(かなり……まずいな……)
その趣味はないつもりなのだが、瞬はなかなか抗し難い魅力の持ち主ではあった。
きつい子だと思っていると、ふいに妙に頼りない横顔を見せる。
歳の割りにしっかりした子だと思うと、次の瞬間には途方に暮れた子供のような瞳を向けてくる。
かといって、ほんの少しでも気を抜いて対峙すると、すぐにやりこめられてしまうのだ。
才気にあふれ、しかも恵まれた容姿としなやかな肢体、気取りなく品にあふれた仕草──と、何より詮索好きでないところが、至極氷河の気に入っていた。

知り会って半年以上が経っても瞬は、『氷河こそ学校に行かずにどうしているの』だの『ご両親は何をしているの』だの『どうやって暮しているの』『家はどこなの』だのということを、氷河に対して尋ねることは一度もしなかった。
それが、詮索を嫌うゆえのことなのか、単に他人の──氷河の──生活に興味がないだけのことなのかは判断に迷うところだったのだが、たとえ後者だったとしても、その事実は氷河の心を煽り掻き立てるだけのものだったろう。
(城戸の名が出たんで、つい、でしゃばっただけだったんだが……)
相手がこちらを詮索してくれないと、こちらも相手を詮索することはできない。
初めて知ったこの不条理に、氷河は、夜遅い一人暮しのマンションで、深い溜息をついた。

一度、迫ってみたことはあったのである。
「おまえ、こんな だだっ広い屋敷で一人きりで兄貴の帰りを待つのはやめて、俺のマンションに来て、俺と暮らすつもりはないか? いつ帰ってくるのかも わからないものを待ち続けていたら、そのうちにおまえは化石になってしまうぞ」
──と。
氷河は至極真面目にそう言ったのだが、瞬は肩をすくめて くすりと笑い、これまた至極あっさりとそれをジョークにしてくれた。
「プロポーズのようですね」
まさしくそれは求愛プロポーズ以外の何物でもなかったのだが、その“プロポーズ”という行為自体をジョークにされてしまっては、自分の意図する方向に話を進めることはできない。
氷河はむっとして、安楽椅子に身を沈めた。
「ジョークだ」

瞬は多分、氷河のプロポーズを 一人きりで兄を待つ子供の身を案じるがゆえのものと受け取り、同情は無用だと言おうとして、ジョークにしてしまったのだろう。
だが、同情や憐れみの心情から二人でいようと告げたのではなく、瞬が欲しくて、だから一緒にいたいと告げたつもりでいた氷河には、瞬の答えがどうにも気に入らなかった。
自分の側にいる人間が、自分に対してそういう感情を抱く可能性というものに、瞬は考えを及ばせたことはないのだろうか。
(それとも俺に、そういう雰囲気が希薄なせいなのか……?)
そんなに“危険の少ない よいお兄さん”でいたつもりもなかった氷河は、決死の思いの告白をあまりにあっさりと瞬にかわされれてしまい、思いきり気分が悪くなってしまったのである。

「今日はもう帰る」
しばらく無言で、瞬と瞬を取り囲む調度類をひどく不愉快そうな目付きで凝視していた氷河は、結局、自分の不機嫌を自分の意思で直すことができなかった。
「気に障りました? だったら謝ります」
氷河がその身にまとっている険悪な雰囲気を察知して、瞬がすぐに詫びを入れてくる。
だが、その言葉すら、自分の不機嫌の真の理由を理解してのことではないのだろうと思うと、氷河の機嫌はますます悪化してしまったのである。
無言で椅子から立ちあがった氷河を引きとめるため、手にしていた小冊子をソファの上に投げ捨てて、瞬は氷河の側似駆け寄ってきた。
「ま……また来てください、氷河……! ごめんなさい、謝ります……!」
すがりつくような瞬の眼差しに、氷河は幾分機嫌を直した。
そして、彼は、少しばかり図に乗ってしまったのである。
「キスさせてくれたら、また来てやる」
「……」

瞬は、自分の“プロポーズ”の真の意味に、気付いていなかったわけではなかったのかもしれない──と、その時 氷河は思った。
氷河の要求を聞いた瞬の瞳は、驚きよりも、切なげな哀しみの色に支配されていたから。
すぐに、その瞳は伏せられてしまったが。
「──いやです」
低く、くぐもった声で、それでもきっぱりと、瞬は氷河の要求を拒絶した。
そう出られると、今度は氷河の方の立場が弱くなる。
瞬に、もうこの屋敷には来るなと言われる事態を、氷河は避けなければならなかった。
瞬に会わずにいることなど、氷河にはもうできそうになかったのだ。
「すまん。ジョークだ。忘れてくれ。……また来る。……来ていいか?」
「……はい……」
そうして氷河は、瞬が欲しているのは自らの孤独を埋めてくれる友人であり、それ以外の何かではないのだということを思い知り、せめて瞬の友人としての立場を失うことだけはないように、自らの感情を表に出すことは極力避けなければならないのだということを悟ったのである。






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