
「氷河姫。僕は国を出ようと思うんです。僕が王子でなくなれば、ドクラテス王もカシオス姫も、利用価値のない僕に固執したりはしないでしょう。そうすれば、軍も退いてくれて、国の民も救われると思うの。氷河姫……」
瞬王子がこれまで知らずにいた、愛だけではどうにもならない世界。
瞬王子は傷付いた小鹿のような目をして、氷河姫を見詰めました。
「氷河姫は、王子でも何でもなくなった僕についてきてくれますか」
「瞬……」

瞬王子が国を出るということは、兄である一輝国王や、瞬王子の大好きな国民と語らう機会を捨て、おとぎ話のように綺麗な国土やお城を捨てるということです。
瞬王子が、自分のためにそこまでの決意をしてくれたことが、氷河姫はとても――胸が苦しくなるほどに嬉しかったのです。
氷河姫の答えは、もちろん最初から決まっていました。
「ついていくよ、瞬」
「あ……ありがとうございます、氷河姫!」
氷河姫の一瞬の躊躇もない返事に、瞬王子はうっすらと涙ぐみました。
その様子はいつもよりずっと可憐で、いつもよりずっと可愛らしくて、でも、氷河姫の目には、いつもよりずっと凛々しく見えたのです。

「僕……僕、氷河姫に苦労をさせてしまうかもしれないのですが……」
「離れている方がずっと苦しい」
「氷河姫……」
愛し合う二人は、互いの深い愛情が嬉しくて、ひしと固く抱き合いました。
「僕を氷河姫に会わせてくださった神様に感謝します……!」

瞬王子が氷河姫の胸で呟きます。
確かに、その件に関してなら、神に感謝してもいい――と、氷河姫も思いました。
氷河姫は、もちろん、瞬王子の行くところにだったら、どこにでもついていくつもりでした。
けれど、この場を丸く収め、瞬王子が王子のままでいられるようにすることこそが最良の道だということも、氷河姫にはわかっていました。

瞬王子が王子でなくなっても、氷河姫は瞬王子に苦労などさせるつもりはありませんでしたが、誰にでも思いやりを持って接し、困っている人に救いの手を差し延べることを生き甲斐にしているような瞬王子にこそ、『王子』の地位がふさわしいことは、自明の理というものです。
泣きながら眠ってしまった瞬王子を起こさないように静かにベッドを抜け出して服を着けると、ドクラテス王を脅迫できるようなネタを探すため、氷河姫は夜に包まれた王宮の闇の中に紛れ込んでいったのでした。






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