一輝やプロジェクトHSのスタッフのガードのためというよりは、瞬自身に避けられていたために、氷河は一ヶ月以上、瞬とまともに話をすることができなかった。 マシンの不調に泣かされて、3レース連続で3位内入賞も果たせず、表彰台でのコミュニケーションも図れないまま、氷河は――そして、グランプリの舞台は――日本へと移っていったのである。 オール・ジャパニーズのプロジェクトHSと、日本人ドライバーである氷河を抱えているグラード・グランプリの日本グランプリヘの意気込みは些少なものではなかった。 さすがの氷河も、ここで表彰台に乗っておかないことには、日本のスポンサードたちへの手前もあるので、沈みがちな気分を無理に引き立てて、氷河はなんとか3位内入賞を果たしたのである。
1位から3位までを、すべて日本人ドライバーが占めてしまったというので、鈴鹿サーキットは大変な盛り上がりようだった。 氷河のチームのセカンド・ドライバーの成績不振のため、日本グランプリ終了時点で、プロジェクトHSのコンストラクターズ・ワールド・チャンピオンのタイトル獲得は確定したのだが、ドライバーズ・ワールド・チャンピオンのタイトル獲得の可能性は三人の日本人ドライバー全員にある。 盛り上がるなという方が無理という有様の鈴鹿の表彰台で、氷河はやっと瞬を捕まえることができたのだった。 「瞬。俺と賭けをしないか?」 たとえ氷河がどんなに謝ってきても決して許すまいと身構えていた瞬は、またしても謝罪すらなく用件に入ってきた氷河に、思わず肩の力が抜けていってしまったのである。 あっけにとられている瞬にはお構いなしで、氷河が先を続ける。 「次の最終戦で、もし俺が勝ち、ワールド・チャンピオンのタイトルを獲得できたら、もう一度俺にチャンスをくれないか? その代わり、おまえか一輝がタイトルを取ったら、俺はもう絶対におまえに無理は言わない。おまえが俺を目障りと思うのなら、俺はF1を引退する」 「ひょ……氷河! あなた、自分が何を言ってるのか、わかってるんですか! F1をやめる……?」 とても本気で言っているとは思えず、瞬は悲鳴に似た声をあげた。 氷河が、少し、目を細める。 「……やっと声を聞かせてくれたな。そう、その通りだ。もしおまえが俺を許してくれないのなら、俺はおまえに軽蔑されたままで、おまえと同じ世界にいるのは耐えられないし、首を賭けるくらいのことをしないと、おまえは俺を許してはくれないだろう?」 「それは……でも、それとこれとは全く別の問題です! あなた、自分にどれくらいのファンがいて、どれくらいのスポンサードが付いていて、どれくらいのお金が動いているのか、わかっているんですか! 勝手に引退なんかしたら、チームヘの違約金だって払わなければならなくなるでしょう! あなたくらいになったら、10億か20億か……」 「そうなっても構わん。おまえに許してもらえずにいるくらいなら、死んだ方がましだ」 「ば……馬鹿なこと言わないでください! 分別のない子供みたいに……!」 「分別を総動員して考えたことだ。おまえを俺のものにできないのなら、俺は、他の何もいらない! おまえ以外に欲しいものなどない!」 「そんな……」 そんな乱暴な価値観を、F1の世界の住人が持っていて いいものだろうか。 瞬が、そんな賭けに乗ることはできないと氷河に言おうとした時、お立ち台に協会の関係者等が上ってきた。 こんな会話を他人に聞かれてはまずいと口をつぐんだ瞬に、氷河がいつもの調子で囁く。 「どうしても嫌だと言うのなら、俺はここでおまえを愛していると大声で宣言するぞ……! 俺にはもう失うものなど何もないから、どんなことだってできる……!」 「あ……」 何か言わなければならないことは わかっているのに、どうしても適切な言葉を見付けられず――結局、瞬は氷河の前で唇を噛みしめていることしかできなかった。 それを許諾の返事と受けとめて、氷河が軽く顎をしゃくる。 いっそ泣き出してしまいたいと訴える心を無理に静めて、瞬は2位のトロフィーを受け取ったのだった。 |