ドライバーズ・ワールドチャンピオンシップの獲得者が決まらないまま迎えた最終戦、オーストラリアグランプリ。
ここで瞬が6位内に入りポイントゲットできれば、16戦連続完走6位内入賞の記録が残り、優勝すれば、ワールド・チャンピオンのタイトルを手にすることができる。
ワールド・チャンピオンのタイトル獲得への意欲はさして強くなかったが、これまでにない解放感にひたりつつ、瞬は、オーストラリア・グランプリ決勝当日を迎えたのだった。
当日は朝から激しい雨降りで、他のドライバーたちは皆 憂鬱そうだったのだが。

「この雨では、ドライ・コンディションの時に比べて、ラップタイムが30秒は落ちるな。瞬。今日は、おまえ、抑えて走る必要はなさそうだぞ。もしかすると、おまえの初勝利、そしてワールド・チャンピオン・シップ獲得だ」
「僕がワールド・チャンピオン? 面白い冗談ですね」
兄に真顔で そう言われた瞬は、兄の言葉を一笑に伏して、ピットに入った。
瞬が望むことは、その時にはまだ、『兄の勝利に自分が寄与できること』だった。
そして、氷河に意地を張っていたことを謝罪し、来シーズンも同じサーキットを二人で走り続けること。
ただそれだけだったのである。

一輝の予測通り、オーストラリアグランプリでのラップタイムは、ドライ・コンディションのそれに比して軒並30秒から40秒近く落ち、濡れた路面の犠牲者が続出、出走ドライバー26名中17名がリタイアという、大荒れのグランプリになった。
ウェット・コンディションでスピードの乗らないレースにおいては、ドライバーの身体に加わる重力は激減し、体力よりもテクニックと集中力が物を言うことになる。
オーストラリアグランプリは、まさに瞬のためのグランプリだった。

1位を走っている一輝、2位を走っている氷河、3位を走っている瞬。
三者の差がすべて2秒以内という状態で、レースは終盤を迎えた。
残り3周となったところで、一輝がマシン・コントロールを失い、スピン、リタイア。
この時点で、一輝のワールド・チャンピオンシップ獲得の可能性は消えた。
もしこのまま瞬が無理をせず2位を堅持すれば、たとえこのレースで氷河が優勝しても、瞬がワールド・チャンピオンのタイトルを獲得することになる。
おそらく、雨の中 アデレードサーキットに詰めかけた観客のすべて、衛星中継で このレースを観戦している世界中の人間が そうなることを確信していただろう。
確信しているに違いないと、瞬は思った。

(僕が……? 勝利なんか一度も望んだことのないこの僕が、勝つために命がけで走っている他のドライバーたちの頂点に立つの……?)
激しい雨を受けて濡れているバイザーの向こうに、氷河のマシンが見える。
『ドライバーは皆、勝つために走るんだ……!』
そして、今 実際に、勝つために走っている氷河と、勝つために走りリタイアしていった多くのドライバーたちの姿を、瞬は見てきたのである。
瞬は唇を噛みしめた。

(氷河、ごめんね……! 僕は、僕自身と、そして氷河に……勝ちたいんだ……!)
最終ラップ、最終コーナー。
瞬は勝ってワールド・チャンピオンのタイトルを手に入れるために、ステアリングを握りしめた。






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