「あの こけらおとしのパーティに招待されていたのは君自身なのか?」
「そうです。なぜ そんなことを?」
「随分若く見える」
「先日17になりました」
「17!」
氷河は、車内に 短い口笛を響かせた。
「老けて見えます?」
到底 上品とは言い難い氷河の その様子に一瞥をくれてから、少年が尋ねてくる。
車は、新宿御苑の脇を皇居の方角に向けて走っていた。
「ちょっと見には、な。だが、笑うと年相応に見える……か」
老けて見えるというより、落ち着き払ったその態度が、彼の年齢を捉えどころのないものにしているだけなのかもしれない。
確かに、彼の華奢なその肢体は、まだ子供のそれだった。

「僕……笑いました? いつ?」
外の景色には興味なさそうに真っすぐ前を向いていた少年が、初めて氷河の方に身体の向きを変えてくる。
「……さっきから何度も」
いったい この綺麗な“子供”は何を言っているのかと、虚を衝かれたような気分で、氷河は問われたことに答えた。
「本当ですか?」
本当になぜ、そんなことを意外そうな目をして尋ねてくるのかと、氷河は両の肩をすくめることになったのである。
そんな氷河から、少年はゆっくりと視線を逸らした。
しばらく黙りこくって何やら考えこんでいたその少年が、やがてぽつりと呟くように言う。
「……きっと、敵意とか害意とか――そういうものが、あなたからは感じられないからです」
「……」
まだ17になったばかりの少年が、そんなものに囲まれて日々を過ごしているのだろうか?
気に掛からなかったといえば それは嘘になるが、いらぬ詮索をしたくなかった氷河は、そんな立ち入ったことを、あえて彼に尋ねようとは思わなかった。
尋ねられなかった。
今はまだ。


千鳥ヶ淵公園からそう遠くない場所に、彼の家はあった。
まるで時に置き去りにされたように佇んでいるその邸宅に、氷河は感嘆の声をあげたのである。
明治初期に建造されたのであろうその邸は、元華族・財閥関係者の邸宅が集中している千代田区一番町の豪邸の中でも、ひときわ目立って広い敷地と荘厳な門構えを有していた。
(相当、固定資産税をとられているだろうな……)
いったいこれが人間の生活の場たり得るのかと疑惑の念すら抱かせる、それは森の中の宮だった。
敷地の半分を鬱蒼と茂る喬木に覆われ、夜遅いせいもあるのだろう、まるで明るさが感じられない。
邸内もまた、似たようなものだった。
家具や調度類はどれも皆 相当の値打ち物なのだろうが、それらはつまりは骨董品としか言いようのない代物ばかりで、全く生気が感じられなかったのだ。

「こちらの部屋でおやすみになってください。明朝、あなたのお車を置いてきた場所までお連れします」
「それはありがたいが……いいのか? 見ず知らずの男を泊めたりして。親は何も言わないのか」
それこそ どこぞの劇場のホール並の細工を施された高い天井と、重々しいビロードのカーテン。
成人男性が4人は楽に眠れそうな豪奢な寝台。
金は、あるところにはあるものだと唸りたくなってくる壮麗な客用寝室の入口で、氷河は少年に尋ねた。
「両親は先に亡くしました。この屋敷には僕しかいませんから、お気遣いは無用です」
「……」

まずいことを訊いてしまったと氷河は思ったのだが、少年は沈んだ様子は見せなかった。
「では、君がここの当主なのか」
「いいえ!」
それまで穏やかだった少年の口調が、急に険しいものに変わる。
その剣幕に驚いて目をみはった氷河を見て、気を取り直したらしく、彼はすぐに先程までの落ち着いた口調に戻った。
「いいえ。兄がこの家の当主です」
それ以上の説明は何もなしで、彼は就寝の挨拶を氷河に告げると、静かにドアを閉じてしまった。

すっと、まるで身を翻すように目の前でドアを閉じられて、氷河はしばし無言でその場に立ち尽くしてしまったのである。
幼く清楚な彼の面差しに、だが隠しきれない翳りを感じるのは、どういうことなのだろう。
年齢にふさわしい溌刺さのない静かな物腰は、上品ではあったが温かみに欠けている。
(ま、顔立ちが可愛いから打ち消されてはいるが、な)
が、それゆえ かえって彼が無理をして気を張っているように感じられるのもまた事実だった。
寝つきにくいほど柔らかいスプリングのベッドに横になって初めて、氷河は自分がまだあの少年の名を聞いていないことに気付いた。






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