氷河の5連勝は、彼の気力とマシンの充実のたまものではあったが、それ以上にプロジェクトHSのマシンの不調のせいでもあった。 新しく開発された新型エンジン搭載によって一新されたシャシーがエンジンとうまく噛み合わなかったのである。 瞬のように抑えて走っている分には問題はないのだが、高速でのマシン・コントロールに難があり、一輝はリタイアを繰り返していた。 チームの不調を瞬は気に病んでいたのだが、そんな瞬とは対照的に、氷河はこの展開を至極喜んでいた。 一輝やプロジェクトHSのスタッフたちが瞬のガードにどれほど苦心しても、自分と瞬が3位内に入賞している限り、表彰台で、彼は瞬に接することができるのである。 その際に、いつどこでと無理にでも具体的な約束を取り付ければ、“約束を破れない”瞬は、しぶしぶとはいえ約束の場にやって来る。 ベルギーグランプリの表彰台でも、氷河はイタリアでの再会の約束を瞬に取り付けていた。 「来月の1日に、スフォルツェスコ城の正面門で2時に待っている。嫌だと言うなら、ここでおまえにキスをするぞ」 氷河としては、瞬が『嫌だ』と言うのなら それでも構わなかったのだが、瞬の方は、そんなところを全世界に衛星中継されてしまってはたまらないので、とりあえず許諾の返事をする。 瞬はその後、キャンセルの連絡を入れようとするのだが、それを避けるために氷河は行方をくらましてしまうのだ。 チームの誰にも、氷河は居所を教えず、あるいは口止めをしているらしく、瞬の方からは氷河に連絡をつける術がない。 たまに滞在ホテルの名を聞き出すことができても、氷河はホテルを転々としているらしく、待ち合わせ場所も連絡のつけようのない場所を指定するのが常だった。 結果として、瞬は、どうしてもその場に行かなければ約束を反古にすることもできない状況に追い込まれてしまうのである。 氷河が自分を連れまわす意図は今一つ理解できないままだったのではあるが、確かに彼の話は面白く、興味深く、彼と過ごす時間が楽しいものであるのは事実だった。 表彰台での脅迫の割には何の手を出してくるでもない氷河に、瞬はライバル意識だけではなく、友情に似た感情を抱き始めていた。 さして長い時間拘束されるわけではないし、さすがにプロドライバーだけあって、食事等にも気を配ってくれる。 会うまでは強引だが、会ってしまえば楽しく親切な氷河を、瞬は以前ほど色眼鏡で見ることがなくなっていた。 「そうだ、瞬。今度、俺の写真集が出るんだが、それ用に撮った写真を見にこないか? 掲載するのは50枚程度なんだが、写真自体は四千枚近くあって、瞬もかなり映っていたぞ。ビデオで見るのとは違って、瞬間的な映像というのも結構勉強になる」 それ故、氷河にそう言って誘われた時、瞬は気軽に彼の提案を受け入れ、彼が滞在しているホテルの部屋に同行したのだった。 二人の間には大きな認識の違いがあったとしか、言いようがない。 氷河のあの愛の告白はただの冗談で、彼が自分を連れまわすのは、同じF1ドライバーでありながら考え方の全く違う自分の感化を試みようとしているからなのだろうと、瞬は考えていたし、氷河は氷河で、半分無理強いの待ち合わせに瞬が嫌がる素振りを見せなくなったのは、自分の気持ちが通じたからなのだろうと思っていた。 ホテルの部屋への誘いに乗ってくるということ自体、OKの返事以外の何物でもない──というのが、氷河の認識だったのである。 「瞬っ!」 その結果、氷河は瞬の強硬な抵抗に合い、二人の間の愛を確かめるどころか、せっかく瞬の心に芽生えつつあった友情の芽を摘み、代わりに、瞬の心に不信と怯えを植えつけることになってしまったのだった。 ベッドの上に残された 唇をきつく引き結び、あの大きな瞳で自分の信頼を裏切った男を睨みつけ、そして風のように逃げ去っていった瞬を追いかけることさえ、そして謝罪することさえ、氷河には思いつかなかった。 瞬の瞳には涙がにじんでいた。 自分が瞬を傷付けてしまったということと、瞬の心と身体の周りに巡らされた鉄壁の防御壁は、ほんの4、5回のデートで打破できるほど薄っぺらな物ではなかったのだということ──その二つの事実を事実として認めることだけで、氷河には手一杯だった。
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